このコラム(2/8朝日朝刊「折々のことば」)、先月腹ペコさんが送ってくれた教育論文にあった「『自立』とは依存先を増やすこと」と同じ意味だなと思った。腹ペコさんは「人間的自立は他者との共生や個人を支える社会の仕組みがあってはじめて成り立つもの」と続ける。「自立」と「依存」は狭い意味では相容れない言葉、むしろ正反対の意味だが、表裏一体につかまえて初めて正確な意味になるというのが面白い。
自立の条件とは、「支え合いのネットワークをいつでも使える用意が出来ていること」であり、「支える社会の仕組み」のことだ、に共感する。競争に負ける側、評価される側、安心の地に入れてもらえない側に身を置くほど、自立と依存の一体的な希望を得るのは至難だ。明日どう暮らしてよいかがわからない絶望の時、他者を怨み、自分に失望し希望の光は見えない。競争社会に生きているうちにいつしか狭く悲しい「自助自立」を当然視してしまうものだ。こういう「依存自立」の光は闇の中の灯火。こういう言葉も「支え合いのネットワーク」を構成している要素なのだ。
このブログを始めて10年(正確には今年の12月)。言葉で繋がる他者(社会)との回路だ。昨日の裏ブログ『切れ味』で、包丁研ぎを習慣にしようかなと書いたが、禁煙14年とこのブログ10年の継続実績が頭にあった。