ウインズB館の常連Sさんは洋服の仕立ての職人で、もう80近いのにまだまだ腕は達者で、奥さんと息子が闘病中なので洋裁店を畳んで、アパートを二部屋借りて自宅の隣を工房にして、そこで仕立てや直しを請け負ってました
札幌市内の百貨店とはだいたい取引があり、工房に入ると高そうなスーツがバラバラ死体になってあちこちに釣り下がってて、「こういうメンドクサイのだけ俺んとこ持ってくんだ~(苦笑)」ちなみに奥さんはニットの直しの達人なのです
サトノクラウンが勝った15年弥生賞の朝、週明けに奥さんが手術なので「ちょっくら入院費でも稼いでくるか」と軽口を叩いて家を出たSさんは、B館のいつもの居場所に向かっている途中で脳出血を発症、3Fの踊り場で倒れているところを警備の人に発見されました
入院先が定山渓病院になったので、寝たきりのSさんを見舞って、ついでに温泉に浸かってカレー食って帰ってくるのが年数回のルーティンやったんですが、昨年からはコロナでずっと面会禁止で、まあリハビリ頑張ってたからとりあえず元気にはしてるやろうと思ってたんですが、クリスマスに亡くなっていたという連絡が
私が学生時代に買ったダックスのダッフルコートも、古着屋で見つけたウールリッチのマッキノークルーザーも、「ちょっと着てみな」と待針を適当に入れて、こちらが細かいこと言わなくても、上手いことリペアして、太からず細からず絶妙のサイズ感に仕上げてくれました
どこにでもあるふつうの定規と鉛筆で、定規をくるんと回転させたり滑らしたりして服の裏地に微妙な曲線を描き、それに沿ってジョキジョキ鋏で切りながら「ここんとこはね、真っ直ぐ切っちゃダメなんだ」あの職人芸を見学するのが楽しかった
冬に見舞いに行くときは必ずダッフル着ていったんですが、もうかなりヘタッていい味出すぎてるぐらいで、これはウインズの踊り場で野垂れ死ぬまで着てやろうと思ってます
ジャングルポケットはたしかにデビュー当時から大物ムードは漂ってましたが、トニービン×Nureyevのヤンチャな大跳びで、もう見た目に荒削りで、それが2戦目の札幌2歳でタガノテイオー(後に東スポ杯に勝ち朝日杯2着)とテイエムオーシャン(後の桜花賞&秋華賞馬)をねじ伏せてしまうというのがまず最初の驚きでした
こういうスケールの大きな走りをする大物が、不思議と角田のところに巡ってきてね、ポーカーフェイスで思い切りよく雑に乗って勝つのがかっこよかった
そのジャンポケがいくら追っても影も踏めなかったのがラジオたんぱ杯のアグネスタキオンで、そのタキオンとジャンポケに歯が立たなかったクロフネがダートに出たら歴代最強の仰天パフォーマンスでぶっちぎりぶっちぎり
秋には大器マンハッタンカフェがついに本格化して有馬のエビショウの捲りも忘れられず、ほんとにワクワクドキドキの連続でしたねあの年のクラシックは
東京2400の土俵の真ん中で、横綱オペラオーとがっぷり四つに組んで、荒々しく寄り立てる脚はまさにトニービン、まさにNureyev、まさにナスペリオン
代表産駒のトーセンジョーダンと代表孫のミッキースワローの配合が似ているように、濃厚なHyperion(4・6・6×6・6・7・7・7・8)を活かすにはクラフティワイフのような軽い北米スピードの注入がポイントで、だから母父としてはサクセスエナジーみたいな使い方、父のスピードをHyperionで支えるみたいな配合がいいんじゃないかと思いますね
テイエムオペラオーの様に完璧では無かったけど、タキオン、クロフネ、マンカフェと共に世紀がわりに全てを制覇した世代でしたね。
今回の「Sさんの話」のように、競馬に絡んだサイドストーリーも大好きで、
それだけ集めて本になってくれないかな、売れたら馬事文化賞取れないかな、本にならなくても血統屋で売ってくれないかな、なとど妄想してしまいました。
武さん内を捌くのか、ブン回すのか。