波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

続 片付けの思想

2017年04月29日 | 日記・エッセイ・コラム

(4/20「片付けの思想」から続く)
曜(資源ごみの日)に町内のゴミ置き場に出した本、金曜に生ごみを出しに行ったら跡形もなかった。ルール通りで何の不思議もないのだが、いわく言い難い喪失感が突然湧いた。教員生活出発時からの5百冊の教育書が一発で消えたのだ。一昨年、小説2千5百冊捨てた時の徒労感と開放感がない交ぜのとはかなり違う。あの時は古本屋にも世話になったが、その分、気楽さが上回っていた。好きなものに囲まれた老人生活を送る柱の一つが本だ。だが、波風立男氏の没後、家族を養う人生の重要な道具だったにしても、残された家族には戸籍筆頭者の道楽ぐらいの意味(特に還暦後のものは)しかないはずだから片付けを任せる気には全くならない。2年前に87歳で亡くなった母の逝きかたは実にきれいさっぱりしたものだった。その凄さを最近ひしひしと感じる波風立男氏だ。

が済んだら次は服だ。還暦後に着た服は足と手の指をあわせたぐらいの品数で、定年退職後から息子たちのお下がりのジーンズを穿き始めたらこれがやめられない。夏冬兼用で胴回りセンサーにもなり、何だか捨てられなかった昔の普段着が次々と復活できた。この間、ネクタイは2本(内1本は黒)、背広は3着(夏冬各1着と喪服)で済ませ、箪笥と衣装箱の服は今全部捨てても大して困らない。シャツは雑巾にできても、背広はどうしょうもない。潰しの効かない我が身のゆくすえみたいな感じがする。合掌。
片付けで難しいのは人間関係だろう。やや縁の薄い知人から、来年から出さないことにしたのでよろしく、みたいな旨の年賀状を今年いただいた。ほーっと声が漏れた。本の片付けの時、自分は何を大事にし、今後どうするつもりなのかが問われていることと、年を経ても執着心はあまり変わらないような気がした。『物』の場合はここらが肝要だろう。『関係』の方はわからないだらけだが無理な取捨は禁物だ。結局、片付けとはその時点の人生の決算、逝く時が問答無用の総決算なわけで、こうした片付けが老後の楽しみで、一世一代セレモニーの計画的な準備と思えるなら、波風立男氏もなかなかの人物に思えてくるね(笑)
 

 
画像の意味は、画像中の原稿用紙に書いたので略  風呂上がりの湯冷めで、昨日一日寝ていた。これでもか、というぐらい気分最悪の中で寝入った。知らない間にママヨさんも昼に寝ていた。4月の疲れを連休前に清算しておくような感じがした体力回復し麻婆豆腐用の肉味噌作る。ヤチブキただき茹でて食べる。ほのかな苦みが春の味。アイヌネギもいただき明日は餃子このブログのサブテーマが未だ「初級老人の」になっていたので今日『昭和の日』を記念し、「中級老人の」に変更。
 
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