写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

松山城

2018年12月24日 | 旅・スポット・行事

 日本の城は、かつては2万5000以上もあったが、江戸時代の「一国一城令」、明治時代の「廃城令」により多くの城が失われ、さらに戦時中には、空襲などでも失なわれてしまい、江戸時代以前からの天守が現存しているのは次の12天守だけである
 
 まずは国宝に指定されている
姫路城・彦根城、犬山城・松本城・松江城の5城、その他は、高知城・宇和島城、備中松山城・松山城・弘前城・丸亀城、丸岡城の7城である。これら12天守のうち、国宝5城は全て観たことはあるが、入城したことがあるのは姫路城と松江城だけである。

 この度、12天守のうち、近くにあるのによく知らない松山城と丸亀城を見たく思い、久しぶりにフエリーに乗って四国に渡ってみた。まずは松山城へ向かった。町の真ん中にある海抜132mの勝山山頂に1627年に完成したものである。

 何度かの火災で天守は消失し、現在の天守は1854年復興したもので、我が国最後の完全な城郭建築といわれている。山頂まではロープウエイで登ったが、まずは目の前にそびえるように築かれた有名な「登り石垣」に圧倒される。

 「登り石垣」とは、山腹から侵入しようとする敵を阻止する目的のため、ふもとの館と山頂の天守を、山の斜面を登る2本の石垣で連結させたもので、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、日本遠征軍が
城を築く際に採った防備手法と言われているものである。

 年末すす払いのため、残念ながら城内に立ち入ることはできなかったが、天守の他、小天守や櫓など21棟の重要文化財が残る見ごたえのある城郭建築を堪能した。機会を作って次回は、やはり現存12天守である宇和島城・高知城を見に行くついでに、松山城の内部を観てみたいと思っている。