goo blog サービス終了のお知らせ 

波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

励んでるちゅうの

2024年06月04日 | 図工・調理

手作りアイスクリームの商品名(販売予定はありませんが)を、ずうっと考えていた。草むしりの時も、珈琲を淹れていたときも、今が盛りに白く清潔に咲きほころぶ庭の朝鮮ツツジを眺めていたときも。ふっと浮かんだ某高級アイスクリーム(本拠地米国では一般品らしい)の名称浮かび、「ハーゲン」は「励んでる」に移り、後半の「ダッツ」の扱いに時間を要した。ダッツ→ダッタラ→ダッテイタ、どうも今ひとつと思っていたら→「ダッチュウノ」が天から下りてきた。これだな、これしかないな(笑)。

 

生クリーム、黄卵、牛乳、砂糖、バニラエッセンスのみ、添加物皆無の安全安心冷菓。ママヨさんに「糖分取り過ぎは糖尿再発しますよ」と白い目で見られつつ、冷凍庫で冷やし切ったアイスクリームメーカーで20分、ちゃんと出来る面白さ、そしてママヨさんと言葉交わさず味わう。言いたいことがたくさんある波風氏も黙ってスプーンを口に運ぶ。作る時は楽だが、片付けるのは2倍ぐらい面倒(涙)。次は、また抹茶やってみるかな、苺にしようかな、ママレード入れてみよう・・・・欲望に忠実に励む波風氏である。


「だっちゅうの」は、20世紀末の女性2人のお笑いタレント『パイレーツ』のギャグ。昔のことだが、「だっ・・・」を呼び水にすーっと浮かぶ言葉世界の不思議 前回ブログからずうっと考えていたのは、スマホ・カード社会に翻弄される老人。恩恵格差社会、孤立孤独社会で老人は失意と焦燥に追い込まれざる得なくなっている気がして公式裏ブログを『教えて貰った言葉2(入学辞退)』で更新。


気分は始まり

2024年04月25日 | 図工・調理

油ストーブの温もりで双葉から本葉に育つマリーゴールド。何回も練習して運動会の開会式に整列しているような幼い命。桜開花日が先週予測より早まり今月末らしいが、雨模様10℃ではまだ外には出せない。風に当てらないから弱々しく徒長してしまうのが心配。
日、家の前の小さな畑に堆肥を蒔く。晴れたら石灰だ。連休明けに苗を植える。昨年と同じく胡瓜、茄子、ピーマン、シシトウ、春菊、ミニトマトを植えよう。ママヨさんが広げた畳1枚分の苺畑に新しい苗も植えよう。裏の畑も4月の準備しなければ。豆と大葉と大根とズッキーニだな。
風食堂前、と描いたバス停風のターフ用支柱も立てたし、外の苗床も用意した。外水栓と波風食堂用水道をつなぎ、食堂オープン準備も済んだ。長かったコロナ委縮期間が終わり、やっと波風食堂ゴッコ再開かな。


画像は、色画用紙に緑色のクレパス、墨汁で土を描いた。春の気分を形に 蓬(ヨモギ)採りに行きたいが近所に熊出没注意報、恐怖と食欲の葛藤。いただいたアイヌネギ入りの野菜炒め味わいながら思案教員の長時間労働改善で文科省、教員の残業代なし・給与の現行4%上乗せを10%増額案。金使わない小手先いじりのタダ働き継続案。『消滅市町村』予測で、お腹の子に出てきたいかどうかを聞く芥川竜之介『河童』思い出す。安心と希望が無いところに人は本能的に近づかない。


猫柳1

2024年04月14日 | 図工・調理

猫柳の花言葉は、自由、思いのまま、開放的、素直、気まま、努力が報われるもの、と姪が教えてくれた。幼く可愛らしい感じのする春1番の蕾。予想と違って心が明るくなる言葉が並んでいる。こういう感じで日々を過ごしたい。
桜の華やかさは無いけれど、柔らかくしみじみとした優しさを愛でる花。初めは薄い空色の混じった灰色の毛が、時間とともに黄色い花をつける。


今年も描いた猫柳。曲がった枝の空間の佇まいも面白い。このクネクネ感が蕾のフワフワ感に実に似合っている 来客あり3人で、焼くと美味いブロッコリー、きゃべつのフワフワ千切り、大根のシャキシャキ福神漬け・・・・工作体験発表みたいな話して面白かった。病気と年金と葬式の話なんかしてる場合で無い。


2024目標【書き初め】

2024年02月20日 | 図工・調理

き初めなんかしている気分にならなかった今年の正月三が日。「国民増税、自民脱税」が笑い話にならない今の政治にウンザリしながら、「こんな仕事をしている人がいるのか」と驚ろき嬉しくなった柚木沙弥郎さんの仕事。深いところから励まされた感じ。俺もこうしている場合ではないと思いつつ、さりとて何か差し迫った仕事もないわけで家事と読書と時々のパチンコで過ごした。

年の目標は「わくわくのんびり暮らしたい」。これを染色家・柚木さんのオマージュのつもりで描いてみた。手仕事が何よりも達成感がある。この欲望が朽ちないうちは人生健全。描いているうちに、のんびりの「び」がうまく収まらないので「ゆっくり」に変えた。「暮らしたい」では決意が薄弱なので「暮らす」に。


「読める」と「面白い」の責めぎあいが楽しい。読めると、楽しさが低いと思い、読めないと完成度が低いと 久しぶりに雑誌『世界』買う。面白い。当市にはこういうモノ申す総合雑誌を売っている書店が昨年で無くなった極端な政治の貧困を能登の地震対策で思う。株価空前の値上がり、それが何だっていうのよ、えーっコラ、ふざけんなよマスコミ。


うちの南瓜を描く

2023年10月20日 | 図工・調理

言葉は意味の塊、すると言語は言葉の形だと本に。このブログも言語のつながりで書いているが、言いたいことと違う気がすることは多い。適切な言語を選んでいないからだが、それだけではないだろう。本当に言いたい多くのことは、言葉にできない、言葉にならないからだと思う。

 

画像は家で収穫した南瓜。こんな風に感じたい、こんな風に見えたら心が喜ぶ。この感情もその理由を言葉にできない。しかし何とかしたいので、絵の具やクレパスを使う。言葉にできなくても、絵にすると何かが変わる。画家は色や線が言葉、意味を直接形にした詩の。それを面白いなあと感じるのは誰にでも、波風氏にも詩の感性があるかもしれない。はっきりしていることは、「好きな絵」には詩がある。好きな文章にも、音楽にも、・・・・好きな人間にも。懐かしい何かが。


2つの深いプランターで育てた南瓜。とてもお金がかかっている。だが、「おいしかった」南瓜の子どもを自分で育てる楽しみは格別亡くなったのは悲しいが、ともに過ごした幸せに感謝していると猫を愛する知人。亡き猫からも同じだろうな。あらゆる人との縁もウドン1キロ、大葉の穂の佃煮つくる。雨模様だが良い日だ、今日は。