船場吉兆が廃業=偽装、使い回しで経営悪化-「営業は社会的に許されない」と女将(時事通信) - goo ニュース
ついに、こうなりましたか。
当然といえば当然です。
ちょっと前になるけれど、5月6日の天声人語。引用させてもらいます。
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朝日歌壇でよくお見受けする大阪の長尾幹也さんに先日、次の作があった。
「おのずから 足踏んばって 電車待つ
突如背中を 押す奴のため」
人は押されれば、簡単にホームから落ちるに違いない。だが私たちは普段、そんな理不尽はないと信頼して、無防備な背を他人に見せて電車を待つ
▼世の中をつかさどる「暗黙の信頼」である。それを、岡山で3月にあった事件は揺るがした。疑心暗鬼を生ずれば、おちおち電車にも乗れない。歌の心境が他人事(ひとごと)ではない向きも多かっただろう
▼ことの度合いは違うけれど、高級料亭「船場吉兆」で、また醜聞が噴き出した。客の食べ残しを別の客に出していたという。思えば料理屋の厨房(ちゅうぼう)は、客の目を隔てた「密室」だ。吉兆に限らず、やろうとすれば難しいことではあるまい
▼だが私たちは普段、そんな不実など思いもよらず、料理を口に運ぶ。念を押すまでもなかった「暗黙の信頼」が、ここでも揺れた。まっとうな店への疑心も植え付けたとしたら、船場吉兆の罪は重い
▼「もったいない」と前社長が指示したそうだ。だが、それを言い訳にしては「もったいない」に申し訳ない。食べ物を大事にする思いと、商売のそろばんは、顔つきは似ていても心根が違う
▼いま「信」は細り、不信をこえて「崩信」の時代という。最近の本紙世論調査では「世の中は信用できない人が多い」は64%、「人は自分のことだけ考えている」は67%にのぼっている。悲観したくはない。だが、そんなものさと受け流せる数字では、もうないように思う。
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「暗黙の信頼」というものがどこかへ行ってしまった。
信頼の絆というものが、突然裏切られる世の中になった。
こういうことが続くと、また極端な反応になる馬鹿な世の中。
信じると怖い、騙される、裏切られるから、誰も信じない。
ホームの端っこには絶対に行かない。
出てきた料理や買った食材もシビアに疑い抜く。
誰もが疑心暗鬼な目になる。
過剰反応社会になる。
不信をこえて「崩信」の時代。
うーん。
ギスギスして、殺伐として、戦々恐々として。
生きていたって何も楽しくないよ、それじゃ。
リスキーでも、多少傷つくことも厭わず、
信じよう。信じたい。
性善説を信じたい。
このように思う人のほうが圧倒的に多いと信じたい。