10年以上『猫のしっぽ 、カエルの手』を観ていた。日曜夜の定番TV、今も過去映像を時々やってる。ベネシアさんの目が見えなくなってきて(アルツハイマーの一種)、あの庭は、あの料理は、あの大原の古民家の手づくり暮らしはどうなるのだろうと心配していた。
図書館で借りた『ベニシアと正、人生の秋に ー正ありがとう。すべて、ありがとうー』(風土社)、考えるものがあった。波風氏と近い年齢の夫婦(夫62歳、妻71歳)の波乱と言える人生、その後半の今(人生の秋)それまでの夫婦の歩みの概括、今後予想される暮らしと決意感じた。満足な仕事も無く当然頭金無くあの古民家を買うことになってしまったこと、正が冬山滑落で死線さまよったこと、バツイチ子持ちのベニシアが前夫から養育費をもらわずオックスフォード大留学の長男の学費を『庭』で捻出したこと、娘の統合失調症発症で正が家を出たこと、庭づくりの意味・・・画面に映されないこんな綱渡り的『出たとこ勝負』人生があったとは。
今(発行時の2019年)、正が三食作っている。ベネシアはハーブの手入れできず「いま唯一私ができるこ」として、落ち葉や雑草をさがすしかできない庭作業。自然の摂理は人生にも分け隔てない。そんな時、人は歩いてきた半生をどう振り替えるのだろう。この本では今が一番静かで実りの季節、副題に「正ありがとう。すべて、ありがとう」とあった。正直な生き方が暮らし方を決め、そういう暮らし方が生き方を豊かにするのだなあ。読み終わり、誰にでもなく、ありがとうという気持ちが湧いた。
『ネコのしっぽ、カエルの手』には、キャッツテールやカエデの特徴のように、植物を愛し、暮らしに取り入れ、植物とともに生きてきた昔の人々の心を表しているようだ 「(半藤一利さんは)文春では役員も務め、『文春リベラリズム』を具現化した人・・・・それは戦後のブルジョア民主主義であり、社会のリーダー的役割担った・・・・文春には右派の流れもあるが、それとは一線を画し、一つの系譜をつくり今につながっている」(昨日の朝日新聞、保坂正康『半藤利一さんを悼む 昭和史の誤りを克服 継いでいかねば』)