以前にも書いたが、僕は、旅はというより移動は、飛行機より列車が好きだ。海外以外は、ほとんど列車を選択する。
例えば東京から九州に帰るなど、少し長い旅(移動)をするとき、バッグに文庫本を突っ込む。
読み終えるには十分な時間なのだが、1冊とて読み終わったためしがない。それどころか、最初の何ページか何十ページで終わってしまうことがほとんどである。
これらの読みかけの本は、次の旅とかいつかの旅にまた持っていくことが多い。そして、また初めから読み始めるので、途中まで何度も読む羽目になる。つまり、旅に持っていく本の顔ぶれは、ほとんど同じものが多いのだ。
今度こそ読みきろうと思って持ってきた本だが、列車が終点に着く頃には、ほとんど本を読んでいない自分に落胆した。休みの後の受験勉強の計画表を見るのに似ている。
なぜか? 僕が怠け者であることもあるが、それがすべてではないようだ?
先ほどといっても大分前だが、テレビ「笑っていいとも」の「テレフォン・ショッキング」で、タモリと元宝塚の女優(たぶん真矢みき)が話していたのを見て、僕もひどく頷いてしまった。
女優は、「地理に凝っている」という話をした。
「私も好きですよ」と、タモリが相槌を打つ。
「私、地図マニアで、地図を見るのが好きなんですよ」
「私も、暇なときは地図を見てますよ」
「そうですかー。地図は面白いですよね」
「地図もいろいろ変わりますしね。道ができたり橋ができたりすると」
「最近は、地形が気になって、地形図も見ているんです」
「そこまで行きましたか。女性としては珍しいですね」
「ですから、移動にも飛行機はあまり使いません。列車です」
「私も列車です。列車マニアです。汽車マニアというのとは少し違うんですがね」
「列車で走っていると、ここがこの前と違ったと分かるんですよね」
「そうなんです。博多まで列車・新幹線で行くというと、そんな長い時間退屈しませんかと言う人がいるんですが、退屈なんかしませんよ。あちこち見なくちゃいけないんで、忙しいんです」
「そうです。いろいろ見なければいけないんで忙しいですよね。この前、地形を見るために、どこそこ(場所は忘れた)へ行ってきました」
「そこへ行きましたか。そこは面白いところでしょう」
「ええ、暇があったら地図を見て行き先を決めているんですよ」
「私も、時間があればねぇ~、列車の旅をしたいんですが。この前は、用事で、博多まで日帰りをしましたよ。列車で」
「それは、すごい!」
といった話が、いつ終わるともなく続くのだった。いや、残念ながら、話は時間制限のため10余分で終わったのだった。
僕は、タモリや元宝塚女優のように、地図や地形マニアではないので、車窓の景色を見るのに忙しいと思ったことはなく、ただぼんやりと見ているのが心地いいのである。それで、今度こそ読書をと思いながら、いつもそれを果たせず列車は終着駅に着く。
僕が、旅に出るとき持って出る本は大体が決まっている。若いとき読みそこなった本である。本棚に積んだままになった本で、それでいて気にかかっている本である。
それらは、「サフォー(哀愁のパリ)」(アルフォンス・ドーデ)、「愛人(ラ・マン)」(M・デュラス)、「北回帰線」(ヘンリー・ミラー)、「キャンディ」(デリイ・サザーン)、「どくろ杯」「ねむれ巴里」「西ひがし」(金子光晴)などで、その時の気分に応じてあわててバッグに入れることになる。大体が出発前はばたばたで、熟考している暇はない。この中で、金子光晴の旅の3部作はすでに読んでいるのだが、旅というとつい手が伸びる本である。
時たま、新刊ですぐ読みたいというのが入るときがあるが、旅には古典がいい。僕の横にいて一緒に旅しているという安心感のある本、何度読んでも初めてのような色褪せない文体を持った本がいい。
また、佐賀から東京へ列車で帰る。今度はどこまで読めるかな、「哀愁のパリ」を。
そのうち、この旅の道づれに、プルーストの「失われた時を求めて」が加わるかもしれない。これだと、いつ終わるとも知れないので、僕のような旅には相応しいように思える。
例えば東京から九州に帰るなど、少し長い旅(移動)をするとき、バッグに文庫本を突っ込む。
読み終えるには十分な時間なのだが、1冊とて読み終わったためしがない。それどころか、最初の何ページか何十ページで終わってしまうことがほとんどである。
これらの読みかけの本は、次の旅とかいつかの旅にまた持っていくことが多い。そして、また初めから読み始めるので、途中まで何度も読む羽目になる。つまり、旅に持っていく本の顔ぶれは、ほとんど同じものが多いのだ。
今度こそ読みきろうと思って持ってきた本だが、列車が終点に着く頃には、ほとんど本を読んでいない自分に落胆した。休みの後の受験勉強の計画表を見るのに似ている。
なぜか? 僕が怠け者であることもあるが、それがすべてではないようだ?
先ほどといっても大分前だが、テレビ「笑っていいとも」の「テレフォン・ショッキング」で、タモリと元宝塚の女優(たぶん真矢みき)が話していたのを見て、僕もひどく頷いてしまった。
女優は、「地理に凝っている」という話をした。
「私も好きですよ」と、タモリが相槌を打つ。
「私、地図マニアで、地図を見るのが好きなんですよ」
「私も、暇なときは地図を見てますよ」
「そうですかー。地図は面白いですよね」
「地図もいろいろ変わりますしね。道ができたり橋ができたりすると」
「最近は、地形が気になって、地形図も見ているんです」
「そこまで行きましたか。女性としては珍しいですね」
「ですから、移動にも飛行機はあまり使いません。列車です」
「私も列車です。列車マニアです。汽車マニアというのとは少し違うんですがね」
「列車で走っていると、ここがこの前と違ったと分かるんですよね」
「そうなんです。博多まで列車・新幹線で行くというと、そんな長い時間退屈しませんかと言う人がいるんですが、退屈なんかしませんよ。あちこち見なくちゃいけないんで、忙しいんです」
「そうです。いろいろ見なければいけないんで忙しいですよね。この前、地形を見るために、どこそこ(場所は忘れた)へ行ってきました」
「そこへ行きましたか。そこは面白いところでしょう」
「ええ、暇があったら地図を見て行き先を決めているんですよ」
「私も、時間があればねぇ~、列車の旅をしたいんですが。この前は、用事で、博多まで日帰りをしましたよ。列車で」
「それは、すごい!」
といった話が、いつ終わるともなく続くのだった。いや、残念ながら、話は時間制限のため10余分で終わったのだった。
僕は、タモリや元宝塚女優のように、地図や地形マニアではないので、車窓の景色を見るのに忙しいと思ったことはなく、ただぼんやりと見ているのが心地いいのである。それで、今度こそ読書をと思いながら、いつもそれを果たせず列車は終着駅に着く。
僕が、旅に出るとき持って出る本は大体が決まっている。若いとき読みそこなった本である。本棚に積んだままになった本で、それでいて気にかかっている本である。
それらは、「サフォー(哀愁のパリ)」(アルフォンス・ドーデ)、「愛人(ラ・マン)」(M・デュラス)、「北回帰線」(ヘンリー・ミラー)、「キャンディ」(デリイ・サザーン)、「どくろ杯」「ねむれ巴里」「西ひがし」(金子光晴)などで、その時の気分に応じてあわててバッグに入れることになる。大体が出発前はばたばたで、熟考している暇はない。この中で、金子光晴の旅の3部作はすでに読んでいるのだが、旅というとつい手が伸びる本である。
時たま、新刊ですぐ読みたいというのが入るときがあるが、旅には古典がいい。僕の横にいて一緒に旅しているという安心感のある本、何度読んでも初めてのような色褪せない文体を持った本がいい。
また、佐賀から東京へ列車で帰る。今度はどこまで読めるかな、「哀愁のパリ」を。
そのうち、この旅の道づれに、プルーストの「失われた時を求めて」が加わるかもしれない。これだと、いつ終わるとも知れないので、僕のような旅には相応しいように思える。