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1月2日
10年前、北海道は十勝地方の一隅にある、小さな丸太小屋で、私は正月を迎えていた。
外の気温は、たびたび-20度を下回る日もあったけれども、家には家全体を温めてくれる、しっかりとした薪(まき)ストーヴがあったので、外に出ない限りそう寒くはなかった。(外にあるトイレに行く時は大変だが。)
畑を区切って立ち並んでいる、カラマツの防風林に、朝日が当たり始めた。(写真上)
それらの木々の、すべての小枝に、白い霧氷がついていた。
背景に青空があり、木々の間に遠く、白い日高山脈の山々が見えていた。
やがて、朝の一仕事を終えて、日差しの暖かさがいくらか感じられるようになってから、私はしっかりと着込んで、家を出た。
なだらかな丘陵地帯が続く、雪の原を、私は自分の足跡だけをつけて、ゆっくりと登って行った。
”冬だ、冬だ、何処(どこ)もかも冬だ
見渡すかぎり冬だ
その中を僕はゆく
たった一人で・・・”
(「冬の詩」高村光太郎 現代日本の文学 第6巻 学習研究社より)
やがて、雪の牧草地の丘の上に着く。
ぐるりと取り囲む雪原のあちこちで、小さな雪の妖精たちが日の光を受けて、きらきらと輝いているかのようで・・・。
そのかなた遠くに、広い青空を背景にして、白い日高山脈の山々が並んでいた。
あれが1832峰、そしてピラミッド峰にカムイエクウチカウシ山(1979m)と立ち並び、さらに1903峰から春別岳へと続いている。(写真下)
"雪、白く積めり。
雪、林間の路をうづめて平らかなり。
ふめば膝(ひざ)を没して更にふかく
その雪うすら日をあびて燐光(りんこう)を発す。
燐光あおくひかりて不知火(しらぬい)に似たり。
路を横切りて兎(うさぎ)の足あと点々とつづき
松林の奥ほのかにけぶる。”
(「雪白く積めり」高村光太郎 同上)
こうして、晴れた冬の日に、この丘の上にいて、この景色を見ていることこそが、私の願いだったのだ。
一つの思いが、長年をかけて、現実となってかなえられた今、他に何を望むことがあろう。
私は、いつも多くのことを望みはしなかった。
若い日の経験から、望みのほとんどが実現されずに、いつしか望みのままに消えてしまうことを知っているからだ。
それだからこそ、いつまでたっても望みは”望み”と呼ばれ続けるのだろうが。
元気で今を生きていることが、その大前提にあるとしても、その中で、私はいつも、その時々に実現できる思いを一つだけ持つことにした。
そして、今までにその多くのことが、現実のものとしてかなえられてきた。
望みを低く持てば、そしてそのことで満足できれば、人生は、多くの小さな喜びに満ちていることがわかるはずだ。
あの時の雪原に、きらきらと輝いていた、雪の結晶たちのように・・・。
現実として九州の家にいる今、私は、暮れの数日前に町まで出かけて行って、買い物をすませてからは、散歩のとき以外は家にいた。
やるべきことはいくらでもあって、庭の掃除から、もう五度目にもなる落ち葉焚(た)きをして、家の中をあちこち大掃除したりして。
そして、この正月にかけては、比較的に天気が良く、少し冷え込んだ時もあったが、雪が降ることもなく、穏やかな毎日が続いていた。
山では、頂上部分には霧氷がついているのだろうが、おそらくは、まだ雪山と呼べるほどの十分な雪は降っていないだろうし、そんな時に、出かけていく気はしない。そのうえ、人も多いだろうからと、いつもの出不精に理由をつけて、まだ山には行っていないのだ。
なんと、これでもう2か月近くも、山登りの間が空いたことになる。
そのぶん、どうしてもテレビを見たり、パソコンでネット情報を見たり、本を読んだりして過ごす時間が多くなる。
テレビでは、年末にかけて”紅白歌合戦”などの長時間の歌番組が多くあり、そのほとんどは録画して、流し見しただけではあるが。
その中でも、長年のファンであるあのAKBについては、さすがの私もいささか熱気が冷めてきて、それは私だけでなく、ネットやテレビを見ていても盛りを過ぎた感じがしてしまい、いずれの歌番組でも、”上り坂”にある乃木坂のレコード大賞受賞と、さらに今注目を浴びている欅坂(けやきざか)との、いわゆる”坂道グループ”との差をはっきりと見せつけられたような気がした。
それにはいろいろな要因があるのだろうが、前に何度も書いたことがあるように、私がAKBファンになったのは、まず総合プロデュサーでもある秋元康が書いている、歌詞に感心したからでもあったのだが、今ではその才能が多くのグループを作ることで分散されてしまい、最近では、じっくりと聞きたくなるような歌が少なくなってきたのだ。
そうして今では、新しい歌をYoutubeからダウンロードして、それをCDに入れてまで聞くことはなくなってしまった。
ただし、一年以上前に自分で作った、乃木坂とAKBの歌を半分ずつ入れたCD を、クルマで出かける時には聞いてはいるが。
その昔AKBが歌っていた「River」(’09)、「Beginner」(’10)、そして「UZA(ウザ)」(’12)といった時代の流れを行くような歌が、今では欅坂や乃木坂に回されてしまい、AKBには相変わらずの、一昔前からの古いタイプのアイドル・ソングばかりを歌わせているのが気になる。
さらには、このAKBと乃木坂、欅坂の所属するレコード会社が違うことにも、関係があると思うのだが。
つまり、昔の時代から日本の歌謡界を支えてきた老舗(しにせ)のキングレコードと、新しいソニーミュージックの、それぞれに担当する音楽ディレクターたちの、言っては悪いけれども、時代感覚センスの差が見えてくるような気がするのだが。
さらには、ソニーミュージックはデビュー当時の売れないAKBを早々と見限って、キングに移籍させたとたんに、そのAKBが大ヒット曲が連続するようになり、当時、地団太ふんで悔しがったであろうソニーの意地もからんでいたからだろうが。
バブル時期に破綻したあの山一證券社長が涙の会見で、「頑張っていた社員たちは何も悪くはないんですから」と声を絞り出して弁明したように、AKBグループの娘たちは何も悪くはないのだけれども。
もっとも、さらには、ファンの思いを裏切る上位メンバーの娘たちのスキャンダル事件がいくつかあったことも、その人気凋落の一因になったのだろうし、そして加うるに、去年の6月の総選挙でのドタバタ劇も少なからずの影響があったと思うのだが。
あの時、沖縄の野外会場が雷雨で中止になったことで、その沖縄にまでお金をかけて詰めかけていた、多くのファンの思いをそのことで一気に引かせてしまったことなど、運営母体の責任というよりは、自ら金の生る木の太い枝を切り落としたようなもので、そこには不注意ではすまされない危機管理能力のなさを感じてしまうのだが。
シャープ、東芝の身売りするほどになってしまった経営危機も、同じ根元にあるような・・・。
一転、ヨーロッパはウィーン、毎年恒例のウィーン・フィルによるニューイヤー・コンサートが今年も中継放送されていた。
あの若獅子と呼ばれたイタリアのリッカルド・ムーティも、今やすっかり成熟した年配の指揮者になっていて、時代の流れを思わないわけにはいかないが、指揮ぶりはまだ若々しく、楽団員ともども時には彼らの音の流れのままに、楽しそうにウィンナ・ワルツを演奏していた。
今こそ変わるべきものと、変わらぬまま続けて行くべきもの・・・。
元日のバラエティー番組から、日本テレビ系列の「今夜くらべてみました」。
なんとそこに、今年95歳になるという瀬戸内寂聴さんが出演されていて、さすがに足腰は弱っているようだったが、やや早口の語り口と、人生には恋愛と(自己)革命が必要だと説く、変わらぬ強い信念にただただ感心するばかり。
90歳で亡くなった母が、生前尊敬していた数少ない一人だった。
さて、年の初めに、改めて何かを始めようという気はないけれども、ただ今も読み続けている「万葉集」以降の日本の古典文学は面白いし、再読するものも初めて読むものもあるけれども、次から次へと新たな興味がわいてくる。
「枕草子」「土佐日記」「伊勢物語」「今昔物語」「平家物語」「謡曲(ようきょく、能狂言の台詞)」などなど、それぞれに新しく古い世界への眼を開かれる思いがして、なんとか元気に生きている間に、江戸時代までの日本の古典を読んでしまいたいのだが(さらには、明治時代の尾崎紅葉も一時熱中して読んだことがあるくらいだから、そこからさらに森鴎外、夏目漱石へと日本文学は続いて行くのだが)。
ともかく年寄りになって、改めて見つけたこの日本古典文学の宝の山、何とかねちねちと楽しみながら読み続けていきたいものだ。
山登りは、年を重ねるごとに体力気力が衰えてきたのだが、読書の方は、近眼老眼ともにあるけれども読むことに困ることはなく、死ぬまで続けるとすれば、こちらのほうが実現性は高いのだろうが。
そう簡単にくたばってたまるかと、この偏屈で気むずかしいじいさんは思っているのであります。
まあ年の初めだから、あまりにもよく知られた歌だが、やはりこの一首をあげておくべきだろう。
“新しき 年の初めの 初春の 今日降る雪の いやしけ(重なり積もれ)吉事(よごと)”(大伴家持)
(『万葉集』巻第二十 4516 伊藤博訳注 角川文庫)
今日、雪は降っていないけれど、その代わりに、夜、いつもよりは大きく見える満月の月が、こうこうと輝き、雪のように白く辺りを照らし出していました。