盆といえば旧暦7月15日にあたる中元節の日だったのが、今は殆ど.新暦8月15日に祝われる。
その盆から大分遅れて、秋の声も聞かんとする9月1日から3日にかけて富山市八尾(やつお)で「おわら風の盆」なる踊りの祭りが行われた。
この「おわら風の盆」とは、真中から折った長い編み笠を目深に被った男女が、3日3晩富山市八尾の街中を優雅に踊り歩く祭りである。何度か小説の舞台にもなり、隠れた人気になっていた。
仙台の大学で民俗舞踊を研究していた友人の誘いもあって、富山に行ってみた。
北陸新幹線ができて、金沢、富山は相当近くなった。最も速い特急「かがやき」だと2時間10~15分で富山に着くが、往きは、もう少し停まる駅の多い「はくたか」に乗る。
9月1日、東京駅で東京弁当なる駅弁を買って特急「はくたか」に乗車。
旧東京駅を描いた包装紙のこの弁当は、今半の牛肉タケノコや魚久のキングサーモン粕漬けなど、東京の老舗の味を集めた幕の内である。最近は駅弁を食べるのが、長距離列車に乗る楽しみとなった。
10時32分に東京駅を出発した列車は、上野、大宮を通って高崎に着く。高崎から軽井沢を過ぎ上田へ。ここからは各駅停車となる。若いときに付きあったことのある上田出身の女の娘は、今頃どうしているだろうと考える間もなく長野に着く。
田園と山あいを見ながら進む列車は、糸魚川あたりで海が見える。日本海だ。
次の黒部宇奈月温泉駅では、トロッコ列車に乗ったのを思い出した。そのときは、乗る直前に急に天候が悪化し雨が降り出した。窓ガラスのない骨組みだけのガタゴト列車だったので、情緒を味わう余裕もなく冷たい雨に打たれ震えながら進んだ。
そのときは夜に富山市内に着き、市内のホテルに泊まったのだが、次の日は朝すぐにバスで立山黒部の観光へ行ったので、富山市の知識はまったくない。
新幹線の黒部宇奈月温泉駅の次は富山で、13時17分に着。「はくたか」の東京からの所要時間は2時間45分である。
*
富山駅前は、すでにいくつかの出店があり幟もたって、この日から始まる「風の盆」のお祭りモードである。
ホテルに荷物を預け、高山本線猪谷方面行きの富山駅14時5分発の電車に乗る。祭りの期間中は、富山から越中八尾間は多くの臨時電車が組んである。深夜0時台も3本あり、最終は0時59分と東京都心並みの遅い時間である。
越中八尾駅には14時37分着だから、富山駅から約30分で着く。
越中八尾駅前は、ごく普通の地方の駅前だ。普段は閑散としているだろうと思える駅前も、この日は出店がいくつか出ている。駅から少し歩いた先の井田川とその支流の間が八尾の中心街のようだ。
ガイドブックの地図にそって、街中の方に向かって歩いていると橋があり、橋を渡った先に踊りに繰り出さんとするグループに出くわした。子どもも交じっていて、母親が傍らで見守っている。街の端になる天満町だという。
さらになだらかな坂を街の中心の方に歩いていくと、別の踊っているグループにぶつかった。11の町ごとに街中を踊り歩く「町流し」で、ここは下新町だという。
甲高い歌とともに、三味線と胡弓の音に合わせて、女性と男性がそろいの浴衣と法被を着て踊りながら歩を進める。深く被った傘で踊り子の表情はわかりづらいが、そこがかえって艶っぽい。聞くところによると、踊り子は25歳以下でなければいけないという。だから、身体の動きがしなやかなのかなどと想像してしまう。
地図を見ながら、街をさかのぼって歩いていくと、いくつかの町の「町流し」に出くわした。(写真)
街中で、地元の町の人の踊りの出し物に出くわすという趣向は、長崎のさるく(歩く)「くんち」に似ている。長崎のくんちは、町ごとに出し物が異なっていて、盆踊りのような和風の踊りの町もあれば有名な蛇踊りや南蛮船を引き回す町もあるなど変化に富んでいるが、ここ八尾はどこの町も風の盆の踊り一色である。
街の奥に位置する諏訪町を連なる一本の道は、道の両側に並んだ灯籠の明かりもあって美しい。
午後7時から9時まで、小学校のグランドに設えた演舞場で、5つの町の踊りの出演が行われた。
そのあと上新町では、一般の人も加わって躍る「輪踊り」が深夜まで行われる。
友人が懇意にしているその上新町の呉服屋さんの坪庭で特別に行われた、男女2名ずつの風の盆の踊りを見せてもらった。街中ではなく家の中での踊りは、何となく密やかだ。
この日、ホテルに帰ったのは深夜零時過ぎだった。
*
翌9月2日、午前中は富山市内の民族民芸村を見て、昼食の後、再び越中八尾へ。
昨日のように、夕方、街中を歩きながら「町流し」を楽しむ。
午後7時から9時半まで、やはり小学校のグランドの演舞場で、昨日出演した5つを除いた6つの町の踊りを見ることに。
全11町の踊りを見た訳だが、浴衣の色や柄の違いはともかく、基本に則った各町の踊りに大きな違いがあるわけではないので、素人には同じ踊りに見えた。
2日目は、時計の針を巻き戻したような、昨日初日のデジャブの行動となった。
やはり、この日もホトルに戻ったのは深夜1時近くだった。
風呂に入り、疲れていたので泥のように眠った。
その盆から大分遅れて、秋の声も聞かんとする9月1日から3日にかけて富山市八尾(やつお)で「おわら風の盆」なる踊りの祭りが行われた。
この「おわら風の盆」とは、真中から折った長い編み笠を目深に被った男女が、3日3晩富山市八尾の街中を優雅に踊り歩く祭りである。何度か小説の舞台にもなり、隠れた人気になっていた。
仙台の大学で民俗舞踊を研究していた友人の誘いもあって、富山に行ってみた。
北陸新幹線ができて、金沢、富山は相当近くなった。最も速い特急「かがやき」だと2時間10~15分で富山に着くが、往きは、もう少し停まる駅の多い「はくたか」に乗る。
9月1日、東京駅で東京弁当なる駅弁を買って特急「はくたか」に乗車。
旧東京駅を描いた包装紙のこの弁当は、今半の牛肉タケノコや魚久のキングサーモン粕漬けなど、東京の老舗の味を集めた幕の内である。最近は駅弁を食べるのが、長距離列車に乗る楽しみとなった。
10時32分に東京駅を出発した列車は、上野、大宮を通って高崎に着く。高崎から軽井沢を過ぎ上田へ。ここからは各駅停車となる。若いときに付きあったことのある上田出身の女の娘は、今頃どうしているだろうと考える間もなく長野に着く。
田園と山あいを見ながら進む列車は、糸魚川あたりで海が見える。日本海だ。
次の黒部宇奈月温泉駅では、トロッコ列車に乗ったのを思い出した。そのときは、乗る直前に急に天候が悪化し雨が降り出した。窓ガラスのない骨組みだけのガタゴト列車だったので、情緒を味わう余裕もなく冷たい雨に打たれ震えながら進んだ。
そのときは夜に富山市内に着き、市内のホテルに泊まったのだが、次の日は朝すぐにバスで立山黒部の観光へ行ったので、富山市の知識はまったくない。
新幹線の黒部宇奈月温泉駅の次は富山で、13時17分に着。「はくたか」の東京からの所要時間は2時間45分である。
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富山駅前は、すでにいくつかの出店があり幟もたって、この日から始まる「風の盆」のお祭りモードである。
ホテルに荷物を預け、高山本線猪谷方面行きの富山駅14時5分発の電車に乗る。祭りの期間中は、富山から越中八尾間は多くの臨時電車が組んである。深夜0時台も3本あり、最終は0時59分と東京都心並みの遅い時間である。
越中八尾駅には14時37分着だから、富山駅から約30分で着く。
越中八尾駅前は、ごく普通の地方の駅前だ。普段は閑散としているだろうと思える駅前も、この日は出店がいくつか出ている。駅から少し歩いた先の井田川とその支流の間が八尾の中心街のようだ。
ガイドブックの地図にそって、街中の方に向かって歩いていると橋があり、橋を渡った先に踊りに繰り出さんとするグループに出くわした。子どもも交じっていて、母親が傍らで見守っている。街の端になる天満町だという。
さらになだらかな坂を街の中心の方に歩いていくと、別の踊っているグループにぶつかった。11の町ごとに街中を踊り歩く「町流し」で、ここは下新町だという。
甲高い歌とともに、三味線と胡弓の音に合わせて、女性と男性がそろいの浴衣と法被を着て踊りながら歩を進める。深く被った傘で踊り子の表情はわかりづらいが、そこがかえって艶っぽい。聞くところによると、踊り子は25歳以下でなければいけないという。だから、身体の動きがしなやかなのかなどと想像してしまう。
地図を見ながら、街をさかのぼって歩いていくと、いくつかの町の「町流し」に出くわした。(写真)
街中で、地元の町の人の踊りの出し物に出くわすという趣向は、長崎のさるく(歩く)「くんち」に似ている。長崎のくんちは、町ごとに出し物が異なっていて、盆踊りのような和風の踊りの町もあれば有名な蛇踊りや南蛮船を引き回す町もあるなど変化に富んでいるが、ここ八尾はどこの町も風の盆の踊り一色である。
街の奥に位置する諏訪町を連なる一本の道は、道の両側に並んだ灯籠の明かりもあって美しい。
午後7時から9時まで、小学校のグランドに設えた演舞場で、5つの町の踊りの出演が行われた。
そのあと上新町では、一般の人も加わって躍る「輪踊り」が深夜まで行われる。
友人が懇意にしているその上新町の呉服屋さんの坪庭で特別に行われた、男女2名ずつの風の盆の踊りを見せてもらった。街中ではなく家の中での踊りは、何となく密やかだ。
この日、ホテルに帰ったのは深夜零時過ぎだった。
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翌9月2日、午前中は富山市内の民族民芸村を見て、昼食の後、再び越中八尾へ。
昨日のように、夕方、街中を歩きながら「町流し」を楽しむ。
午後7時から9時半まで、やはり小学校のグランドの演舞場で、昨日出演した5つを除いた6つの町の踊りを見ることに。
全11町の踊りを見た訳だが、浴衣の色や柄の違いはともかく、基本に則った各町の踊りに大きな違いがあるわけではないので、素人には同じ踊りに見えた。
2日目は、時計の針を巻き戻したような、昨日初日のデジャブの行動となった。
やはり、この日もホトルに戻ったのは深夜1時近くだった。
風呂に入り、疲れていたので泥のように眠った。