ジェラール・クルヴジック監督 ヴァンサン・ベレーズ ペネロペ・クルス エレーヌ・ド・フジュロル 2003年 仏
「花咲ける騎士道」といえば、ジェラール・フィリップである(1952年、仏)。
アラン・ドロンの前の、初代フランス、ヨーロッパ随一の色男である。いや、戦後から1950年代を通して、世界随一といってもいいだろう。これは、僕の個人的な評価だが、世間もそうであったであろうと思う。
この「花咲ける騎士道」の主人公がファンファンという名で、映画の原題も「ファンファン・ラ・チューリップFANFAN LA TULIPE」である。
ラ・チューリップ(ラは冠詞)とは、ファンファンが盗賊から国王の娘を助けたときに、チューリップの装飾品(宝石)と一緒にもらった名字である。
このチューリップを持って、ファンファンは王女に求愛に行く。
このチューリップは、アレクサンドル・デュマの「黒いチューリップ」が伏線にあるのかもしれない。
中世、オランダが栽培に力を入れ、チューリップはヨーロッパで宝石のような高値で取引された。オランダでは、3人の騎士から求愛された美しい少女がチューリップに姿を変えたという伝説がある。
ちなみに、映画「黒いチューリップ」(1963年、仏)は、2代目色男のアラン・ドロンが主役を演じた。
「花咲ける騎士道」におけるファンファンという砂糖菓子のような甘い名前は、その後ジェラール・フィリップの愛称となった。
ジェラール・フィリップは、その後「夜ごとの美女」、「赤と黒」、「モンパルナスの灯」などに主演したあと、「危険な関係」(ロジェ・ヴァディム監督、1959年)を最後に、36歳の若さで他界する。
日本でも、岡田真澄がファンファンと称していた。フランスの血を引き、ハンサムだから許されただろうが、中年以後太ってからはファンファンというよりはロシアのスターリンに似てきた。
*
18世紀の革命前夜のフランス。ヨーロッパでは、まだ戦争が絶えなかった時代である。
プレイボーイのファンファン(ヴァンサン・ベレーズ)は、村娘たちと色恋に戯れる日々だった。
ところが、軍人の副官から求愛されていて逃げている女アドリーヌ(ペネロペ・クルス)に占いで、あなたは最高の愛を掴む、それは王女の愛だ、と言われる。自由な愛を求め、結婚なんてしないと思っていたファンファンは、最高の女とならばと、その気になり、王女に近づくために、そのとき募集していた軍隊へ入る。
しかし、アドリーヌの言葉は、ただ軍隊に勧誘するだけの嘘だった。
そこへ、高貴な馬車が盗賊に襲われた。出くわせたファンファンは、一人で盗賊を追い払う。ファンファンは遊び人だけでなく、剣も強かったのだ。
それに、何とその馬車は王女が乗っていて、実権を握っていたポンパドゥール夫人(エレーヌ・ド・フジュロル)も乗っていた。ポンパドゥール夫人からチューリップの宝石と名前をもらったファンファンは、すっかりその気になるのだった。
俺は、王女を娶(めと)るのだと。
ジェラール・フィリップの「花咲ける騎士道」のリメイク版である。
2代目ファンファンであるヴァンサン・ベレーズは、ジェラール・フィリップ、アラン・ドロンの系譜である二枚目とは言いがたい。確かに軽く現代的であるが、水も滴る色男と言うには憚られる。
どちらかといえば、かつてアラン・ドロンと対比されたが、正統的二枚目ではないアクションを得意としたジャンポール・ベルモンドの系譜であろう。いや、一目見て、「アマデウス」のF・マーリー・エイブラハムを想起させた。
アドレーヌ役のペネロペ・クルスは、野性的な美女であるクラウディア・カルディナーレの系譜である。スペイン人の彼女は、まるでジプシーの血を引いているかのような妖しさが漂う。
それにしても、ヨーロッパの騎士道は、日本の武士道とはこうも違うかと思わせる。
騎士道で最も特徴的なのは、宮廷的愛である。
騎士は、自分より身分の高い王族、貴族への崇拝と献身を旨とし、肉体的愛ではなく精神的愛が唱えられ、尊重されもした。貴婦人を、愛し、慕うことは、許容されたのである。だから、しばしば貴婦人と騎士の色恋沙汰の物語が生まれた。
日本の武士道を主題にした映画、物語で、例えば足軽や下級武士が主君の姫君と結婚しようとするテーマは考えられない。あったとしても、それは決して表面に出てくるものではなかった。武士道はもっと重いものがある。
騎士道は、武士道と同じく忠君であることには変わりないが、ロマンが隠されているように感じる。ヨーロッパ人と日本人の、恋愛に関する精神構造の違いであろうか。
「花咲ける騎士道」といえば、ジェラール・フィリップである(1952年、仏)。
アラン・ドロンの前の、初代フランス、ヨーロッパ随一の色男である。いや、戦後から1950年代を通して、世界随一といってもいいだろう。これは、僕の個人的な評価だが、世間もそうであったであろうと思う。
この「花咲ける騎士道」の主人公がファンファンという名で、映画の原題も「ファンファン・ラ・チューリップFANFAN LA TULIPE」である。
ラ・チューリップ(ラは冠詞)とは、ファンファンが盗賊から国王の娘を助けたときに、チューリップの装飾品(宝石)と一緒にもらった名字である。
このチューリップを持って、ファンファンは王女に求愛に行く。
このチューリップは、アレクサンドル・デュマの「黒いチューリップ」が伏線にあるのかもしれない。
中世、オランダが栽培に力を入れ、チューリップはヨーロッパで宝石のような高値で取引された。オランダでは、3人の騎士から求愛された美しい少女がチューリップに姿を変えたという伝説がある。
ちなみに、映画「黒いチューリップ」(1963年、仏)は、2代目色男のアラン・ドロンが主役を演じた。
「花咲ける騎士道」におけるファンファンという砂糖菓子のような甘い名前は、その後ジェラール・フィリップの愛称となった。
ジェラール・フィリップは、その後「夜ごとの美女」、「赤と黒」、「モンパルナスの灯」などに主演したあと、「危険な関係」(ロジェ・ヴァディム監督、1959年)を最後に、36歳の若さで他界する。
日本でも、岡田真澄がファンファンと称していた。フランスの血を引き、ハンサムだから許されただろうが、中年以後太ってからはファンファンというよりはロシアのスターリンに似てきた。
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18世紀の革命前夜のフランス。ヨーロッパでは、まだ戦争が絶えなかった時代である。
プレイボーイのファンファン(ヴァンサン・ベレーズ)は、村娘たちと色恋に戯れる日々だった。
ところが、軍人の副官から求愛されていて逃げている女アドリーヌ(ペネロペ・クルス)に占いで、あなたは最高の愛を掴む、それは王女の愛だ、と言われる。自由な愛を求め、結婚なんてしないと思っていたファンファンは、最高の女とならばと、その気になり、王女に近づくために、そのとき募集していた軍隊へ入る。
しかし、アドリーヌの言葉は、ただ軍隊に勧誘するだけの嘘だった。
そこへ、高貴な馬車が盗賊に襲われた。出くわせたファンファンは、一人で盗賊を追い払う。ファンファンは遊び人だけでなく、剣も強かったのだ。
それに、何とその馬車は王女が乗っていて、実権を握っていたポンパドゥール夫人(エレーヌ・ド・フジュロル)も乗っていた。ポンパドゥール夫人からチューリップの宝石と名前をもらったファンファンは、すっかりその気になるのだった。
俺は、王女を娶(めと)るのだと。
ジェラール・フィリップの「花咲ける騎士道」のリメイク版である。
2代目ファンファンであるヴァンサン・ベレーズは、ジェラール・フィリップ、アラン・ドロンの系譜である二枚目とは言いがたい。確かに軽く現代的であるが、水も滴る色男と言うには憚られる。
どちらかといえば、かつてアラン・ドロンと対比されたが、正統的二枚目ではないアクションを得意としたジャンポール・ベルモンドの系譜であろう。いや、一目見て、「アマデウス」のF・マーリー・エイブラハムを想起させた。
アドレーヌ役のペネロペ・クルスは、野性的な美女であるクラウディア・カルディナーレの系譜である。スペイン人の彼女は、まるでジプシーの血を引いているかのような妖しさが漂う。
それにしても、ヨーロッパの騎士道は、日本の武士道とはこうも違うかと思わせる。
騎士道で最も特徴的なのは、宮廷的愛である。
騎士は、自分より身分の高い王族、貴族への崇拝と献身を旨とし、肉体的愛ではなく精神的愛が唱えられ、尊重されもした。貴婦人を、愛し、慕うことは、許容されたのである。だから、しばしば貴婦人と騎士の色恋沙汰の物語が生まれた。
日本の武士道を主題にした映画、物語で、例えば足軽や下級武士が主君の姫君と結婚しようとするテーマは考えられない。あったとしても、それは決して表面に出てくるものではなかった。武士道はもっと重いものがある。
騎士道は、武士道と同じく忠君であることには変わりないが、ロマンが隠されているように感じる。ヨーロッパ人と日本人の、恋愛に関する精神構造の違いであろうか。
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