かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

「BB」が誕生した、「素直な悪女」

2013-04-19 04:15:05 | 映画:フランス映画
 「BB」といってもピンとこない人が多くなったことだろう。アメリカの人気女優であった「MM」のマリリン・モンロー(Marilyn Monroe)に倣って、フランスの女優ブリジット・バルドー(Brigitte Bardot )を呼称した言葉である。
 「BB」は「ビー・ビー」と呼ばずに、「ベ・ベ」とフランス風に言うのが通である。フランス語の“bébé”(赤ちゃん、ベイビー)に聞こえて、フランスでは一気に愛称として定着した。   
 ちなみに、バルドーと同時代に活躍したイタリアのクラウディア・カルディナ―レ(Claudia Cardinale)は「CC」と呼ばれた。

 では、「AA」といえば、誰であろうか?
 「MM」「BB」「CC」のように、セックス・シンボル的存在ではないが充分に色っぽい、「モンパルナスの灯」「男と女」のアヌーク・エーメ(Anouk Aimee)ではどうだろう。
 「DD」にはモンローと同世代の、「二人でお茶を」「知りすぎていた男」などのドリス・デイ(Doris Day)をあげる人がいるが、ちょっと健康的すぎるだろう。
 やはりこのアルファベット頭文字のゾロ目の呼称は、名前の綴りが適応するからいいというものではない。セクシーな女でないといけない。しかも、一世を風靡したような。

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 1950年代から60年代のフランスの代表的なセクシーな女といえば、このBBことブリジット・バルドーであった。
 野性的な猫のような眼と脂身をおびた唇、くびれた腰が大きな胸(乳房)を否応なく目立たせた。床に手をついて四つん這いになった姿は、どう見ても豹かチーターのようであった。その点では、山猫に例えられたクラウディア・カルディナ―レも彼女と似ているところがあった。
 雑誌モデルをしていたバルドーが18歳のときにいち早く目をつけて1952年に結婚したのが、映画監督のロジェ・ヴァディムである。このときはヴァディムはまだ監督として映画は撮っていなく、バルドーが22歳のとき、ヴァディムが28歳のとき、彼は自分の妻を主役として、初めて映画監督としてデビューする。
 それが、「素直な悪女」(Et Dieu... créa la femme、1956年、仏)である。
 この映画の原題は、直訳すれば「神が女を創った」という意味だが、日本公開では「素直な悪女」となった。映画の内容から、日本の配給会社の担当者がこの題名にしたのだろうが、この映画でバルドーは一躍大人気者となり、さらに悪女のレッテルが貼られ、それは決してマイナスではない代名詞となった。

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 映画「素直な悪女」の舞台は、南フランスの小さな漁港サントロペ。ここの老夫婦の家に孤児院から送られてきたジュリエット(ブリジット・バルドー)は、はちきれんばかりの肉体と奔放な行動の小娘で、街の男たちがほうっておかない。
 酒場の経営者である渋い中年の男エリック(クルト・ユルゲンス)は、娘みたいな女に心奪われていることを隠そうとはしないで、ことあるごとにジュリエットに言い寄る。
 ジュリエットは港のハンサムな色男アントワーヌ(クリスチャン・マルカン)に好意を寄せているが、その男に誠意がないとわかると、男の弟である真面目なミシェル(ジャン・ルイ・トランティニャン)と突発的に結婚する。
 結婚したからといって、このまま静かに終わるわけがない。彼女の周りには、いつも火がくすぶっている。彼女は野生の獣のように、何かに飢えている。
 そして、ふとした事故がもとでジュリエットはアントワーヌとも関係を持ってしまう。

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 実際、悪女にふさわしくバルドーは、この映画「素直な悪女」の撮影の最中に、相手役のジャン・ルイ・トランティニャンと恋に陥り駆け落ち騒動までおこしている。
 それが原因かどうか、この映画の撮影終了後、バルドーはロジェ・ヴァディムと離婚する。
 ロジェ・ヴァディムはふられて可愛そうな男だ、と思ってはいけない。ヴァディムは名うてのプレイボーイなのである。
 映画監督という職業は、日本でも大島渚(結婚相手、小山明子)や吉田喜重(岡田茉莉子)、篠田正浩(岩下志麻)などの松竹ヌーベルバーグの監督に代表されるように、当時もっとも売れっ子でかつ、いい大女優と結婚している。今の若い監督はどうか知らないが。

 ロジェ・ヴァディムは、バルドーと離婚した翌1958年、デンマーク人女優アネット・ストロイベルグと結婚し娘をもうけるが、2年で離婚。
 すぐにまだ無名だったカトリーヌ・ドヌーヴと交際を始めていて、1962年に彼女を主演に「悪徳の栄え」を監督として作り、彼女の才能を開花さしている。
 バルドーといいドヌーヴといい、女を見る目は相当なものといえる。ドヌーヴはその2年後「シェルブールの雨傘」で人気女優となった。ヴァディムは彼女との間に息子をもうけるが、結婚はしないで交際を続けた。
 それでいて1965年にはジェーン・フォンダと結婚し、彼女を主演に「獲物の分け前」や「バーバレラ」などの作品を監督するが、1973年に離婚。彼女との間にも娘をもうけている。
 1975年に衣装デザイナーと結婚するが、数年で離婚。1990年には女優のマリー=クリスティーヌ・バローと結婚。
 まさしく、映画界のカサノバと呼ばれるにふさわしい女優遍歴である。このほか、表に出なかった数多の女との関係を想像するだけで羨ましくなるからやめておこう。

 映画監督は洋の東西を問わず、自分の好きな女を主演にした映画を作りたいものである。
 特にロジェ・ヴァディムは、恋人や妻にした女優、さらにその女との間にもうけた娘や息子を主演・出演させた映画を主に作ってきたといっても過言ではない。
 ロジェ・ヴァディムの監督作品のなかで僕が好きなのは「スエーデンの城」(1962年、仏)もそうなのだが、「輪舞」(La Ronde、1964年、仏)をあげたい。男と女との愛の営みが、次々とパッチワークのように繋がっていく洒落た映画である。
 「突然炎のごとく」のマリー・デュボア、「気狂いピエロ」のアンナ・カリーナ、「太陽の下の18歳」のカトリーヌ・スパークなどのフランス女優に交じって、アメリカ人女優のジェーン・フォンダがなぜか入っていたと思ったら、ヴァディムは彼女と翌年結婚したのだった。
 分かりやすい人である。そして、幸せな人である。
 好きなことを仕事とし、その仕事とは好きになった女の魅力的なところを取り出すことであり、その好きになった女と結婚する。しかも、何度も。

 結局、「素直な悪女」でブリジット・バルドーの魅力を引き出し人気女優「BB」にした、ロジェ・ヴァディムへの羨望と賛辞になってしまった。
 映画の舞台となったサントロペは、映画ではこの当時のどかな海辺の街だが、今はコートダジュールの高級避暑地である。
 映画界をとっくに引退したブリジット・バルドーは、今は「BB」の面影はないが、現役のカトリーヌ・ドヌーヴは、いまだ女として色っぽさを保っている。

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