ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

錦繍(きんしゅう)の山(1)

2019-10-08 21:22:46 | Weblog




 10月8日

 今日は、朝から雨が降っている。
 雨の音が聞こえるだけの、いつもの静かな朝のひと時が、どれほどありがたいことか。
 それまで、5℃以下の冷え込みが続いていた朝と比べれば、今朝の気温は13℃と高く、ようやくゆったりとして過ごすことのできる朝が戻ってきたと感じられるのだが、それは、この数日に起きたあわただしい出来事の後だけに、余計にそう思われるのかもしれない。
 ともかく、思いもかけぬ修羅場(しゅらば)をくぐってきた後だけに、そのことについては後日改めて書き記すとして、今は、あの楽しかった、東北の秋山での、思い出に戻ることにしよう。

 行ってきたのは、東北の岩手県と秋田県の南部県境に連なる焼石連峰の主峰、焼石岳(やけいしだけ、1548m)であるが、いわゆる、あの深久弥の百名山には選ばれていない山である。
 今までに、何度も書いたことではあるが、私は、数十年にもなる登山歴があるのだが、いまだにその日本百名山の全部には登っていないし、今後ともそれを目指して山登りを続けるつもりもない。
 『日本百名山』の著者、深田久弥は、日本の山の随筆作家としては、私が最も敬愛している人であり、その数多くの著作物も読んではいるのだが、あの百名山の選定基準だけに関しては、いささかの異議があって・・・もっともすべての人が納得できる百名山などあり得ないわけで、それぞれに自分だけの百名山があってもいいと思っているのだが。

 ともかく自分なりに選んでいっても、まだまだ数多くの山を登り残している私にとって、地域的にいえば東北には、何としても足の動く今のうちに登っておかなければ、という山がいくつも残っており、今年の夏には、そんな山の一つであった鳥海山に行ってきたのだが、頂上寸前にまで行ってあえなく失敗したことは、前に書いたとおりである(今年の8.5~12の項参照)。 

 しかし、そんな苦い思い出がありながらも、この秋にも、別の東北の山に登りたいと思っていた。
 去年、その一つであった栗駒山(1627m)に登って、その山全体を覆う紅葉の光景に圧倒されて(2018.10.1,8の項参照)、その味をしめていたから、今回はその少し北部にあり、栗駒山とともに東北の二大紅葉の山と謳(うた)われていた焼石岳には、ぜひとも行かなければならないと思っていたのだ。

 長い間、私はこの焼石岳という山を誤解していた。
 子供のころから、地図を見るのが好きだった私は、奥羽山脈の中央部に焼石岳という名前の山があることを知ってはいたが、しかし、登山するようになってからは、この山の1500mという高さが、3000mクラスの山が連なる中央部の山々と比べれば、あまりにも標高が低すぎて、私には登山対象としての山の価値は低いように思われていたのだ。
 しかし、山は”高きをもって貴しとせず”という例えのごとく、それぞれの山はそれぞれの個性をもって、それぞれの魅力があり、その登山価値や鑑賞価値があるのだから。
 峻険な3000mの高峰から、それほどの高さがなくても雪山になってその真価を発揮するものから、新緑の季節が素晴らしい山、秋の紅葉が有名な山、お花畑や渓谷美で有名なものなど、細かく取り上げて行けばきりがないほどに、日本の山はそれぞれの個性的な魅力に満ち溢れているのだから、と今さらながらに気づいて、最近では自分の体力の限界もあって、そうした山々に目を向けるようになっていったのだ。

 日本の山を調べていく中で、栗駒山と焼石岳という二つの紅葉の名山があることを知ったのは、時々見ている山の雑誌や、テレビ番組、ネット投稿画像の情報からであり、それらの多くの情報を知れば知るほど、とても私が生きている間には登りつくせないほどに、魅力的な山々がいろいろとあることに気づかされたのだ。
 
 そうして知った焼石岳という山であるが、この山は、焼石岳という一つの山からなるのではなく、例えば北海道の大雪山(だいせつざん)や九州の九重山(くじゅうさん)が、実は一つの山の名前ではなくて、その地域の山群の総称であるように、焼石岳もまた1000m以上の山々が十数座も集まった火山群であることが分かったのだ。
 さらにそこには、とても1500mクラスの山々とは思えないほどに、山上には幾つもの湖沼がちりばめられていて、高山植物群落が辺りを埋め、秋の紅葉時には、そこが錦織(にしきおり)なす光景に染め上がるのだというのだ。
 これは、いかざなるめえ!

 しかし、天気を含めて、出発する時期を決めるのが、いつものごとく一番の問題で、前回の鳥海山登山のように、時を誤れば惨憺(さんたん)たる結果になってしまうから、その上に今回は、W杯ラグビーの試合が同じ岩手の釜石で開かれるから、宿やタクシーの手配なども気がかりだし、さらにはいつものことだが、札幌以外の北海道から東北に向かうには、いったん飛行機で東京に出て新幹線で北に戻るという経路をたどるしかないので、そうした互いの連絡時間も考えなければならない。 

 そうした煩雑(はんざつ)な問題を解決して、ようやく、10月初めの快晴の空の下、私は、タクシーで焼石岳中沼登山口に降り立ったのである。
 休日には、すぐにいっぱいになってクルマであふれかえるという駐車場には、わずか9台のクルマがあるだけで、朝食のサンドイッチを食べている私のそばを、一人また一人と年配の登山者が頭を下げて登山道に入って行った。
 時折、彼らのクマよけの鈴の音が聞こえ、そして遠ざかって行った。静かだった。

 さてと、私も立ち上がって、所々に木道が敷かれた道をゆるやかにたどって行く。
 コースタイムは3時間半ほどだが、写真を撮りながらゆっくりと歩く私には、さらに1時間ほどが必要だろうが、今日は一日晴れのマークが出ていたから、夕暮れ時までに下りてくればなんとかなるだろう。 
 あまり大きくはないブナ混じりの林の中、幾つかの小さな尾根を横切ってのゆるやかな登り下りが続いた後、しっかりと山路になって一登りすると、少し開けてきて日差しが入ってくる。それに合わせて、上のフリースを脱いだ。
 ほどなく中沼に着くが、そこからの沼沿いの道が素晴らしかった。

 水面(みなも)に映る、長々と伸びる横岳の稜線、右手の高い方は、遠目にも鮮やかに、まるで秋サケの婚姻色のように赤く色づている。(冒頭の写真)
 それは、焼石岳の紅葉がまさに今盛りの中にあると、知らせているような色合いだった。
 とその時、私の後から追い抜いて行く人がいて、”始まったな”とつぶやいていたので、尋ねてみると、もうしばらくすると、この湖岸の木々も真っ赤に色づくということだった。
 どの山でもそうなのだろうが、山の紅葉とはいっても、稜線部から中腹、山麓部と時期を分けて紅葉が降りて行くのだろうから、本来はそれぞれの時期に合わせて、それぞれの紅葉を見に行くべきなのだろう。

 夏には花が咲き乱れるという湿原部の木道を通って、まだ残っているオヤマノリンドウを見ながら、ゆるやかに登って行くと、それまでのブナの林から小さな広場に出て、その先は明るく開けていて、脇にはこんこんと湧き出す銀明水と呼ばれる泉が流れ出していた。
 先ほどまた一人、私を抜いて行った人が、先の方の山腹の道に見えるだけで、他には誰もいなかった。
 たらふく、その冷たい水を飲んで、秋のまだ暑い日差しの中を私も登って行く。
 再び開けてきて、左側には高茎草原斜面が広がり、右手下には沢が流れ、滝が見える。
 登りきると枯れた小沢跡の道が続いていて、そこからついに、紅葉帯に突入して行く。
 右側には、東焼石岳から六沢山へと続く尾根に至るまでの、ササの緑と黄色のミネカエデ、そしてドウダンツツジの紅葉との三段模様が続いている。(写真下)




 さらに登って行くと、途中でもずっと見えていたのだが、このコースでは、ほとんどこの横岳の紅葉斜面を左手に見て歩いて行くことになるのだが、どの位置からも少しずつ形を変える色合いの斜面が、ここでは、もう尾根から斜面にかけて、周りのすべての色を飲み込まんばかりの勢いで広がっていて、私はただ立ち尽くして、その眼前の光景を見続けるばかりだった。(写真下)




 そして、ゆるやかにたどるその道の果てには、主峰焼石岳の紅葉の錦をまとう姿が見えてきた。
 やさしく吹きつける風が心地よかった。
 左手に、錦の障壁を連ねる横岳、正面に錦繍(きんしゅう)を織り込んだ焼石岳、右手には東焼石岳へと続く草モミジの原と紅葉の帯があり、そのただ中を、所々にあるチングルマの紅葉の株を見ながら歩いて行く幸せ。 
 そして人の声が聞こえて、その姥石平(うばいしだいら)の広がりが終わる所に、泉水沼があり、それを前景にして、主峰焼石岳(写真下の上)と右手に続いて東焼石岳(写真下の下)が見えていた。
 
 私の望む、快晴の日の”絵葉書写真”にふさわしい、まさに自然という匠(たくみ)が創りだしたに違いない一品だった。
 その中にいた私は、幸せな思いに満たされていた。








(来週に続く。)