本日、中野の実家から針中野駅まで歩いて。近鉄で今川駅前のクリニックへ。
そして、今川駅前から駒川の自宅マンションへ。徒歩11分。そこから歩いて、中野の実家へ徒歩34分。
普通に歩いています。階段もすすりを持たずに上り下りしています。
お風呂も普通に入っています。
ICU!に入った7月11日から27日まで、意識のない状態でした。
7月27日に目がさめたものの、耳は聞こえますが、言葉がはっせられまらん。
問いかけに対しては、うなづくだけしかできませんでした。
その後、数日でしゃべられるようになり、声も小声からだんだんと普通になってきました。
そして、ベットからおりることがなく、大阪急性期病院のコロナ重症者病棟から8月4日に退院。
8月4日まで食事はなし。
8月4日からは、第2K病院へ。ベットからおりれませんでした。先生いわく、寝たきりになると1日に3パーセントづつ筋肉が落ちるって。
食事が出るようになりましたが、スプーンしかもてません。それも、重たく感じました。
8月8日ごろ、ノートパソコンとスマホがとどけられましたが、文字がうまくうてません。
ここでもあるけません。立つこともできません。
リハビリが始まり、立ち上がることから練習。
そして、歩行棒につかまって歩くことを練習。
そして、歩行器を使って歩くことを練習。
8月31日の退院時、杖を使って歩くことが可能に。
退院後も、畳に座ると、なかなか立ち上がれません。
そして、9月9日の入院時、杖を使って。病院内の移動には、車いすを。
9月の後半になると、廊下を歩く練習を。
9月27日の痰飲後は、当初は、杖をつきながら、現在は、杖なしてあるけます。
現在は、普通の速さで歩けます。畳に座っても、普通に立ち上がれます。
自転車に乗れないことを除いては、8割がた7月10日の水準に戻っています。
ありがたいと思ったのは、7月10日までの当たり前のことでした。
声を出せてしゃぺられる。パソコンのキーボードか打てる。
立てる。歩ける。階段が登れる。降りられる。
自転車に乗れる。
など、これらの当たり前のことができることがありがたいと思えるようになりました。
ちなみに、訪問看護のリハビリの先生によると、私は、驚異的な速さで、機能が回復しているとか。
本日、こんな書類が届きました。
私は、意識のないまま、救急病院からコロナ重症患者用病院に7月11日に転院させられていました。
私は、かかった治療費は、100万円くらいかなと思い、よく見直すと、
7月分 7/11-7/31 分は、8254800円。
8月分 8/1/-8/4 分は、232250円。
合わせて、8278050円。公費負担分です
個人負担分は、オムツ代だけでした。
ICUに長時間入っていると、めちゃ医療費がかかるのだなぁと思いました。
家族の話によると、急ごしら
のプレハブだったといいます。
意識のないうちに転院したので外観はみていません。
7月27日に意識がもどりました。言葉はきけますが、しゃべられません。
オンライン面会では、看護師さんが超小声の私の言葉を通訳してくれました。
広い室内には、カーテンや間仕切りがなく、ただ、ベットが並べられているだけ。
スマホの持ち込み禁止。窓のカーテンをあけてくれと言いましたがそれはできないといわれました。すべての窓のカーテンは閉じられていました。外部と遮断された空間でした。
あちらこちらにせき込んでいる人が。
こんなところにいると、こちらも死ぬと思い、脱出を試み、オンライン面談で家族に転院を訴え。元の元の病院に転院させてもらいました。
家族に対しても、プライベートが全くないので、早く転院したほうが良いと言われたとか。
ベットに乗せられたまま病院出口を出て、福祉タクシーに乗せられた時、とにかく助かったと思いました。
まあ、そのまま、そこにいると、その後の治療費も公費費負担となりましたが、、
でも、死んでいたかもしれません。
私は、急ごしらえのコロナ重症病棟からの奇跡の生還者となったわけです。
振込先
三菱UFJ銀行難波支店普通3676417
ヤマモトタカオ
お金かしてか頂戴
貸してくれた場合 倍返し
- 突然。 連絡がつかなくなって林君とたつきさんから警察に通報されていました。 警察の人は実家に行って事情がわかったようでした。
ワクチン接種0回でコロナにかんせんしにかけました。
救急搬送され、集中ちりょうしつへ・
奇跡の復帰をとげています。