写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

ニセアカシア

2021年03月06日 | 季節・自然・植物

 裏山の散歩道の2合目に、ミモザの木が1本ぽつんと立っていて、数日前からポンポンのような小さく丸い黄色の花が咲き始めている。4合目にある林には、背の高いアカシアの木が10本ばかり群生している。5月になれば、藤のように房状の白い小花を沢山咲かせる。

 アカシアと言えば、中国の大連で生まれた私にとっては忘れることのできない花である。街路樹には、どこにもアカシアが植えられていたことを覚えている。引き揚げた後も母から「アカシアの花房は、よく天ぷらにして食べていた」と何度も聞かされていた。

 ところが十数年前、私が知っているアカシアは本来のアカシアではなく、マメ科ハリエンジュ属の「ニセアカシア」といい、和名は「ハリエンジュ」というものであることを知った。

 明治期に日本に輸入された当初は、このニセアカシアをアカシアと呼んでいた。後に本来のアカシアの仲間が日本に輸入されるようになり、区別するためにニセアカシアと呼ぶようになったという。

 では、本来のアカシアとは一体どんな花なのか。本来のアカシアの花とは、放射相称の形状で黄色をした「ミモザ」のことだという。

ミモザとは、フサアカシアなどのマメ科アカシア属の植物の俗称。昔、イギリスで南フランスから輸入されるフサアカシアの切花を「mimosa」と呼んだことから誤用された。日本で使われている「ミモザ」という言葉は、「アカシアの仲間の花」を総称した言葉である。

 本当のアカシアは「ミモザ」のことで、長い間アカシアだと信じ込んでいたものが「ニセアカシア」だったとは。あたかも育ての親を生みの親だと信じていたのに、長じて、そうではなかったことを知った時の感情にも似た思いであったが、これはこれですっきりとした。

 ミモザの花は鮮やかな黄色い花。ポンポンのような小さく丸い花が集まって咲く。3月8日はイタリアでは「ミモザの日」となっていて女性に感謝を伝える記念日だという。ミモザの花言葉は、ずばり「感謝」。

 それにしてもニセ呼ばわりされている「ニセアカシア」の立場はどうなるのか。大連の街路樹や若いころから歌ってきた「アカシアの雨がやむとき」「赤いハンカチ」、白秋の「この道」など数々の歌にある「アカシア」は、全て「ニセアカシア」を歌ったものだというではないか。「ニセ」と名が付けられてはいるが「ニセアカシア」は、私の心の中ではやっぱり正調な「アカシア」である。
   (写真は「ミモザ」)

 

 


八重山神社

2021年03月03日 | 旅・スポット・行事

 日曜日の夜、今人気のある「ポツンと一軒家」というテレビ番組を見ていた。今回は島根県の出雲の山奥に住む老夫婦の物語であった。場所は 雲南市の掛合町入間で、冬は雪深いが江戸時代から住んでいる。昔は、たたら製鉄や炭焼きで随分と賑わったようであるが、今はたった一軒でひっそりと暮らしている。

 近くに、巨大な岸壁に張り付くように八重山神社という立派な神社が建っている。テレビ局のスタッフをこの神社に案内した。昔から、氏子のいない神社であり、牛馬の守護神として崇敬されてきた。岩窟の中に建つ八重山神社への苔むした長い石段は、さながら幽玄の世界へ誘われるようである。

 神社に登る石段の下に、一瞬、テレビの画面に神社の案内板が映った。書かれている文字の中に「宇野千代」という文字が目に入った。「あっ、宇野千代と何か関係がある神社なのか」と思い、番組が終了した後、ネットで調べてみた。

 宇野千代が書いた『八重山の雪』という小説がある。文藝春秋から昭和50年に発行された『薄墨の桜』に収録されている。主人公は「はる子」という女である。大平洋戦争終結後、松江市の古志原にあった63連隊の跡地に駐屯していたイギリスの兵隊ジョージと知り合う。はる子は或る男と結婚することになっていたが、それを振り切ってジョージと岡山に逃げた。しかし直ぐに連れ戻されるが、ジョージは軍隊を脱走し、はる子と暮らし始める。父が、2人を飯石郡(現 雲南市)掛合町入間にある八重山の遠縁の家に住まわせる。ジョージは炭焼きを始めた、という小説のようである。

 「最初の仕事場は、あの、牛の神さまと言うて諸国のお人に知られています、八重山神社の裏手を廻った奥山でございました」と書き出しているという。この作品は実話であると言われている。

 宇野千代は、まさにこの場所を舞台にした小説を書いていたことを、ひょんなことから知った。調べてみると雲南市には、温泉宿もあり見どころもあるところのようである。いつか機会を見て是非この八重山神社を尋ねてみたいと思わせるような佇まいである。テレビ番組を見ていて、「ひょうたんから駒」ならぬ「ポツンと一軒家」から「宇野千代ゆかりの地」を見つけたという、たわいないお話である。

 


合目

2021年02月25日 | スポーツ・山登り・釣り・遊び

 先日、裏山の桜ヶ峠までの1.4kmの登山道を10等分した個所に、山登りする人の目安として自称「1町塚」という道標を掲げておいた。太いマジックインキで、立木やガードレールに「1号目」とか「5号目」などと目立つような個所を選んで書いておいた。

 数日たったころ、この道標を見ながら山歩きしているとき、奥さんが「この『号目』という書き方はおかしいのではないかしら」と言う。改めて言われてみればそうである。山歩きをしているときに見る道標では「号目」ではなくて「合目」と書いてある。改めて「合目」と書く理由を調べてみた。

 「合」とは、尺貫法における体積の単位である。中国・漢代の長さの標準器であった黄鐘管を満たす水の量の2倍の量に由来するもので、2倍であるので「合」という名称となった。後に升と関連づけられて、その10分の1の量とされるようになった。そこから「合」自体が「10分の1の量」という意味となり、登山道の目安を表す単位が生まれた。麓から頂上までを10合に分けるが、単純に高さや距離で等分しているのではなく、実際に歩いて登る際に要する時間がおおよその基準になっているため、険しい場所や坂の急な場所では1合の長さが短くなっている。

 他にもいろいろな説があるようだが、『富士の研究』(全六巻・富士山本宮浅間神社社務所・昭和3年刊)には、次のようなことが書いてあるという。
(1)富士山の形が枡に米を盛った時の形に似ているので、穀物を計る単位「合」を用いた。
(2)梵語の『劫』が『合』に変化した。つまり、富士登山の苦しさを人生の苦難にみたて、その難しさを劫数、すなわち合目で表した。
(3)富士山頂のことを御鉢といい、仏教用語でもおそなえする米を御鉢料と言うところから、米にたとえて「合」で区分した。
(4)昔、夜は行灯を灯しながら登っていたので、その行灯の油が一合燃え尽きる道のりで区切った。

 こんなことからであろうか、昔から山の道標としては「合目」が使われている。裏山の道も一応登山道である。それであれば「号目」ではまずかろう。詳しい理由が分からないまま、翌日、「号目」を「合目」に書き直して歩いた。これで名実ともに立派な道標と認知されることを期待したいが、果たして何人の人が「号目」と「合目」の違いに気がついてくれるだろうか。


小積の河津桜

2021年02月24日 | 旅・スポット・行事

 毎年この季節に「川津桜を見に行った」という話を聞くことがある。河津桜と言っても、伊豆の河津町まで出かけてきたという話ではない。近くに植樹されている所があり、このシーズンに一般の人に解放されているのを見に行ったという話である。

 この年になるまで、ソメイヨシノの下では毎年花見をしてきたが、ついぞ河津桜のお世話になったことはない。ネットで調べてみると、近くの周防大島町の小積(おつみ)、下松市の笠戸島、上関町の城山歴史公園などで見ることが出来ることを知り、小積に行ってみることにした。

 その前に河津桜についても少し調べてみた。「河津桜とは、日本固有種のオオシマザクラとカンヒザクラ
の自然交雑から生まれた日本原産の栽培品種の桜のこと。一重咲きで4cmから5cmの大輪の花を咲かせ、花弁の色は紫紅。早咲きが大きな特徴で、2月から3月上旬に開花し花期は1ヶ月と長い。1955年に伊豆の河津川沿いの雑草の中で1mほどの原木を偶然発見し、庭先に植えたことが由来である」。

 これくらいの予備知識を携えて、周防大島にわたり時計回りに走って、まずは我が家から60kmのところにある片添ガ浜を目指す。ここまでくれば小積まではあと3kmである。11時に着いたが、すでに30人ばかりの観光客が来ている。私有地の山の斜面に50~60本の河津桜が満開に近い状態で咲いている。

 ソメイヨシノが淡いピンクであるのに比べると、紫がかった濃い赤色で、花の大きさも2回りほど大きい。今が満開のようであるが、この状態はまだしばらく続くという。

 もう少し先にも同じように植樹してあるところがあり、訪れた客で賑わっている。伊豆の河津で見つけられた桜が、こんな遠くまでやってきて、多くの人を楽しませてくれている。これならわざわざ河津まで出かけなくてもいいようだ。

 春の瀬戸内海は、あたかもガラスの破片を散りばめたようにきらきらと光っている。デジカメを取り出して海をバックに河津桜を写した後、奥さんを撮っているとき、後ろから「お二人お揃いで撮りましょうか」という声がかかってきた。

 同年配の見知らぬご夫婦であったが、お言葉に甘えて久しぶりにツーショットで収まってみた。河津桜の長い花期にあやかって、末永く仲良く過ごしたいと思いながら、お返しに撮って上げましょうと言うと、やんわりと断られた。ひょっとすると、訳ありの2人だったかも?と、ゲスの勘繰りをしてみた。

 

 


格安スマホプラン

2021年02月22日 | 生活・ニュース

 4年前、電話機能しかないケータイから、UQモバイルという格安のスマホに乗り換えた。車を運転するとき、公衆電話の代わりの備品として携帯している。そのほかは、外出時、ネットで情報取集するために時々使う程度である。

 そんな使い方でも、毎月2950円ばかりを支払っていた。ところが、昨年来、大手の携帯電話の各社が、競うようにして低額のスマホプランを売り出し始めた。2㎇、5分以内かけ放題の電話であれば、毎月2980円という低額プランを売り出した。

 ずいぶん安くなったものだと感心していたが、これであれば今使っている格安スマホのUQモバイルの出番はなくなっている。こちらの方も割安のものは出ないものかと思っているとき、先日、期待していた新料金の広告が出ているのを見つけた。

 3㎇、10分以内かけ放題の電話で、月額が約2300円というものである。この広告を見て、早速電器店に出向き契約の変更を行った。月にわずか600円の節約ではあるが、今までは5分以内のかけ放題が10分以内になっている。時間を気にすることなく話ができるのはありがたい。

 大手3社の競争は激化しているが、ユーザーとしてはありがたい競争だ。若者の収入に占める通信費の割合が外国に比べて高すぎるというが、スマホの低額化で恋人同士の会話時間が増え、ひいては出生数も増えるということにつながれば、これこそ 国家発展のための値下げだと言える。

 それにしても、格安プランが出たといういい話を、現在契約している顧客に何の連絡もしないという不親切さに不満を感じている。第一、気がついた者勝ちという姿勢が顧客本位になっていない。車のリコールの通知とは大分性質は違うが、「こんなに格安なプランのものが出来ましたよ。検討してみてください」くらいの度量というか親切心は欲しいものである。

 

 


「生クリームの中の蛙」

2021年02月15日 | 生活・ニュース

 生クリームの瓶に落ちてしまった蛙が2匹いた。2匹とも浮いていることが難しく沈み始める。手足をばたつかせても浮き上がることが出来ない。1匹は「こんなことをしてもどうせだめだ」と諦めて沈んでいった。

 もう1匹は「いくら死が迫っていても最後まで生きるんだ」と足をばたつかせている。しかし、1cmも上がれず同じ場所で何度も足を動かし続けていた。

 すると、さんざん足を動かしたために突然生クリームが固まってバターになり、蛙は驚いて足をけると瓶の縁に飛び移ることが出来て助かった。

 以上は、ブエノスアイレスの精神科医で作家のホルヘ・ブカイ氏の「寓話セラピー」という作品中の「生クリームの中の蛙」という寓話である。この話には「どうやってもダメ」と思って努力を放棄する傾向がある時のヒントが隠されている。今いる環境の中で「自分が出来る限りのことをする」というところだと、この寓話を紹介しているエッセイスト・海原純子さんは書いている。

 努力する前からすでに諦めるのではなく、努力をしてもだめなら諦める。変に大人の対応で諦めるのではなく、泥臭くやっていると思いがけないことが起きることもある。こんな前向きな精神が大分衰えてきた今を、この寓話を読みながら反省する。

 「努力しても達成できないことは多い。しかし、達成できた人はみんな努力してきた」「宝くじを買っても殆ど当たらない。しかし、当たった人は宝くじを買った人である」。何ごとも挑戦してみないと分からないという、誰もが分かっているお話である。

 

 


一町塚

2021年02月12日 | スポーツ・山登り・釣り・遊び

 江戸幕府は、慶長9年(1604年)に全国の主要街道を整備し、日本橋を起点として1里(約4㎞)ごとに道路の両側に5間四方の塚を築き、その上に榎・松・欅などの木を植えた。 

 これを一里塚といい、旅人のための里程標となった。1里は、人間が1時間に歩く距離にほぼ等しく、長距離を歩く旅人にとってはいい目標であったものと思われる。

 最近、夕方の散歩のルートを変えて、少し坂はあるものの裏山に登っている。狭いけれど車が
走ることが出来る舗装道路は、桜ヶ峠を越えて隣の和木町まで続いている。朝夕は混雑する国道の抜け道として通勤する車が多い道路となっている。

 麓から標高150mの桜ヶ峠までの距離は1.4㎞ある。先日、久しぶりにその峠まで歩いてみた。ひと頃に比べると足腰が少し辛く感じられる。そうは言いながら30分そこらで登ることが出来た。

 そして今日のことである。単に山道を上るだけでは刺激がない。「そうだ、麓から峠までの間を10等分して、一里塚に似た印を立木に巻き付けて歩く動機付けにしよう」と思い立った。

 ネットの地図をにらみながら、麓から140mごとのポイントを確認する。幅広のビニールテープにマジックで1から10までの番号を書き込んで、立木に巻き付けながら登っていく。

 ポイント間の距離は140mなので、言ってみれば一里塚ではなく「一町塚」というところか。1町とは、60間で約110mである。下山する道すがら、取り付けたばかりの「一町塚」を見ながら、「あっ、もう5合目か、半分下りたな」などと、今いる場所を理解しながら歩くことが出来るので、体力の配分が計算できる。

 何ごとも、常に自分が立っている位置・立場を確認しながら進めていくということは、進む道を大きく間違えないために大切なことである。言ってみれば「いつも俯瞰的なものの見方」をするということであろう。

 散歩道に手前みそな「一町塚」を取り付けながら、こんなことに考えが及んだが、○○委員会のみならず、世の中、こんなことが出来ない人は結構いるようだ。気をつけたい。
 

 


差別発言

2021年02月11日 | 生活・ニュース

 「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」などと、時代錯誤の女性蔑視発言をしたあげく、居直り謝罪の醜態にもかかわらず、東京オリ・パラ大会組織委員会会長の座にとどまっている森喜朗元首相に対する風当たりは、日を増すごとに強くなっている。

 この発言がテレビで流されたとき、世間が猛烈なバッシングをするのを見て、あの程度の発言で辞任を迫るなんて少し大げさ過ぎないかと一時は感じていた。しかし、ここぞとばかりに、我も我もと森会長たたきはエスカレートしてゆき、今や、女性蔑視の権化にまでされつつある。

 最近はとみに「差別」に厳しくなってきている。行動のみならず言葉でも差別用語は禁じられている。子供の頃は、日常会話で使っていた単語も、今は禁句となっているものは結構ある。

 森会長が発した言葉の中では、単語としての禁句はないが、語られている内容が「性差別による女性蔑視」となっている。改めて「蔑視」とはなにか。「相手をあなどって見くだすこと。ばかにすること」とある。

 オリンピック憲章には「人種、肌の色、性別、性的指向、言語、宗教、政治的またはその他の意見、国あるいは社会的ルーツ、財産、出自やその他の身分など『あらゆる形態の差別』を容認しない」と書いてある。

 日常の会話の中ではよく「今頃の若者は○○だね」とか「血液型のA型の人は○○な人が多いよね」などと、性差ではないにしても、特定な人をつかまえて悪気はなく差別する言葉を発することはよくある。

 厳密にいえばこんな会話も「差別的蔑視」には違いない。特に公人が、特定な多数の人に対しての「差別的な発言」は、今の時代決して許されるものではない。

 飲み会などの席で、複数いる女性の中の1人に対して「おきれいですねえ」という発言も、おきれいでない方に対しての差別発言として、やんややんやと責め立てられかねない。そこの殿方、特に女性を前にしたときは、お互いくれぐれも気をつけましょう。軽い冗談で言ったつもりの言葉が、炎上することになりかねない今日、春隣りとは言いながらも「物言えば唇寒し秋の風」ではある。

 

 

 

 


五橋を渡る

2021年02月08日 | 季節・自然・植物

 2月に入って第1日曜日の7日、日中は16度という3月上旬の陽気に誘われて、久しぶりに錦帯橋へ出かけた。吉香公園の中をゆっくりと車に乗って回ってみるが、どの駐車場も満車状態で止めるところはない。

 錦帯橋の上河原にある広い駐車場もほぼ満車の有り様。少し待って、やっと空いた所に止めることが出来た。下河原の駐車場を見ると、乗用車は日ごろになく多いが、観光バスは1台も止まっていない。コロナ下で不要不急の外出がはばかれ、不本意にも巣ごもり状態を強いられている人が、家族単位で観光に来ているだけであろう。団体客は全くいないようである。

 久しぶりに錦帯橋を渡ってみる。岩国市に住む高齢者に配られている敬老優待券を示せば無料で渡ることが出来る。欄干が思いの外、痛みが進んでいることに気がついた。思えば「平成の架け替え」があったのが、2001年(平成13年)~2004年(平成16年)である。あれからもう16年、過ぎ行く時の速さに少し驚く。

 第2、3、4橋に敷設されている段差の低い階段を1段ずつゆっくりと上り下る。初めて段数を数えてみた。上りと下りで62段、3橋で合計186段ある。5橋の長さは橋面に沿って210mあるので往復して420m。  

 高校時代の3年間、毎日この橋を渡って通学した。特に雪が降って橋の上に積もった日の思い出は強烈である。誰もが一度は滑って転げて笑われたが、笑った者もそのうち転げる。そんなことを思い出して一人密かに笑む。

 車に戻ったときには、陽気のせいもあってか体がポカポカする。今日は夕方の散歩はお休みとしよう。困ったときの錦帯橋。先の見えない長い巣ごもりで鬱積していたものが大分晴れたような気がした。


ああ、ややこしや

2021年02月05日 | 生活・ニュース

 先日、「任期満了に伴う西之表(にしのおもて)市長選挙は、開票の結果、現職が2期目の当選を果たしました」というテレビのニュースを見ていた奥さんが、「『にしのおもて』じゃあなくて、『いりおもて』でしょう。アナウンサーは間違って読んでいるんじゃあないの」という。

 この市長選は、同市の無人島・馬毛島で、国が計画する米空母艦載機の陸上離着陸訓練の移転と自衛隊基地整備が大きな争点となっていた。基地整備に反対していた無所属現職が自民推薦候補を抑えて当選したことが、全国ニュースとなって流されていた。

 「西之表」という文字を見て私も「いりおもて」と読みそうになったが、そう読むには「之」という字が余分である。果たして、アナウンサーの読み違いかどうか、ネットで調べてみた。

 西之表市とは、鹿児島の南西、僅か30㎞のところにある鹿児島県の種子島にある市で「にしのおもてし」と読む。一方「西表島」は「いりおもてじま」と読む。沖縄県の竹富町に属する八重山列島の島の一つ・石垣島の西、20㎞のところにある島の名前である。

 では「西之表」と「西表」、おなじ「西」という字を片方だけは「いり」と読む。その理由は何なのか。沖縄では、東西南北は、東が「あがり」、西が「いり」、南が「はい」、北が「にし」という。従って西表を「いりおもて」と読む。由来は、東と西は太陽が上がって入るところからきているからである。

 「いりおもて」の由来は、昔八重山の中心地であった石垣島や竹富島から見て西にあるからだという。何れにしても、日本の西の海上に「西之表」と「西表」という見た目は似ているが、読み方の違う地名があるということが分かった。ああ、ややこしや、ややこしやである。ここは正確に読んでいたアナウンサーにかんぱ~い。