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害教、いまだに…。


2023年12月5日において…。
統一教会の被害者が求めてきた、
「包括的財産保全」を可能とする立憲、維新案が、
自民党、公明党、国民民主の反対によって否決されている。
…と、言われても、どのようなことなのか?
そのときは、まるで理解できなかった。
簡単に言えば、カルト宗教団体「統一教会」による、
被害者の金銭的救済を可能とする手段を、政府が拒んだものとなる。
それから、3カ月後、
先週(2024年3月27日)のニュースにおいて、
統一教会が、文部科学省からの質問状に対して、
回答していなかったことから、
東京地裁から、10万円の過料を命じられたことを受け、
「東京高裁で、判断の誤りを正す」と即時抗告したと報じられた。
このニュースは、短い時間で報じられ、見過ごしそうなものだった。





念の為、記しておきます。
あれだけ国会と世間を騒がせた、
自民党と統一教会との“つながり(癒着)”にかかわる問題も、
結局のところ、何一つ、解決していません。
政府が、統一教会のため、社会的な受け皿を準備するため、
時間稼ぎしてきたように思えるのは邪推がすぎる…とも言われそうだけど、
絶対にあり得ないとも言い切れないだけに、油断ができない。


蛇足:
「世に悪が栄えた例はない。」
これは、ある意味、事実だ。
正しいことが行われずに間違ったことが、
推し進められていけば、どんな物事も、行き詰まり。
何もかも、手詰まりとなって、“おじゃん”となる。
正義(善)があって、悪があるのでもなく。
悪が、愚行の果てに滅ぶだけのこと。
物語で語られる「正義は勝つ!」などのセリフは、
事実を入れ替えただけの、“こじつけ”に過ぎない。
しかし、巻き添えにされるものにとっては、タマったものでもない。



まだ20~30代の頃、政治家などエラい人たちの不正やゴシップを、
過敏(もしくは過剰)に反応するワイドショーや情報バラエティー番組を見て、
マスコミやテレビ局は、真実を求めており。
社会は間違ったものを許さないものだと思っていた。
しかし、この認識は、あまり正しくない。
正しさが望まれるということと、
間違ったことが許されないということは、別のこと。
そして、所謂(いわゆる)“大人の事情”もあり。
テレビのニュース番組では、ファクトチェックがなされることから、
社会的に問題のある行為(犯罪など)をしたことが疑わしく(ほぼ間違いなく)ても、
証拠もなく、憶測で語られることはない・・・と聞く。
テレビメディアは、それ以外にも、色々な制約を受けるものであり。
問題は、その制約が、“正しい”ものか?”、それとも“不当”なものなのか?
どうにも疑わしく思えるときがある。
しかも、インターネット上には、どこぞの田吾作でも情報をアップできることもあり。
マユツバな情報が溢れており、色々と悩まされる。
メディアのコンテンツの真偽を見極める力は「メディアリテラシー」と言うらしいけど。
このメディアリテラシーを得るのは、簡単でもなさそうである。
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