波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

続 もの言えば

2023年11月03日 | 日記・エッセイ・コラム

どうして私が来たかわかりますか?と尋ねると、わからないと言う。一昨日に「会いたい」と電話が来たので、昨日訪問することを伝えていた。まいったなあ、と思ったが上がれと言われ久しぶりに話をした。高齢だが肌は艶々し声もしっかりしていて元気で、一緒に働いていた時の話は固有名詞は出ないが懐かしい感情の交流があった。話をいていくうちに、訪問した理由がわかってきたようだった。こういう昔話をしたかったのだ。「朝起きて、今日も生きていた、という幸せは少し前までは無かった」という話が強く印象に残った。

まいったなあ、と思ったのは前回ブログ記事の原稿を保存していなかったこと。何を書いたか全く思い出せない。前半は後半のための材料を並べただけ、肝心の言いたいことが浮かんでこない。4日前に書いたのになあ。「何を書きたかったかわかっているか?」と自分に尋ねるとあの先輩と同じ「わからない」しか返ってこない。題名『もの言えば』から辿っても何も見つけられない。忘れなかったのは、後半の最後を「もの言えばくちびる寒し秋の夕暮れ」でしめくくる一点だけ。言いたいことがあったはずなのに口の端に乗せるとたちまちそれを忘れてしまうもの寂しい人生の夕暮れ。

物忘れに超然とする、というか楽しむようでないと高齢社会を泳ぐことはできない気がする。電話が来ていないのに勘違いして電話して驚かれたり、畑仕事の移植シャベルや選定ハサミをどこに置いたか忘れて探す時間がだんだん増えてきたりで、「そろそろ、ソロソロと来てるな」なんて感じる衰え。だんだん自分が自分で無くなっていくのは怖いことだけれど面白がる必要はありそうだ。前記の訪問した方から夜遅くに、「菓子折を忘れていったようだが・・・」の電話。玄関で渡した土産のことで、壺屋の最中です。食べて下さいと伝えたら、ホーッありがとうの返事。この屈託無さ、学ばなければ。


山田太一著『月日の残像』を興味深く再読している。今99歳の著者が70歳頃のエッセー集。嫌な人物を書いても自分はいかほどの人間なのか自省を忘れない、誠実で持ち重りのする文体、冷静な目、人間味ある人物描写、生き生きした会話体、抑制あるしみじみとした情景描写・・・と巻末の解説(刈谷政則著)に。波風氏が驚くのは、子ども~青年時代の記憶を鮮やかに書いていること こうやってブログを書いているうちに、何を書きたかったのかを少し思い出してきた。ちゃんと思い出せたら、『続々 もの言えば』UPしたいな画像は自家製のドライフラワー。生と違う秋の趣。

コメント    この記事についてブログを書く
« もの言えば | トップ | 漫画『東京ヒゴロ』を読む »

日記・エッセイ・コラム」カテゴリの最新記事