街の明かりがとてもきれいねヨコハマ……
横浜は加速度的に姿を変えている。
特に海辺の山下公園から続く埠頭の景色はすっかり変わったし、今なお変わりつつある。横浜埠頭に、空高くロープウェイが飛行しているのを知っていましたか?
(写真は、黄昏時の万国橋からミナトミライ方面の景色)
時が速いのは知ってはいたが。おとそ気分でうたた寝している間に、正月の松の内も明けてしまった。
振りかえれば既に去年のことになるが、近年の年末恒例となった横浜散策&中華街・満州料理食行を、12月28日、湘南の士と行った。
今回の横浜散策の目的(目標)は、ホテル・ニューグランドから山下公園を抜けて、横浜税関資料展示室、新港埠頭の海上保安庁資料館横浜館を見て、臨港線の廃線跡である汽車道を歩き、その道に並行して運河パークと桜木町を結ぶロープウェイのヨコハマ・エア・キャビンに乗ることである。
そして最終地は中華街、満州料理。
*日本洋裁発祥の地→ホテル・ニューグランド→山下公園
午後1時半、みなとみらい線・元町中華街駅前から出発。
中華街方面の地上の出口を出たすぐのところに、赤茶色の台座の上にクラシックな洋装の婦人の銅像が建っているのが目に入った。素通りしそうだったが、よく見ると、なんと「日本洋裁発祥の地」の記念碑だ。
碑文には「1863年 (文久3年) 英国人ミセス・ピアソンが 横浜居留地97番にドレス ・メーカーを開店したのが 横浜の洋裁業の始まりである。その頃から在留西洋婦人は 自家裁縫のため日本人足袋職人・和服仕立職人を入仕事として雇い、これにより婦人洋服仕立職人が育った……」とある。
母が洋裁業をやっていて、私の編集者としての出発が服飾誌「ドレスメーキング」なので感慨深いものがあった。私のなかで、洋裁の師と思うのは杉野芳子のみである。
次はスパゲッティ・ナポリタンの発祥の地「ホテル・ニューグランド」へ。
ホテル・ニューグランドは、戦後マッカーサーの占領軍に摂取されたことでも有名な、横浜の代表的なクラシック・ホテルである。
山下公園からはよく見えるのだが、実際中に入ったことはなかったので、この機会のコーヒーでも、コーヒー一杯では悪ければスパゲッティ・ナポリタンでもと思って、扉を開いた。
中に入ると、重厚で薄暗い雰囲気と思っていたが、思ったより明るいが、さすがに落ち着いた雰囲気だ。
入った1階のすぐのところにカフェがある。ところが、その前の椅子に数人が座っている。ウェイターがやって来て満席を告げたので、どのくらい待つのか訊いてみたら約1時間と言う。夜はおそらくカップルで混むだろうからと予測し、この時間にしたのだが、それでも1時間待ちとはいかんせん、今回は諦めることにした。
ここは、昔から変わらない人気な観光スポットなのだろう。
ホテル・ニューグランドの前は、もう「山下公園」である。
海辺に浮かぶ氷川丸を眺め、船内を見回ったのはもう3年前、2018年の年末かと思いを巡らせながら公園内を歩くと、公園中央辺りで噴水に囲まれた「水の守護神」の像が目立つ。奥には、オリエンタルなインド式水飲み場の「インド水塔」が異彩を放っている。
北原白秋詩による童謡で馴染みの深い「赤い靴はいてた女の子」像も、静かに膝を立ててしゃがんでいる。
*横浜税関→赤レンガ倉庫→海上保安資料館
山下公園を抜けた先の海岸通りには「横浜税関」が待っている。関東大震災で倒壊した庁舎を1934(昭和9)年に復建したもので、緑青色のドームがシンボルとなっている。
税関の建物は、門司港駅にある1912(明治45)年に建てられたレンガ造りの旧門司税関の建物が美しいが、この横浜税関も風情がある。
さっそく建物の正面にある「横浜税関資料展示室」を見ることにする。入場料は無料だ。
横浜税関の歴史とともに、押収した密輸品の実物を展示しているのが面白い。
横浜税関を出て新港埠頭の方に向かうと、赤いレンガの棟が見える。
この辺りはまったく風景が変わった。
会社勤めの1980年代後半の頃、週末には訳もなく世田谷から第3京浜を車で飛ばして山下公園に行き、ただ海を見て帰っていた時期がある。その時、車を停めていたのが、横浜税関脇から倉庫に向かう道だった。ここはいつも薄暗く人通りがなく、警官の見回りも来ないので車の駐車にはよかった。
その裏通りだった道が別の道だと思う洒落た通りに、遠くに見えるのはエキゾチックな建物と化した「赤レンガ倉庫」となっている。まるで「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のようだ。
とりあえず「横浜赤レンガ倉庫」に入ってみた。
小物からレストランまで、様々な店がぎっしりと並んでいる。上野のアメ横を今風若者向けにした感じだ。
赤レンガ倉庫は、外から見ると風格があって格好いい。
赤レンガ倉庫の先の新港埠頭にあるのが「海上保安資料館横浜館」である。「工作船展示館」とあるので入ってみる。
入口を入ると、いきなり巨大なマッコウクジラのような、錆びて赤茶けた鉄の船が目に入る。これが北朝鮮の工作船かと、思わずうなりたくなる異様な迫力感だ。
船尾には2連の対空機関銃が備えてある。船体にはいくつも銃弾の跡がある。
説明によると、2001(平成13)年12月22日、九州南西海域で不審船を発見したので、巡視船・航空機で追跡。停船命令を出したが、逃走したので威嚇射撃。しかし不審船より攻撃を受けたので正当防衛射撃を行う。その後、不審船は自爆して沈没した、とある。
その沈没した不審船を引き揚げたのが、ここに陳列されている船である。調べた結果、この不審船は北朝鮮の工作船と結論した。
船体にある銃痕は日本の巡視船が放ったものである。つまり、銃撃戦が行われたのを物語っている。
平成の時代のことだから、この事件はそんなに遠い出来事ではないのに、もう記憶のかなたに追いやられていた。この沈没船を見なかったら、遠からず忘れていただろう。
海上保安資料館を出て、臨港線の廃線跡が残る汽車道に向かった。
横浜は加速度的に姿を変えている。
特に海辺の山下公園から続く埠頭の景色はすっかり変わったし、今なお変わりつつある。横浜埠頭に、空高くロープウェイが飛行しているのを知っていましたか?
(写真は、黄昏時の万国橋からミナトミライ方面の景色)
時が速いのは知ってはいたが。おとそ気分でうたた寝している間に、正月の松の内も明けてしまった。
振りかえれば既に去年のことになるが、近年の年末恒例となった横浜散策&中華街・満州料理食行を、12月28日、湘南の士と行った。
今回の横浜散策の目的(目標)は、ホテル・ニューグランドから山下公園を抜けて、横浜税関資料展示室、新港埠頭の海上保安庁資料館横浜館を見て、臨港線の廃線跡である汽車道を歩き、その道に並行して運河パークと桜木町を結ぶロープウェイのヨコハマ・エア・キャビンに乗ることである。
そして最終地は中華街、満州料理。
*日本洋裁発祥の地→ホテル・ニューグランド→山下公園
午後1時半、みなとみらい線・元町中華街駅前から出発。
中華街方面の地上の出口を出たすぐのところに、赤茶色の台座の上にクラシックな洋装の婦人の銅像が建っているのが目に入った。素通りしそうだったが、よく見ると、なんと「日本洋裁発祥の地」の記念碑だ。
碑文には「1863年 (文久3年) 英国人ミセス・ピアソンが 横浜居留地97番にドレス ・メーカーを開店したのが 横浜の洋裁業の始まりである。その頃から在留西洋婦人は 自家裁縫のため日本人足袋職人・和服仕立職人を入仕事として雇い、これにより婦人洋服仕立職人が育った……」とある。
母が洋裁業をやっていて、私の編集者としての出発が服飾誌「ドレスメーキング」なので感慨深いものがあった。私のなかで、洋裁の師と思うのは杉野芳子のみである。
次はスパゲッティ・ナポリタンの発祥の地「ホテル・ニューグランド」へ。
ホテル・ニューグランドは、戦後マッカーサーの占領軍に摂取されたことでも有名な、横浜の代表的なクラシック・ホテルである。
山下公園からはよく見えるのだが、実際中に入ったことはなかったので、この機会のコーヒーでも、コーヒー一杯では悪ければスパゲッティ・ナポリタンでもと思って、扉を開いた。
中に入ると、重厚で薄暗い雰囲気と思っていたが、思ったより明るいが、さすがに落ち着いた雰囲気だ。
入った1階のすぐのところにカフェがある。ところが、その前の椅子に数人が座っている。ウェイターがやって来て満席を告げたので、どのくらい待つのか訊いてみたら約1時間と言う。夜はおそらくカップルで混むだろうからと予測し、この時間にしたのだが、それでも1時間待ちとはいかんせん、今回は諦めることにした。
ここは、昔から変わらない人気な観光スポットなのだろう。
ホテル・ニューグランドの前は、もう「山下公園」である。
海辺に浮かぶ氷川丸を眺め、船内を見回ったのはもう3年前、2018年の年末かと思いを巡らせながら公園内を歩くと、公園中央辺りで噴水に囲まれた「水の守護神」の像が目立つ。奥には、オリエンタルなインド式水飲み場の「インド水塔」が異彩を放っている。
北原白秋詩による童謡で馴染みの深い「赤い靴はいてた女の子」像も、静かに膝を立ててしゃがんでいる。
*横浜税関→赤レンガ倉庫→海上保安資料館
山下公園を抜けた先の海岸通りには「横浜税関」が待っている。関東大震災で倒壊した庁舎を1934(昭和9)年に復建したもので、緑青色のドームがシンボルとなっている。
税関の建物は、門司港駅にある1912(明治45)年に建てられたレンガ造りの旧門司税関の建物が美しいが、この横浜税関も風情がある。
さっそく建物の正面にある「横浜税関資料展示室」を見ることにする。入場料は無料だ。
横浜税関の歴史とともに、押収した密輸品の実物を展示しているのが面白い。
横浜税関を出て新港埠頭の方に向かうと、赤いレンガの棟が見える。
この辺りはまったく風景が変わった。
会社勤めの1980年代後半の頃、週末には訳もなく世田谷から第3京浜を車で飛ばして山下公園に行き、ただ海を見て帰っていた時期がある。その時、車を停めていたのが、横浜税関脇から倉庫に向かう道だった。ここはいつも薄暗く人通りがなく、警官の見回りも来ないので車の駐車にはよかった。
その裏通りだった道が別の道だと思う洒落た通りに、遠くに見えるのはエキゾチックな建物と化した「赤レンガ倉庫」となっている。まるで「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のようだ。
とりあえず「横浜赤レンガ倉庫」に入ってみた。
小物からレストランまで、様々な店がぎっしりと並んでいる。上野のアメ横を今風若者向けにした感じだ。
赤レンガ倉庫は、外から見ると風格があって格好いい。
赤レンガ倉庫の先の新港埠頭にあるのが「海上保安資料館横浜館」である。「工作船展示館」とあるので入ってみる。
入口を入ると、いきなり巨大なマッコウクジラのような、錆びて赤茶けた鉄の船が目に入る。これが北朝鮮の工作船かと、思わずうなりたくなる異様な迫力感だ。
船尾には2連の対空機関銃が備えてある。船体にはいくつも銃弾の跡がある。
説明によると、2001(平成13)年12月22日、九州南西海域で不審船を発見したので、巡視船・航空機で追跡。停船命令を出したが、逃走したので威嚇射撃。しかし不審船より攻撃を受けたので正当防衛射撃を行う。その後、不審船は自爆して沈没した、とある。
その沈没した不審船を引き揚げたのが、ここに陳列されている船である。調べた結果、この不審船は北朝鮮の工作船と結論した。
船体にある銃痕は日本の巡視船が放ったものである。つまり、銃撃戦が行われたのを物語っている。
平成の時代のことだから、この事件はそんなに遠い出来事ではないのに、もう記憶のかなたに追いやられていた。この沈没船を見なかったら、遠からず忘れていただろう。
海上保安資料館を出て、臨港線の廃線跡が残る汽車道に向かった。