1月15日
強い寒波の襲来で、北陸地方を中心にして、平年の数倍にも及ぶ積雪があったとのことで、様々な被害はもとよりのこと、これからも続く、雪国の人たちの苦労が思いやられる。
この九州北部の平地の市街地でも積雪になり、山間部にあるわが家周辺でも15㎝ほどの雪が積もった。
気温も毎朝ー7度まで下がっていて、窓ガラスは凍りつき、そのまま昼間もマイナスの真冬日になって、暖房設備が十分ではないわが家だからこそ、その寒さもこたえるのだが、しかし一方では、雪山に登る時の寒さは覚悟しているから、それほどつらくはないという変な理屈もあるのだ。
だからこそ、そうした雪国の人たちの御苦労には申し訳ないという思いもあるのだが、私たち雪山ファンにとっては、今こそが待ちかねた季節でもあるのだ。
気温が下がったうえに、風雪による積雪があれば、九州の高い山(大体1500m位以上)では、風紋や”えびのしっぽ”にシュカブラなどの、雪氷模様を十分に楽しむことができる。
確かに、北海道や北アルプスなどの高山帯での、大規模な雪氷芸術には及ぶべくもないが、この九州でも、部分的な範囲ではあるがそれなりに、冬山の景観を楽しむことができるということだ。
もっとも今までに、私が目にした雪氷芸術光景の中で、最大のものは、ここでも何度も取り上げたことのある、あの蔵王の樹氷で有名な地蔵岳から、熊野岳(1841m)そして刈田岳に至る稜線上のものである。(’14.3.3,10の項参照、とは言っても、北海道や北アルプスでは、12月から2月までの厳冬期を除いての、いわゆる初冬期や春山に登って見たものだけだから、あまり大きなことは言えないのだが。)
今回、雪が降り積もった後に、私は天気予報と空模様に目を凝らして、山に行く機会をうかがっていた。
というのも、九州の山だから、晴れて気温が高めになれば、それらの雪氷芸術はパラパラと崩れ落ちてしまうからであり、もっとも青空が広がる背景があるのが望ましいから、できればそうした雪氷状態が保たれている、風雪直後の、晴れた天気の朝、早いうちから登りたいのだが。
ただし、本当に鮮やかな配色模様の写真を撮りたければ、朝夕に赤く染められた山々の姿が一番であり、そうした時をねらって山に行くべきなのだが、未明のころや夕闇迫る中、ただライトを頼りに下を見て歩くだけの登山がはたして、という思いが展望登山派の私にはあり、その上に、最近とみに根性なしのグウタラじじいになってきてからは、そうした夜討ち朝駆けも次第にできなくなっており、さらには相も変わらず、昔のままのはっきりくっきりの絵葉書写真が一番だと思う、私の低劣な美的感覚ゆえのことでもあるのだろうが。
さてそうして、前回書いた地元の山に登った時と同じように、雪が降った後の空模様を、いつ晴れてくれるのかと、じりじりと焦る思いで待っていたのだが・・・。
(この後、3時間ほどかかって大半の記事を書き上げて、下書き保存しようとしたところ、最近たまにあるのだが、突然ネットにつながりにくくなって、ブログ会社側からの通信がありませんと出て、そこでそれまでの3時間分の原稿が一気に消えてしまい。もうただ唖然とするばかりで、この年寄りには、再び思い返して書く気力はありません。以下概要だけを記して、あわせて写真だけは、記載することにします。)
やがて、家から眺める一面の曇り空に、少し青空が見えてきたので、思い切って山に行くことにした。
山道は全線が圧雪アイスバーンで、牧ノ戸峠駐車場はすでにいっぱいになっていたが、かろうじて手前の空き地にクルマを停めることができた。
アイゼンをつけて歩き始めた遊歩道の両側は、霧氷(樹氷)の花盛りできれいだったのだが、何しろ雲が垂れ込める一面の曇り空で、モノトーンの道は異次元世界を歩いているようだった。(写真下)
もう昼に近く、これから登る人よりは下りてくる人たちばかりに出会ったが、その中でも若い人たちが多いのには感心した。
この若い世代の人たちが、今のうちから山に親しみ、さらに自分たちの周りの、自然保護へと意識を高めていってほしいと願うばかりだ。
途中のナベ谷の源頭部は、秋の紅葉もきれいなのだが、冬の霧氷(樹氷)もきれいだ。しかし残念なことに、日も差さない暗い空のもとでは、全くの白黒写真にしか見えないのが残念だった。(冒頭の写真)
扇ヶ鼻分岐から、西千里浜に出ると、吹きつけるガスの中で、先ほど脱いだ厚手のフリースを、再びジャケットの下に着こむが、その時の手先がすぐに赤くなって、がまんできなくなるくらいに気温が下がっていた。
その時、上空に青空がちらりと走り、星生山(ほっしょうざん、1762m)の山影が見えたのだ。
これは期待できるかもと西千里浜に向かい、途中で何度も立ち止まり、さらには星生崎(ほっしょうざき、1720m)下の岩塊帯トラヴァース道の途中で待っていると、その時、まさに乾坤一擲(けんこんいってき)の瞬間で、目の前に、肥前ヶ城の広い台地上の頂が見え、さらに振り向いた反対側には、星生崎の岩峰が青黒いまでの北側の空を背景にして、高くそびえ立っていた。(写真下)
さらに、その青空は西から東に流れ、私が思わず声をあげた次の瞬間、ほんの二三秒の間だけだったが、この九重山群の盟主、久住山(1787m)の姿が見えたのだ。(写真下)
しかし、山々はまた雲の中に隠れてしまったが、ともかくもう一度あの一瞬に望みを抱いて、この岩塊のトラヴァースの道をたどり、コルに着いて、そこからいったん下の避難小屋まで下りて、何も見えないだろう久住山頂上へというコースはあきらめて、この星生崎下の先端にある岩影の所まで行って、そこで風を避けながら待つことにした。
そこからは、晴れていれば、正面に久住山が見え左に天狗ヶ城と中岳が見えさらに三俣山がのぞき、振り向いた正面には星生崎の岩峰が覆いかぶさるように見える所なのだ。
しかし30分近く待っては見たが、もう久住山が見えるまでに晴れることはなくて、あきらめて戻ることにした。
帰りの道でもう一度青空が出てはくれないかと、たびたび上空を仰いで見たが、むしろ暗い雲が厚みを増してくるようだったし、さらに向かい風になって寒さが身にしみてきた。
晴れていれば、背景の青空との鮮やかな対比が美しい霧氷(樹氷)も、相変わらずの変わり映えのしないモノクロームの映像だった。
昼前に出て夕方前に帰り着いた、わずか4時間余りの雪山トレッキングだったが、これはいつも晴天登山を目指している私にとっては、最近では珍しい失敗登山になってしまった。
家に帰り着いて、いつものようにカメラをテレビにつないで見たのだが、そこに映し出された画像一覧を見て、一瞬目を疑ってしまったのだ。白黒写真ではないのかと。
高校生のころ白黒フィルムで撮ったものを、今になって、スキャナーにかけてデジタル映像化した時に見たものと同じではないか。
何たることか。しかし、その一覧の終わりの方になって、ようやく青空の写った10カットほどの画像が出てきて、やっと今日の山行の時のものだと理解したほどだった。
この日の登山は、確かに失敗登山ではあったが、これが無駄なものだったとは思わない。光がないことで、雪の風景がかくも変わることを改めて強く感じさせられたし、この日は、白黒写真の日と記憶することになるだろう。
誰にとっても、人生に、無駄だったと言えるような時間など、ありはしないのだ。
さらに言えば、この不気味なる光のないモノトーンの世界こそ、実はあの「古事記」にも出てくる神話の世界の、天照大御神(あまてらすおおみかみ)が天岩戸(あまのいわと)の岩屋に隠れて、世界中が闇に包まれたという話を思い出すが、それはつまり、今日の山の天気ような不気味な暗い空の日が続いて、当時の古代の人々が困り果て、その神話の世界の中に原因を見つけようとして、日ごろからの悪行を戒める意味でも、乱暴者の須佐之男命(すさのおのみこと)を引き合いに出したのではないのか、と考えられるのだが。
さらに断片的なことになるが、途中で霧氷と樹氷の違いについても考えてみたのだが、一般的には、水蒸気が風に吹き付けられ立ち木に付着してできものや、あるいは川辺から立ち昇る水蒸気が樹々に凍りついてできたりしたもの、それら雪氷状のものをすべて霧氷と呼んでいて、あの蔵王や八甲田でスノーモンスターという名前がつけられている、巨大な雪氷像を、樹氷と呼んでいるようだ。
しかし、字面(じづら)から言って、私としては、水蒸気などが付着してできた半透明の氷状のものだけを、霧氷だと思いたいし、一方で吹きつけた雪がもとで”かき氷”状に発達していったものは、樹氷と呼びたいのだが、ただその樹氷がさらに発達して、木々をすべて覆うほどになったものは、樹氷塊(じゅひょうかい)という新たな名前をつけたらとも思うのだが、それは、いかにも私みたいなじじいが考えつきそうな、あまりにも格好悪い古臭い呼び名でしかなく、支持されないのは目に見えているのだが・・・。
さらにもう一つ、天気についてだが、この曇り空の山行の次の日は、九州中で福岡県を除いて快晴のマークが出ていて、気象庁の天気分布予報図でも、高気圧に覆われる九重山域は、晴れのマス目で覆われていて、もしその通りの天気なら、今日と同じコースをもう一度登りなおしてみたいと思っていたのだが。
ところが、翌日の天気は、朝から曇り空で、日中も時々薄日が差すくらいの天気で、青空が見えることもなく、山に行くのはあきらめたのだ。
しかし、前日の衛星画像からもわかるように、西の方から高い空の雲にせよ、大きな雲の塊が近づいてきていたのだから、本来は朝になってからでも遅くはないから、天気予報を修正するべきだったのに、現にある民放の天気分布予報では、朝から九重山域を含めて九州中北部は曇り空の色に変わっていた。
天気予報は、年々その精度が上がってきていて、十分に信頼するに足るものなのだが、そのことを理解したうえで言いたいのは、気象庁は予報だけ出せばいいというものではなく、もし予報がはずれた時には、何もそれをとがめるつもりなど毛頭ないのだが、一般の天気情報愛好家のためにも、せめて一日の終わりに、予報がはずれた原因などを説明してくれることがあってもいいと思うのだが・・・。
さらに、今回消えた原稿には他にもいくつかのことを書いていたのだが、忘れてしまったものもあり、また書き直すのも面倒で、このあたりで終わりにしたいが、田舎に住んでいると、こうしたWi-Fi通信不安定の状態もあり、都会で光ケーブルを使ってサクサクとパソコン作業をしている人たちから比べれば、あの兎と亀の数式のように、永遠に近づけない距離があるような・・・、しかし、われら田舎者には、いつも周りにいっぱいの自然があるのだ、どや。
それにしても、こんな時間までもかかって、原稿を書き直して、ああ疲れた。バカじゃないの。