当ブログ2022年7月6日記事
オメコⓂ大国町駅の季節のデコレーション。昨夜から七夕バージョンに。笹には駅利用者の多くの短冊が。アスペまさやるいさんからの願い事が書かれた短冊も。
のコメントに以下のものがありました。
Unknown (アスペまさ)2022-07-06 00:43:131番目と2番目と7番目のアスペまさはパチモン
ルイルイルーとかアホなんか😒るい、もどうせ、えむびーなんだろうよ😒(嫌われ者のえむびーをマンセーし続けてたし😒)それに俺をFランだのなんだの😒Fランいうんは定員割れしとるような大学をいうんじゃ😒そもそもアンタは学歴至上主義で低学歴なヤツは人間あつかいせんけど、アンタ以外アンタの家族で大学いった人間おらへんやろ😒アンタの家族はアンタ的にみて動物かなんかか❓️🤭ワシの家族は全員、大学いっとるぞ😒
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うちの家族は、子供は、大学を出ています。
両親の時代は、戦時中。
神戸大学に行っているとき、友達の親は、高等小学校卒が多くいました。
当時は、尋常小学校(現在の小学4年生)や高等小学校(現在の小学6年生)で終える人が多くいました。
男子は、旧制中学校、旧制工業高校、旧制農学校へ行く人も。
女子は、旧制高等女学校、旧制裁縫女学校へ。
父は、旧制・府立堺工業学校。敷地内に府立高専(現在の大阪府立大学)があり、無試験で行けましたが、自宅が堺大空襲で焼失。和歌山の親類宅に身を寄せていたので、進学は断念。
神戸大学教育学部の後輩をシャープに推薦状を書いて就職させたことがあります。
その子の父親は、高等小学校卒で、大阪市交通局(現在のオメコⓂ)で働いていました。私の父が堺工業卒というとエリートだと驚いたのを覚えています。
母は、旧制・島根県立川本高等女学校。島根県の石見地方には、大田・川本・浜田・益田にしか高等女学校がなかったといいます。江津市内には、高等女学校はありませんでした。それで、沿線の川本町にある川本高等女学校まで三江線で通っていました。入試倍率は3倍とか言っていました。母は、奈良女子高等師範学校(奈良女高師・奈良女子大)に進学したかったそうですが、女ということで高等教育を受けることに反対されたということで、進学を断念したということでした。
当時の大学は、いわゆる帝国大学しかなかったわけで、神戸大学もありませんでした。
その当時としては、両親は、学校出と言われていたエリートでした。
私の父方の祖父は、和歌山の専門学校(和歌山大学)を出ていました。
私の母方の祖父は、島根の上級学校を出ていました。同じ町から2名しか上級学校に進学しなかったそうで、2名は何かと対比。
うちの祖父は、あらゆる面でもうひとりより、優れていたということでした。もう一人のほうは、あらゆる面でうちの祖父に負けていて、劣等感を持っていたとのことですが、のちに江津市長を長年努めていました。
母方のいとこも、私と同じように塾には通っていませんでしたが、島根大学に進学しています。
父方のいとこは、関関同立に多く行っています。
母の葬式の時、母の姉(故・佐々木砂夫(大阪府議10期・大阪府議会議長や大阪府選挙管理委員長を歴任)と親戚付き合いをしていた)
が、私に教えてくれました。
母は、小学校でいつも成績がトップで、いつも褒美をもらっていって。
私は、アスペまさが奈良大にしか行けなかったので、アスペまさの両親は大学を出ていたとしてもアホだったと思われます。
私から見れば、アスペまさの一族は、動物一族にしか思えません。