ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

夕焼け空の向こう

2019-09-09 21:54:48 | Weblog




 9月9日

 今日は”重陽(ちょうよう)の節句”。
 仏教徒が多くを占める日本には、昔から、端午の節句(5月5日)、七夕の節句(7月7日)、そしてこの重陽の節句(9月9日)などがあり、さらには、お釈迦(しゃか)の生まれた日を祝う、灌仏会(かんぶつえ、別名”花祭り”があるのだが、今では、それらが大々的な行事として催されることはなくなってしまった。せいぜい幼稚園での行事として、残っているぐらいで。
 大まかに言えば仏教徒であるわれわれ日本人が、異教徒であるキリストの誕生日を、クリスマスという形で大々的に祝って、仏教の始祖である釈迦の誕生日が忘れ去られようとしているのは、寂しいことである。

 おそらくは、心情的キリスト教徒である、日本の若者たちには、より大事な行事になっている、クリスマスやバレンタインデーの方がピンとくるのだろうし、そして近年では、”ハロウィン”などの仮装行列のお祭りの方に、血道をあげては大騒ぎをするようになってしまったのだ。
 魔女やゾンビの仮装行列ではなく、日本式の化け猫やお岩さんなどによる仮装行列を、お盆の日にやってみたらどうだろうか、もっとも、今の若者たちは”だせーマジひくわ”と却下されることだろうが。
 ともかくこうした西洋起源のお祭りは、さらに増え続けて行くだろうし、クリスマスだけでなく、ハロウィンも定着しつつあるし、そのうち、イースター(復活祭)も盛大に祝うようになるのかもしれない。
 世界は一つへと、グローバル化していくのはいいことだと思うけれど、昔から続いてきた行事、習慣はそれなりに意味を持っているはずだから、次の世代へとつなげていってほしいものだ。

 これは、別な問題だけれども、例の「日本人のおなまえっ!」で地名の由来が説明されていて、せっかく古来からつけられていた地名が、今の時代にはそぐわないからと、平凡な名前に変えられてしまうことが多いのが現実なのだ。
 さらに、これもまた定番の生きもの番組「ダーウインが来た!」からだが、今回は大都会の東京で、外来種のワカケホンセイインコが、かごぬけや放鳥されたりして、そのまま見事に都会に適応して大繁殖しているとの話だったのだが、取材班が原産地の一つセイロンを訪ねてみると、野生のインコが田舎の耕作地近くの林に群れで棲んでいて、農民が刈り取ったばかりの稲の粒をついばんでいたが、そのことについて聞いてみると、そこにいたおばあさんが答えていた。

 ” インコも同じ生き物だから、追い払ったり駆除したりはしない”と答えていた。

 " 無駄な殺生(せっしょう)”はしないという、仏教徒の誇るべき教えを目の当たりにした思いがした。

 最近、幼児の虐待死のニュースが多いけれども、こうした事件は個人の倫理観以下の問題ではあるが、4歳の娘に拙い字で、”ごめんなさい”とまで書かせて、さらに死には至るまでの虐待を続ける親とは、いったい・・・。 

 まあそれでいいのかもしれない。私ごときが、日々の出来事に、あれこれ口出しすることではないのかもしれない。
 そうした物事は、それなりの意味を含めてこれからもさらに起きていくのだろうし、やがてはネズミの集団がある日突然、群れを成して川に飛び込んで、全部が滅びるように、人類にもそんな日が来るのかもしれない。

 こんな暗い話の出だしになったのは、久しぶりに来た友達から、衝撃的な出来事を聞いたからだ。
 私と同じ年の、友達とまでは言えない知り合いの男が、亡くなったというのだ、それも自ら。
 彼は、私と同じ九州から来た男で、スキーが好きで、思い切り滑れるからと自衛隊に入隊していたが、その後自然環境スポーツを企画・実行する会社に入り、そこでずっとインストラクターなどとして活動していたから、まさか彼自身がこうした結論を出してしまうとはと、考え込んでしまったのだ。

 原因は、その友達から聞いただけでは、確かな何かがあったかどうかも分からないが、私は、彼の考え方の良し悪しとしての詮索はしたくないし、ただ死ぬ前に、ボロボロの姿になって山から下りてきて、山すそにある友達の宿に寄って行ったことがあったそうで、それが何を意味するのか知る由もないし、ただ今となっては、彼の無念の気持ちを推し量ることしかできないが・・・。

” 自殺とは選択の手段なのだ。
 これは真理に違いないなどと思ってしまいそうな、非常に強いある種の精神的感覚と闘うことへの恐怖、ある意味で万人共通の恐怖を、拒絶するものが自殺するのだ。
 この精神的感覚のみが、何よりも明らかに正当で確かな解決策を、すなわち自殺を受け入れるのだ。"

(『最期のことば』刈田元司・植松靖夫著訳より、ルネ・クルヴェル[1900~1935]のことば、教養文庫、フランスのシュールレアリスムの作家であり、若くして死んでいる。)そんな彼と、もう年寄りになっている私の知人の彼とくらべても、その意図も違うのだろうから、今回の事件とはあまり関係はないと思うのだが、ふとこの言葉を思い出してしまったのだ。)

 私には、それが彼の思いだったのだろうから、あれこれと言うつもりはないが、同じ時代に北海道に移り住んできて、ここまで生きてきたある種の仲間だったから、彼の人生のことを思ってしまうのだ。
 私には、幸いにも、生きて行くことをためらうほどの問題に、まだ遭遇していないし、さらには、脳天気のおつむてんてんのアホな性格だから、多少の問題は気にしないことにしているのだが、そうしたぐうたらな私に、この事件は、小さな冷たい雨の一滴が落ちてきたような感じで、人生には、誰にでもあるような逢魔ヶ時(おうまがとき)のひと時があるものだと教えてくれたのだ。 

 さて、まだ書きたいことはいろいろとあるのだが、その一つ、これもいつもの私の定番番組である、あの「ポツンと一軒家」から昨日の分だが、61歳になるという建築業の男は、自分の出身地でもある茨城の山奥にある、使われなくなった県の研修施設を買い取り、自分好みの山上庭園にするために、マツやサクラにモミジにツツジなど1万本近くの苗を、ひとりで植え続けていた。
 もう一つの話は、山形の83歳になるおじいさんで、若いころから山登りが好きで、ふた山もある広大な山林を買い取っては、そこから山頂に通じる登山道を作り、79歳になる妻や支援者たちとその登山道の整備に汗しているとのことだったが、その整備作業が終わって、仲間同士で飲むビールが一番だと笑顔にあふれていた。
 
 こうした話は一昔前までなら、単なる隠居じいさんの道楽だと片づけられていたものだが、今や日本全土のあちこちで、そうした山林が外国人たちに買い漁られているとなると、事はそう単純な話ではなくなって来る。
 つまり、水源地でもあるそれらの山林の将来は、と危ぶむ声も出てくるのだが、一方で、こうした個人の努力で自然環境が保たれているとするならば、それを見習って、売りに出ているこれらの山林を、クラウドファンディング(ネットなどによる不特定多数の人々への募金集め)によって資金を募り、小さくてもいいから誰でもが参加できて、山仕事を楽しめる保護区を作ったらどうかと思うのだが。

 私は、山林の土地を買って、そこに自分で家を建てて、こうして住んでいるのだが、ここにある木々や草花から、どれほど多くのことを学ばせてもらったことか。 
 今、全国には、山林や耕作放棄地がいくらでもある。
 広い土地を買えなくても、週末だけの畑や山林手入れ作業を楽しむためには、ほんの小さな山林があればいいし、そしてそこに住みつくためには、貧乏に耐える我慢づよさと、夢を実現させる気力があり、あとは少しだけのお金があればいいのだ。
 
” 人生は恐れなければとても素晴らしいものなんだよ。
 人生に必要なもの。
 それは勇気と創造力、それに少しのお金だ。”

 (映画『ライムライト』(日本公開1953年)の中で、チャップリン扮する老喜劇役者が、自殺しようとしていた踊り子テリーを慰め励ますためにかけた言葉であり、あの胸に残るテーマ音楽とともに、チャップリン珠玉の一作である。)

 こうして、自分の好きな自然の中で暮らすことによって、いつしか自分が”黄金の日々”の中にいることに気づくだろう。
 今回の二つの”ポツン一軒家”は、ぐうたらに今の生活を続けているだけの私とは違い、そうした自分の思いをいまだに持ち続けている人達の話であり、考えさせられる事が多かった。

 さて、昨日から、台風が引き連れてきた湿った暑い空気が、北海道にも入り込んでいて、今日はここでも31℃まで上がり、この数日少しづつやっていた庭の草刈りも、中断せざるを得ない暑さになってしまった。
 今日は、北海道各地で34℃を越えていて、日差しが照りつけて、とても北海道の涼しい9月とは思えないほどで、平年に比べて7,8℃も高いとのことだった。
 しかし、その前は時々秋空が広がり、朝夕の日の出日の入りのころの、赤い幕の天体ショーを見られるようになっていたのだ。

 冒頭の写真は、日高山脈がシルエットなった夕焼けの写真であり、下の写真は、今日の日の出のころの、小さなうろこ雲が薄赤く染まった時の写真である。
 こうして秋は、一歩一歩と確実に近づいてくるのだ。

 冒頭に、重陽の節句のことを書いたけれど、今から数十年前の重陽の節句の次の日に、私は自分の夢をかけて、オートバイで砂漠を走るべく、オーストラリアに向かったのだ。 
 そして今、私はまだ、生きている。

 ”I’m still alive " 
 映画『パピヨン』(1973年)は伝記による作品であり、理不尽な罪で、劣悪な環境にある終身刑の牢獄に入れられた、スティーヴ・マックイーンふんする主人公が、脱獄に成功して、小舟の中でひとり、こぶしを振り上げて空に向かって叫ぶ、ラストシーンが忘れられない。

 今はもうこの世にいない、向こう岸の彼方に去ってしまった彼に贈る言葉というよりは、恐らくは自分自身に・・・。