息子一家と楽しんだ今夏の「箱根」
宮城野温泉の保養所で1泊した翌日は、箱根町の杉並木を訪ねてみました。
芦ノ湖畔の旧東海道にそびえる杉並木は、元和4年(1619)に川越藩主松平正綱により
箱根宿を設けた時に植えられたと伝えられています。
(松平正綱は日光の杉並木も植えている)
過去に何度か伐採されて数少なくなった杉並木ですが、現在では国指定史跡として保護され、
芦ノ湖周辺の4地区に樹齢最高350年の杉の大木約420本が残されています。
ここには、後世に建てられた一里塚があり | 江戸から二十四里と書かれています。 |
旅人に木陰を与えようと植えられたもので、旧東海道唯一だとか・・・
息子がハー君くらいだった頃、家族3人でここから畑宿まで
石畳の旧道歩きをしたことがあります。
雲は山を巡り、霧は谷を閉ざす
昼猶闇(ひるなほくら)き、杉の並木
羊腸の小徑は、苔滑らか
前日の「ガラスの森美術館」で歌ったフレーズの一部が、思わず口から出ていました♪
鳥居忱作詞、瀧 廉太郎作曲による日本の唱歌『箱根八里』は、
1901年(明治34年)発行の「中学唱歌」に掲載されたそうです。
昼なお暗き杉並木を歩く、江戸時代の旅人の姿が浮びます・・・
参勤交代の大名行列も行き来したのでしょう。
ここは江戸時代の幹線道路だった
この並木道を500mほど進むと、やがて箱根関に至ります。
ここを歩いた後は是非「箱根の関所」見学をお薦めします詳しい情報はこちらです。
「渋滞する前に帰るぞ~」と言う夫の言葉で、今回私は諦めました。
関所見物は以前経験があり「入り鉄砲に、出女」、特に出女を厳しく取り締まったとか・・・
施設は4年前に、古い資料に基づき完全復活なったと聞いています。
旧道に沿って走る自動車道も | 杉の木の中を行きます |
休日の箱根は春夏秋冬いつでも車の数が多い
箱根「宮城野温泉」で遊ぶ
前日の宿は、強羅近くの「宮城野温泉」にある息子の会社の健康保険組合の保養所。
今年のお正月に泊まって以来気に入り、今後はここで集合しようとなりました。
前回は雪になりとても綺麗な風景が見られましたがその時の記事はこちらです
夏は緑のシャワーが降り注ぐ中のお部屋でした。
大人4人と子供2人の場合、ご覧のとおりの広い角部屋があてがわれます。
手前にカーテンで仕切られたツインのベッドルームがあり、我等夫婦はそちらで寝ました。
お部屋の前の廊下にはご覧のようなロビーがしつらえてあり、
ハー君と菜々ちゃんはここで横浜ジ~ジとオセロゲームです。
今回はお嫁ちゃんのお母様がどうしても休めない(ケァーマネさんの)講習会があり、
横須賀のジ~ジとバ~バは不参加。
去年の夏は私が、母の急な血圧の低下で医師から呼ばれ、急遽帰りました
8年間続けてきた両家の、年に二回の一泊旅行もだんだん遂行が難しくなっていますが
お正月の「新年会」だけは何とか実現して行きたいですね。
安い宿泊料で豪華なお料理、更に天ぷらの | 盛り合わせを2皿頼み、お腹はマンプクリン・・・ |
食後は皆で一緒にゲーム | 輪投げにフラフープ、童心に戻ります。 |
力が入った卓球は主人息子の真剣勝負 | トータンもハー君も(私も)サウスポーです。 |
日中ずっと湯ネッサの温泉プールで遊んだ孫達も早々に眠くなり
9時過ぎには皆いっせいにダウンとなりました。
渋滞にまき込まれる事無く我家に帰ると、デッキに置いた「月下美人」のお花が
咲いた後の姿をさらしていました。
この四つ目のお花は残念ながら見ることが出来ませんでしたが、
この時五つ目の蕾が育っているのを知りました。
8月25日、そのお花が花開きました。
最初の月下美人は夜の7時過ぎには咲き出しましたが、
この最後のお花は9時近くなってようやく開き出しました。
7月14日の最初のお花が咲いた時はライトを当て三脚立てて、
ノンフラッシュでの撮影を試みましたが
今回はライト&三脚のセッティングはパスして、フラッシュをたいての撮影となりました。
その違いをご覧下さいこちらです。
今回の方が自然に写っているような・・・?
午後10時過ぎにようやく満開になりました
道行く人が居たら声をかけようと思っていましたが、この夜も私だけの鑑賞となりました。
結局40日かけて5つのお花を咲かせた我家の「月下美人」」
5つのお花が一度に咲いたら、さぞかし豪華で素晴しいひと時が味わえたのでは・・・?
来年に期待いたしましょう。
こちらは「花オクラ」」、普通のオクラのお花の3倍の大きさがあります。
花びらをサット湯がいて、月下美人と同じように三杯酢で食しました。
シコシコ、ヌルヌルと食感も良く似ていましたね。