ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

紅葉の草原

2019-09-16 21:50:38 | Weblog




 9月13日

 数日前に、久しぶりに山に行ってきた。
 前回、あの鳥海山での、悪天候遭難の恐れすらあった失敗登山(8月5日の項)からもう、一月半もたっている。
 もう絶対に天気が悪い時の登山などしたくもないから、天気予報と休日のめぐりあわせを頭に入れて、やっと平日の好天の日に行くことができた。 
 もっとも今回は、無理はしたくなかったから、登山というよりは、山上のハイキング、草原歩きといった軽い山歩きだったのだが、それでも私の山好きの思いは十分に満たされたのだ。 
 それはやはり、何よりも青空の広がる下で、山道を歩くことができたからだ。
 まったく、山は晴天の日に行くに限るのだ。

 ようやく紅葉の季節が始まったばかりの、北海道は大雪山の山々、いつもあげるあの大雪山の山歩きのブログ「イトナンリルゥ」によれば、山上の稜線部分はだいぶん色づいていて、反対側の黒岳側から登った美ケ原の、例の標本木のナナカマドの繁みも真っ赤に色づいていた。 
 しかし、どうも表側の旭岳姿見平付近の色合いは、ライブカメラで見ても、今一つ鮮やかな色彩にはなっていなかったようだったが、それは今月初めとさらにその数日後に暑くなって、30℃を越えたりして、その後にはまた10℃ぐらいまで冷え込んだ日があったりしたから、色づきが悪く枯れてしまったのではないか。
 しかしそれでも、私には出かけなければならないもう一つの理由があった。
 
 というのも、私の良く知っている宿の御主人が1年前に亡くなっていて、私はそのまま不義理をして、ご挨拶にもうかがっていなかったからだ。
 その宿には、母がおばさんと二人で北海道に来たく時には、二度も泊めさせてもらってお世話になっていたから、当然すぐにも行くべきだったのだが、そこにいくには、私の家から数時間もかかるし、その距離の長さに二の足を踏んでいたのだ。(もっとも若いころには、この表側から山に登って、例えば安足間岳(あんたろまだけ)まで足を延ばして、日帰りで家に戻ったこともあったのだが。)
 しかし、残された奥さんは、周りの知人たちの協力もあって、けな気に宿を続けられているとのことで、何としても直接お目にかかり、遅ればせながらのお悔やみの言葉を伝えたかったからだ。

 その日、日の出過ぎのころに家を出て、旭岳ロープウエイ駅舎に着いたのはもう10時に近かった。
 紅葉時の大混雑とまでは行かないにしても、手前の駐車場は満車になっていて、仕方なく駅舎前の有料駐車場にクルマを停めざるを得なかった。
 9時45分のロープウエイは、意外にそう混雑してはいなかった。
 駅舎から出てすぐ前に見える、おなじみの旭岳の姿は、紅葉の色がまだ少し早く色づきも良くはなかったのだが、それでも十分に見ごたえのある眺めだった。何よりも背景の青空が素晴らしい。山は、季節を問わず、青空に限る。

 そこから、にぎやかな観光客たちとともに、左回りに散策路を歩いて行く。
 冒頭の写真は、夫婦池から見た、旭岳の姿だが、やはりここでは色づきがまだという感じだった。(2015.9.21の項参照)

 ただ、すぐに気がついたのは、白い水蒸気を噴き出す噴気孔の数が、明らかに増えていることで、どうしても2015年秋の、あの木曽御嶽山(きそおんたけさん、3067m)の爆発的噴火事件のことを思い出してしまう。
 私が、2013年夏にその木曽御嶽山に登った時も、噴火口の噴気は、今見る旭岳の噴気よりは小さなものだったのだが、その2年後に、あの58名もの登山者が亡くなった大噴火が起きているのだ・・・。
 ともかく、大雪山では有史以降の噴火記録がないのだから、噴気孔はあっても、噴火の恐れはあまりないのだろうが、こうして目の前の噴気孔の数が増えているのを見るのは、あまりいい気持ではない。

 さて、姿見の池をめぐる周遊コースと別れて、裾合平(すそあいだいら)への山腹トラヴァースの道を行く。
 天気は良く、青空が広がり、そよ風が吹いていて、いい山歩き日和(ひより)で、人も少なく結構なのだが、所々にあるナナカマドの灌木は、残念ながらせいぜい橙色(だいだいいろ)になっているぐらいで、その上に縮んで葉が落ちているものも多く、いつもの紅葉を楽しむまでには至らなかった。
 それでも究極の選択ではないけれど、天気の悪い日の見事な紅葉と、快晴の日の今一つの色具合の黄葉のどちらがいいかとなれば、頭の中が単純でお天気屋の私としては、もちろん後者の晴天の日を選ぶのだが。

 大雪山の花暦(はなごよみ)の最後を飾る、濃い紫のエゾオヤマノリンドウが、ところどころにまとまって咲いていて、あとは白い実をつけるシラタマノキと黄色のミヤマアキノキリンソウがあるくらいで、もう花目当ての季節ではないのだろう。
 旭岳の噴気が見えなくなり、山の西側のすそ野を回り込むようにして、当麻乗越(とうまのっこし)方面との分岐まで来ると、そこから裾合平に入って行き、木道が続く中、ほどなく四方をチングルマの一大群落に囲まれた、広い草原に出る。ここが裾合平だ。
 おそらくここは、日本一だと思われるチングルマの一大群生地である。
 夏に秋にと、もう何度も来ているのだけれども、ほとんどは旭岳周遊や、黒岳縦走、当麻乗越などのついでに訪れることが多いのだが、今回はここに来ることだけを目的にしていたから、年寄りになった自分の足でも、比較的に楽に来ることができるコースなのだ(片道2時間半)。

 行き交う人も多くなり、さらには若い外国人たちが多かったのだけれども、多くの人が”コンニチハ”と声をかけてくれた。
 余談だが、若い時にヨーロッパを旅した時に、当然アルプスのトレッキングも楽しんだのだが、スイス、オーストリアを含む南ドイツ語圏のトレッカーたちは、”グリュスゴット”と声をかけてくれたのを思い出した(Gruess Gott,神の御加護をの意味だが、こんにちはの意味で使う)。

 さて私は、この裾合平の端まで行って、同じ光景の写真を飽きもせずに何枚も撮った。
 前回行った鳥海山では、初めて行った山であり二日間の山旅だったの山にもかかわらず、悪天候でわずか数十枚撮っただけだったのに。
 今回の裾合平への山歩きでは、何度も行っているにもかかわらず、百数十枚もの写真を撮ってしまった。(写真下、裾合平より左から大塚に重なって安足間岳(あんたろまだけ、2194m)があり、その斜面から比布岳(ぴっぷだけ、2197m)がのぞいていて、右手の三角錐の山が北鎮岳である(ほくちんだけ、2244m)である。


 
 下手な写真でも、自分で楽しむためのものだから、ここぞとばかりに写しまくったのだ。
 ”八丈島のきょん!” (漫画「がきデカ」の意味のない感嘆詞)

 下の写真は、裾合平から見た旭岳(2290m)で、そのすそ野を埋めるチングルマの綿毛がいくつもの波のように続いている。さらにその下の写真は、裾合平から順光に照らし出されたチングルマの紅葉風景で、背景は熊ヶ岳(2108m)である。







 
 木道のわきに腰を下ろして、軽い昼食をとり、しばらく休んでいると行き交う人も少なくなり、戻ることにした。
 帰り道は同じ道を戻るだけだが、先ほどの分岐のところで、そのまま当麻乗越方面へと少し行ってみることにした。
 いつも足を止める日本式庭園の様な小さな沼の所まで行ってみるが、やはりここも色づきが物足りなかった。
 分岐に戻り、後は行きと同じ旭岳山腹をめぐる道を歩いていく。
 ただし、例えば安足間岳方面まで行けば長距離コースになってしまい、このトラヴァース道がこたえるようになるのだが。 
 というのも、この裾野をたどる道は水平動のように見えるが、大小の枯れ沢の登り下りが十数回もあって、それで疲れてしまうからだ。 
 しかし、この時のように裾合平往復だけだと楽なもので、やがて観光客のにぎやかな声が聞こえてきて、姿見平周回路との分岐に近づいてきて、辺りのお花畑が半逆光になっていて、クロマメノキ(ブルーベリーの実がついている)にチングルマの黄葉と綿毛、キバナシャクナゲの緑の葉などが、縞模様になって美しく見える。(写真下)

 しかし、天気は予報ほどには良くなくて、戻ってくる途中から旭岳には雲がかかり始めて、ロープウエイ駅に着くころには、上空はすっかり雲に覆われてしまったが、まあ一番いい所で晴れていてくれたから、山歩きを十分に楽しむことができたのだ。

 さて、ロープウエイで下まで降りて来てクルマに乗って、始めに書いていた知り合いの宿を訪ねた。
 奥さんは、もう1年たったからと明るく話してくれたが、やはり初めのころは毎日涙が出てきてというが、それもよくわかる。
 何よりも、ずっと同居している肉親や親子や夫婦で、お互いに相手に先立たれるのはつらいものだ。
 私の場合でも、母が亡くなってもう15年にもなるのだが、いまだに母の遺品には手をつけられずにいるいし、さらに日記など、とてもつらくて読む気にはならないほどだ。
 ましてや、おしどり夫婦で小さな食堂時代を含めて、長年この宿をやって来た奥さんにしてみれば、まだ死ぬ歳ではなかったのに、ひとり遺されてしまったつらさは、推し量るに余りある。

 さらに、前回少し触れた、自分の手で自分の人生の結末をつけた、あの私と同い年だった彼の話も聞いた。
 なぜにどうしてと、知りたい気もするが、しかし、それは彼自身の人生なのだし、もうこれ以上は知らなくていいのだとも思うし。
 私は、残り少ない自分の人生の中でも、まだまだ登りたい眺めたい山がいくつもあり、読みたい本が何冊も残っているし、まだまだ繰り返し見たい絵画や、聞きたい音楽も幾つもあるし、しぶとく命永らえて、それらの思いを一つでも多くかなえたいと思っているのだが。
 そういえば、奥さんの話によれば、何と知らなかったのだが、彼はバッハが大好きで、そのリュート曲を自らギターで弾いていたとのことだった。

 今、彼をしのんで、そのバッハのレコードやCDの中から、一枚を選んでかけるとすれば、あのドンボアがSEONレーベル残した名演奏、バッハの「リュート組曲」からのト短調の一曲なのだが、今そのCDは手元にないので、代わりにここにあるのはジュリアン・ブルームのギターによるものだが、それをかけながら、彼がギターで弾いている姿を思い浮かべてみることにしよう。合掌。

 


 


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