“いつかあの現場を訪ねてみたい”と思っていた御巣鷹の尾根。友人からの誘いがあり、昨日昇ってきた。昭和60年8月12日午後6時56分・・羽田発大阪行きJAL123便が乗員乗客524人を載せて墜落。奇跡的な生存者が4名。航空事故最大といわれる520名の方が無くなった。39年経った零下5度Cの尾根。真っ青な明るい空の下にあったが、緊迫した空気が漂っていた。
「御巣鷹の尾根」(1565M)は群馬県最西部の上野村と長野県南相木村の境となる県境尾根の辺り。現場の北東にある御巣鷹山(1639M)に直接つながる尾根ではなく、高天ヶ原山(1978M)から伸びる県境尾根にあるという。積雪、凍結の時期に入り御巣鷹のの尾根駐車場(登山口)までの道は既にゲートが閉鎖されていた。登山口まで3・4キロとあり、ここから歩き始めた。
約40分ほどで駐車場に着く。新しく道路ができこの先まで車で行ける。私達はそのまま登山道に入る。道は凍りつき、降った雪が融けずに薄っすらと覆っている。わずかだが人が歩いた後が残り、鹿と思われる足跡や糞も残る。30分ほどで新駐車場と合流。ここまで来ると、目的の地まで約30分。事故から年月が経ち、慰霊登山に昇る人も高齢化しており、新道が整備された。
急坂を登ると慰霊の小石碑などあり、その先に小屋やトイレ。急な斜面には「B10」などの小さな表記プレート。御仏の発見現場を示した場所に思えた。上るに従って増えており、卒塔婆や小さな墓碑が置かれている。日の当たる明るい場所に出たところに昇魂之碑が建てられていた。友人共々改めて深く合掌する。
昇魂之碑の上部、標高1565M地点には墜落の場を示す黒御影石の碑があった。周辺には卒塔婆や小さな墓石など無数にある。悲劇の現場をそのまま再現しているように厳しい空気が流れていた。「お父さん 愛をいっぱいありがとう」などの家族愛に満ちたお別れのことば、友人からの感謝や送別の気持ちなど見て、涙が出るのを抑えきれないことが1回や2回ではなかった。
昇魂之碑の前の尾根沿いの小さな広場。白樺の木越しに諏訪山など南の方向に明るく、大きな展望が開けていた。上空を絶え間なく行き交う飛行機の音。関係者の無事故への誓いの通り、2度と悲劇を繰り返してはならない。