花と緑を追いかけて

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いっぱいの主婦の日記です

「60歳のラブレター」とケアンズ旅行

2008年09月23日 | 旅日記

毎年○○信託銀行が50歳以上の人々を対象に、夫から妻へ、妻から夫への「60歳のラブレター」という葉書エッセイを募集していて、今年で8年目を迎えました。
応募総数も8万人を越え、このような単行本も計7冊出版されたそうです。

私は第一回目の時に、突然脱サラして「植木屋」になった主人の事をチョコチョコっとハガキに書いて応募したのですが・・・
先日、某TV局から突然「60歳のラブレターを元に夫婦の絆をテーマとした番組製作を予定しているので、取材をさせてほしい」という旨の連絡がありました。
7年以上も前に書いた古いエッセーが役に立つのでしょうか

最初の電話取材は、私が仕事でいない時にかかってきて主人が対応したようです。
「ここまで結婚生活を続けてこられた秘訣は何かとか、奥さんのどんな所に惹かれたのかとか色々聞かれたぞ。植木の仕事の事も聞かれたのでパースの事など30分以上も喋った」との事・・・
ありゃ~~~



”「行ってきまぁ~す」
今日も朝早くから元気な声を張り上げてあなたは軽トラックで出かけていきました。
私の作ったお弁当を抱え、地下足袋姿で・・・
(略)
4年前、広告マンとして円熟した仕事をしていたあなたが、突然「会社を早期退職して植木屋になる」と言い出した時は、本当にビックリしました
あれから職業訓練学校に一年通い、修行のためにと家の近くの造園会社に就職。
そして二年前に念願の独立と目まぐるしい日々が続きましたね。
(略)
次から次へと紹介があり、仕事が増えていくのは、ひとえにあなたの人柄のよさが受けているからでしょう。
寒さに向かって、くれぐれも体に気をつけて下さい。
無理は禁物ですよ。たまには二人で温泉に出かけて骨休めをしましょうね”

先方は主人の電話での答えに興味を示したのか?
今日、直接取材にやってきました。
「どんな気持ちをこめてこのラブレターを書きましたか?」と聞かれたので、「主人への応援歌です。何の相談もなく突然脱サラされて納得できなかったのですが、”4年目でようやくあなたの生き方を認めましたよ”という私のメッセージです」と答えました。



拙い文章ながら、主人のユニークな生き方が受けたのでしょう。
末端に入選して旅行券を戴きました。
そして出かけたのが我々にとっては初めてのオーストラリア、「グレート・バリアリーフ」の玄関口「ケアンズ」
2003年2月のことでした。

上2枚の写真は「グレート・バリアリーフ」のシュノーケリングポイントに向かう船の上から写したものです。


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マウスオンでご覧下さい

大海原のど真ん中に人工の浮き島があり、ダイビングやシュノーケリングのポイントになっています。
サメから守るための網も張られていて・・・
山人間の私たち夫婦が生まれて初めて海にもぐり、色鮮やかな魚や大海ガメが泳ぐサンゴ礁の世界に魅了されました

ランチは船のレストランでのビュッフェ、現地の旅行社主催のオプショナルツァーでした。
世界遺産の「グレートバリアリーフ」で、世界各地の人々と一緒に遊んだこの日のことは鮮烈に覚えています



次の日は、日本の旅行社主催のオプショナルツァーで、アポリジニの住む「キュランダ高原」に行きました。
行きはスカイレールに乗って、世界遺産の熱帯雨林を上から眺めます。

パースはオーストラリア大陸の南西部にありますが、ケアンズは真反対の北東部の赤道に近い熱帯域にあり、私たちが行った2月は雨季で、一日に一度はスコールのような雨が降りました
褐色の川の色がそれを示していて・・・
だから豊かなジャングルが形成されるのでしょうね。



ジャングルといえば「大ワニ」「大ヘビ」
ワニの餌付けショーを見たり、ヘビを首に巻いたり、コアラを抱っこして記念写真を撮ったり、カンガルーに餌をあげたり・・・
帰路は「キュランダ鉄道」に乗りましたが、初めてのオーストラリアは何もかもがアクティブな世界でした。


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アポリジニの狩りの様子を見たり、アーミーダック(水陸両用艇)で熱帯雨林見学に出かけたり・・・
その様子をマウスオン・クリックでご覧下さい



最後の4日目は、グレートバリアリーフの宝石と呼ばれている「グリーン島」に水上飛行機で行きました。
空から見たグレートバリアリーフも素晴らしいものでしたが・・・
私たちはすっかりシュノーケリングで垣間見る海の中の世界に魅せられてしまいました。



パース行きが始まったのはこのすぐ後でしたが、引き続きシュノーケリングを楽しむべきだったと悔やまれます。
パースからスワンリバーを船で下り、インド洋上に浮かぶ「ロットネス島」に行った時に一度やっただけ
日本の6~7倍あるという紫外線が怖かったのが、続けられなかった原因かも知れませんね。

それぞれが自分の世界を持っていて、たま~に2人で思いっきり遊ぶのが我ら夫婦流
時々喧嘩をしながらも、38年間、結婚生活が何とか無事に続けられた要因は、妻の私が「サッパリしていて、すべて受け流してくれたから」と主人は取材者の質問に答えたようです。
「そう!反論しても絶対に聞き入れないマイペースの夫ですからね。口で言うのは諦めました。だから私は書いてウップンを晴らしています」
これが私の答えです。

取材と言っても今日は質問に答えるのとアンケートのみ、TVカメラが入ったわけではありません。
本に載った約1000人の作品の中から、ドラマ性のあるものを抜粋して順次聞いているそうです。
大病を克服したご夫婦とか、天国にいるご主人へのラブレターとか・・・
感動的な作品が多いので、我々の出る幕はないような気もします。

作品が読み上げられるくらいがせいぜいで、今から慌てて緊張する事もないでしょう。


コメント (35)
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