波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

ブランドの刷り込み

2024年01月22日 | 日記・エッセイ・コラム

車メーカーD社の安全試験不正は、平成時代のM社の燃費試験不正より格段に悪質。M社は財布の問題だが車輌の構造問題もありその不信は30年経っても戻らない。倒産の噂もあるD社(T社の子会社だから無いと思う)だが、不思議に不信感が薄い。終の車はムーブキャンバスと一度決めたせいではない。何となくだが、売らんがためのこういう不正は全自動車メーカーに大なり小なりあるように思う。では、この信頼の違いはどこから来るのだろう。何となくだが、これは波風氏だけでは無いような気もする。

 

置きっぱなしの車がある。舗装された駐車場に自重でタイヤはメリ込み冬は雪で小山のよう。車種はレクサス、気づいて数年経つが外装それほど傷みない。我ながら不思議なのは、放置され朽ちるのを待つ高級車はやっぱり高級車以外の何ものでも無いこと。レクサス=素敵で庶民には手の届かない車というイメージが簡単に削られることなく擦り込まれているのだ。同じ脈絡で、D社にどこかで擦り込まれM社は全然かすられもしなかったのだろう。性能やデザインや価格だけでない何か、制作者や販売者の夢や世界観と消費者の欲望の一致なんだろうなあ。欲しがるものだけにかかる『ブランド』の魔法。

 

ブランドを考えるときに思うのは『無印良品』。当初は、わけあって安いを売り物にしていたが今は違う。多種多様(住宅まである!)な商品群を「詩や芸術の世界」に誘い込む「意味の同一性」をまぶし、それを商品の付加価値に深化させている。近所のローソンに無印商品のコーナーがあるがたぶん失敗する。フロアー全部が無印ランドなので夢を買う魔法をかけられるのだから。無印商品を片隅コーナーに置いても、バラにして文房具とか化粧品とかレトルト食品などの棚に並べたら売れなくなるのに近い。消費心理というか欲望の趣きは実に不思議。デザインの効能と販売戦略は何とも奥深い。


子どもも親も先生も地域も「誇りに思える学校」とは、ブランド力のある学校のこと。『ブランド 価値の創造』(石井淳蔵著:岩波新書)を、みんなの夢や希望を1つの方向に導くベクトルの模索で読んだものだ    2ヶ月ぶりにイラスト、2B鉛筆とるのに時間がかかった。この微かな絵心を消したくないな・・・ブランドを持つことは安心や夢を満たす欲望の実現。目に見える富は目に見えない価値を潜めているブランドのこと。アートと上手に癒合するものが生き残るだろう。楽しみの究極がアートなんだから。

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