かりそめの旅

うるわしき 春をとどめるすべもなし 思えばかりそめの 旅と知るらむ――雲は流れ、季節は変わる。旅は過ぎゆく人生の一こま。

波佐見から、大村湾へ

2006-08-17 16:52:12 | ゆきずりの*旅
 磁器の町、佐賀・有田の西に波佐見町がある。波佐見もまた磁器の町だが、ここは長崎県である。以前はここで製作される磁器も、有田焼といって売り出されていた。有田の全国区の名前を拝借していたのだが、最近は波佐見焼きで出回っている。
 波佐見焼きの歴史も、有田に準ずるように江戸初期と古い。やはり有田と同じく、朝鮮の陶工によるものであろう。有田が肥前・鍋島藩の管理によって生産・輸出されたのに対し、こちらは大村藩によってなされた。
 
 旧友が波佐見町に住んでいるので、彼の案内で街を歩いた。磁器を見ても、豪華で華美なものはないが、並べてあるのも見ても、有田と変わらない。主なものは、一般に使用する食器や湯飲み、コーヒーカップなどだ。
 目立ってはいないが、ここは普段日常的に使用する食器類を中心に、磁器を昔から地道に生産してきた町なのだ。その中には、「くわらんか碗」と呼ばれたものもある。
 波佐見は有田の町より小さいが、その中で良質な生産工房が集まっているという中尾山に行ってみた。少し小高い丘の川に沿って寄り集まっている陶房の数々。川に架かる石橋には、磁器がタイルのように敷いてあり、橋に大きな磁器の大花瓶が装飾として立っている。伊万里の鍋島藩の御用窯が築かれた磁器の里、大川内山を想起させた。
 この中尾山の中腹にある「陶房、青」を見せてもらった。白磁に青をあしらった食器や花瓶は、落ち着いた感触を備えている。円さは小ぶりだがすっと丈の高いコップは、ビールを飲むのにも向いている。水差し口が少し傾いた真っ白な一輪挿しは、ユーモアも含んでいて洒落ている。
 今では、窯で焼くのは、人間の勘に頼っていた薪ではなく、ほとんどがガスである。出来不出来のむらが少なく、温度調節もできる。
 波佐見は、今では有田の名を借りることなく、自分の名前でしっかり歩いている。

 波佐見をさらに西に行くと、大村湾に面して川棚町がある。大村湾に出てみた。夕焼けが海を照らして美しい。ここは、第2次世界大戦中、人間魚雷の特訓基地だったところだ。
 大村湾にイボのように出ている大崎半島公園から、海の向こうの陸地に3本の鉄塔が立っているのが見える。ただただ高く伸びた、遠くから見ると線香のような感じの塔だ。見たものは誰でも、何だろうと不思議に思うだろう。高さ137メートルの旧海軍の針尾の無線塔だ。密かに、不気味に立っている戦争遺産だ。

 この近くに、ハウステンボスがある。遠くからでも、広大に敷地の中に、いくつかの豪華な建物が見える。敷地に近づくと、すぐに目につくのが、アムステルダム中央駅を模倣した威容堂々とした建物だ。さらに、いくつかのヨーロッパ風の華美な建物が建っているのが見える。これらは、ほとんどがホテルだという。施設内を見て周るだけでも疲れそうだ。
 オランダ村はどうなったのだろうと思っているうちに、広大なハウステンボスがいつの間にか出来あがった。この周辺の道路の整備を見れば、大変な力の入れようである。長崎は、佐賀と違って観光立県だ。
 しかも、ハウステンボスという駅までできている。博多から、ここまで「ハウステンボス号」というネーミングの特急列車も走っている。
 中に入ることなく、敷地を一周し、外観を展望しただけで通り過ぎた。閑散とした地に、突然現れたオランダ町で、オランダを味わうことができるのだろうか。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする