ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

雪の尾根をたどって

2018-01-22 22:11:43 | Weblog




 1月22日

 早朝から降り始めた雪は、またたく間に積もっていった。
 風もなく、真上から雨のように降り続く雪。
 しかし、屋根の軒先からは、しずくも落ちてきている。
 正午の時点で、気温0℃。積雪15㎝。

 道路にも、クルマのわだち一つついていない。
 こういう日には、家の中にいればいいだけのことだ。 
 引きこもり老人の私としては、この天気でどうこうの影響があるわけでもないし、むしろ、楽しみな雪景色を見ることができる一日になるだけのことで・・・。

 もちろん、毎日忙しく立ち働いてる多くの人たちにとっては、こうした災害と言えるほどの雪降りの日は、日々の生活に直接影響する大問題になるし、じいさんの雪見見物などに付き合っているヒマはないのだろうが。 
 都会に住めば、日常の生活は便利だし、日々変わりゆく街の中にいて、いつも新しい情報を目の当たりにすることもできるのだろうが、その反面、多くの人が集まって住んでいるだけに、問題が起きればその連鎖的な広がりを食い止めるのに、それ相当の労力を要することになるし、個人としても、ぶつくさ文句を言いながらも、それぞれに相応の被害を甘受しなければならない。 
 田舎に住んでいれば、集団の喧騒(けんそう)からは逃れられて、静かな生活を送ることができるのだが、一方では、一人の力ではどうにもならないことや、生活上での様々な不便なことに耐え忍んでいかなければならない。
 何事も、いいことばかりでもなければ悪いことばかりでもない、いつもそれぞれの欠点利点を相半ばして補うようになっているのだろうが。

 そこで、前回から続く雪山の話だが、今日の雪が、山でいくら降り積もったからと言っても、さあ雪山のチャンスだとばかりに、ほいほいと喜んで出かけて行く気にはならない。 
 それは、冬場の南岸低気圧が、日本の沿岸沿いに進んできて、北から下りてきていた寒気団に触発されての雪降りであり、いわゆる日本海側での、”里雪型”と呼ばれる降雪に類似した降り方だったからだ。
 つまり、気温はあまり低くならずに、真上から降り積もる雪は湿って重たく、溶けやすく、そんな状態の雪では、いくら山の上でも、風紋、シュカブラといった雪氷芸術が見られるはずもなく、霧氷(樹氷)かと思える光景も、ただ枝に雪が降り積もっているだけの、すぐにバラバラと落ちてしまう、つかの間の雪景色でしかないからだ。
(ちなみに、冒頭の写真は、今日、わが家の庭の木に降り積もった雪の枝の模様で、遠目には山の霧氷と区別はつかないが・・・。前回参照)

 数日前に、正月に録画してまだ見ていなかった、冬山の番組を見た。
 あの「グレートトラバース 日本百名山(二百名山)一筆書き踏破」で有名な、田中陽希(ようき)君がこの度新たに、彼の集大成となる「グレートトラバース3 日本三百名山一筆書き踏破」の計画を立て、今年それ実行するにあたって、その訓練のためにもと、去年の11月下旬から冬の北海道、大雪山から日高山脈を大縦走するというふれ込みのテレビ番組だった。
 これまで、動力を使わずに、自分の足とカヤックなどの小舟だけで、つまり自分一人の人力だけで、一筆書き状に日本百名山を、さらには日本二百名山をと登って行く姿が、NHK・BSで放送されていて(今までに何度か再放送)、そのたびごとに彼のタフな体力と頑張りには感心させられていたのだが、それは彼にとっては、”プロ・アドベンチャーレーサー”(山、川、海などの自然のフィールド中で、多種目のアウトドア競技を競い合い総合優勝を目指す競技者)としての当然の仕事であり、誇りでもあったのだろうが。

 しかし、それとは別に、これらの番組で私が見たかったものは、彼が登る背景に映し出されていた、四季それぞれの色合いの中にある山々の姿だったのだ。
 ただし、計画的に日にちを守らなければならない彼のレースとしての登山では、ガスに包まれ雨が降っていても決行されなければならず、展望登山派の私としては、何も見えない日に山に登るなんて、と思ってしまうのだった。
(もっともそんな私でも、前回のように、ガスに包まれた中で山に登ることもあるのだし、さらに言い訳をさせてもらえれば、この九重の山々には冬だけでも数十回は登っており、青空の下の雪山の姿形もそれまでに十分見ていたからのことであって、それが初めての山であったならば、もう二度と来ることがないのかもと思い、決して天気の悪い日に登ることはないだろう。)

 もちろん、彼のこうしたトレイル・ランニング的な登り方は、私のよく言えば”高踏派的な趣味”の登山とは全く違う、むしろ真逆に位置するような、勇ましく男らしい対決姿勢を前面にみなぎらしたスポーツとしての登山であり、そうしたレースを模した彼の山登りのスタイルに、さらには、行く山行く山で彼を応援する人々の群れがあって、私としてはどこか違和感を覚えざるを得なかったのだが。 
 しかし本来、山に登るということは、万葉の昔から”歌垣(うたがき)の集い”のために筑波山に登っていたように、様々な目的があってのことであって、何も風景を静かに愛(め)でることだけが、あるべき登山の姿というわけではないのだから、お友達との観光気分の登山も、集団訓練のための学校登山も、もちろんあって当然のことだろうし、むしろ私のように、なるべく人を避けるような登山こそ、異端視されるべきものかもしれない。

 さて話を戻すが、その田中陽希君の「グレートトラバース3 プロローグ 冬の北海道大縦走」の番組を見るのは楽しみだった。あの北海道の二大脊梁(せきりょう)山脈を冬期に全行程単独縦走するとは・・・。
 ただし、心配もあった。それは単独行だからということではなく、つまり映像には一人で山に登って行く彼の姿が映し出されていたとしても、つまりはその彼の姿を撮っているカメラマン他のスタッフ数人がいつも同行しているわけであり、本当の単独行ではないからだ。
 そうではなく、彼が自らを冬山初心者だからと言っていたこと、彼の冬山経験の少なさを心配してのことである。 
 もちろん、あの頑丈な体とスタミナ、大学時代スキー部の主将を務めたという経歴は十分なのだが、烈風吹きすさぶ冬山の稜線では、長い停滞を余儀なくされ、地形図、天気図を読む力だけではなく、積み重ねてきた経験が大きくものをいう時が何回もあるからだ。 
 特に日高山脈では、厳冬期に単独で全山縦走したのは数例しかないはずだから、それを今回、彼のように冬山経験の少ない人がいかにしてやり遂げたのか、ぜひ見てみたいという期待があり、一方では心配する思いもあって、複雑な思いでいざ見始めたのだが。
 
 どうも番組の始めの方から、彼へのインタビューの話が長すぎると思っていたのだが、まずは最初の大雪山は旭岳へと登る時に、一回目は天候悪化で、旭岳の登り口となる姿見の小屋までで引き返し、二度目の挑戦は、まずまずの天気の中で旭岳(2290m)に登り、裏旭の夏のテント場にブロック雪を積み上げて風よけを作り幕営するが、翌日は再び天候悪化で下山することになってしまった。
 その後で彼は、大雪山は天気が良くないけれども、もう一つの日高山脈の方は天気が良いから大丈夫だと思うと言っていたが、これで番組の残りが30分余りしかないから、この時点でテレビを見ている私は、もう日高山脈全山縦走は無理だったのだと思ってたのだが。
 さて、その後ともかく彼は、日勝峠から入山し(台風被害の後この秋に開通したばかり)、すぐそばのペケレベツ岳(1532m)から少し行ったところで雪壁を積み上げて一日目のテントを張り、次の日にウエンザル岳(1576m)を経て西芽室岳(パンケヌーシ岳1750m)から下ったコルの辺りで再びテントを張ったが、翌日は悪天候で停滞し、次の4日目に晴天の空の下、芽室岳(1754m)頂上に登った後、再びこれからの天候悪化の予報のために(おそらく夏道コースの西尾根から)下山。 
 つまり、当初の予定の大雪山から十勝岳連峰、そして日高山脈への大縦走の計画が、いずれも最初の山だけで(全山縦走の場合芽室岳がその最初の起点になることが多い)、撤退を余儀なくされて、いささか番組のタイトルには、そぐわない結果となってしまった。 
 しかし、何も無理を通して遭難事故を起こすよりは、いずれの場合も途中で撤退したのは賢明な選択だったと思う。

 ただ残念ながら、こういう中身のない番組にしてしまった問題は、冬山初心者の田中陽希君にあるのではなく、そういう彼が計画した冬山縦走を実行させた番組責任者、プロデューサーにあるのではないかと思うのだが。
 冬の時期には、二日と天気が続くことがないあの大雪山や、晴れていても猛烈な風が吹く日高山脈についての、彼らの認識が甘かったと言えばそれまでだが、いつも単独行で、特に冬場にはびくびくしながら日帰り登山で雪山に登っていた私には、とてもできない冬山縦走であり、実際の所、当初の計画通りに、冬の北海道の二大山脈を大縦走する、若い彼のその超人的な姿を見てみたかったのだが。

 彼が手こずり体力を消耗してしまった、雪のハイマツ帯での苦闘・・・一歩ごとに足が埋まり、最後には四つん這いになって登る姿には、自分も同じ経験があるだけに、他人事だとは思えなかった。
 そこで思い出したのだが、十数年前の話になるが、一年を通して冬場も十勝にある家に住んでいた私は、厳冬期の1月半ば、野塚トンネルからの西尾根経由で、できるならば野塚岳(1353m)まで行ければと快晴の朝、家を出たのだ。
 このルートは、日高山脈の積雪期の入門ルートとして知られていて、ほとんど尾根通しで行くために、あとは稜線上の雪庇(せっぴ)さえ注意すれば、雪崩に会う心配は比較的に少ないと言われていた。(後年、この野塚岳で雪山遭難事件が起きるが。) 
 最初の尾根への急斜面の取り付きで、それまでつけていたスノーシューを早くも脱いでアイゼンに付け替えた。
 もっとも、真冬の北海道の山の雪はサラサラと積もっていても、その下の地面に近いところだけは凍っていて、日高山脈では、尾根の下の方の森林地帯の登りでさえ、スノーシューでは歩きにくく、まだ”ワカン”のほうがましだと思う。



 むしろ、かなり上部のほうまでは山スキーで登ったほうがいいのだろうが、あいにくやっとスキーが滑れるぐらいの私では、転んでばかりでかえって時間がかかってしまう。
 だから最初から、アイゼンをつけただけの、いわゆる”つぼあし”で登って行くことのほうが多いのだが、それでも下の樹林帯では、稜線のように吹きさらしで雪が固まっているところが余りないから、時々足がはまり込んで、そのたびにそこから抜け出すのに一苦労して、余分な体力を使うことになり、テレビで見た田中陽希君のように、四つん這いになって登って行くこともあるのだ。

 この尾根には、おそらく2週間ほど前の正月休みにころに登ったであろうと思われる、雪面の古い足あとがたまに残っていて、それだけでも単独行の私には、心強い道しるべのように思えたのだ。
 しかし、高度が上がるにつれて樹々が少しずつ少なくなり、さらに固い雪面も現れてきて、そこで一息ついて振り返ると、見事な青空の下にトヨニ岳(南峰1480m)の姿が素晴らしかった。 

 

 これはと思い、ザックを下ろして何度目かの一休みをする。
 静かだった。風もほとんどなく、鳥の声すら聞こえなかった。
 最初の尾根取り付き点からしばらくは、下の国道を通る車の音が聞こえていたのだが、ここまでくるともう聞こえない。 
 登り始めてまだ1時間半ほどだが、もうここで戻ってもいいと思ったほどの眺めだった。
 あのトヨニ岳には、それまでに二度登っていた。いずれも春の残雪期に、一度目は南尾根から(写真に見える中央の尾根)さらに奥にあるトヨニ岳本峰(1531m)までをテント泊して往復し、二度目は、写真左手に続いている国境稜線をたどってトヨニ岳本峰山頂にテントを張り、ピリカヌプリ(1631m)を往復した。 
 いずれのルートにも夏道はなく、一般的には夏に沢を詰めて登られているのだが、残雪の尾根歩きが何よりも好きな私にとっては、その時も、青空の下での爽快な稜線歩きを楽しむことができたのだ。

 さて、せっかくの登山日和なのに休んでばかりはいられないと再び歩き出す。
 まだまだきつい尾根の登りが続き、やがて行く手には木々が少なくなり、見上げる尾根の上が平らになって青空が増えていた。
 ついに、野塚岳北尾根が伸びてきてさらに先の1225mピークまで続く尾根との分起点となる、1151m地点にたどり着いたのだ。 
 風紋が作る小さな雪原のかなたに、南日高の山々が立ち並んでいた。(写真下)



 写真左から、南日高を代表する名峰、楽古岳(1472m)に十勝岳(1457m)そして二つ重なり並んだオムシャヌプリ(1379m)、さらに写真には写っていないが、すぐ近くには野塚岳の頂上ピーク(1353m)も見えているが、残念なことに少し雲がかかり始めていた。
 野塚トンネルそばの駐車場を出てから、2時間半がたっていた。
 あと2時間ほどで、野塚岳頂上には着くだろうが、明らかに先ほどの快晴の空からあっという間に雲が広がってきていたし、展望派の私としては、そんな中、今から頂上に向かう気などなかった。

 あとは、この雪山の展望を思う存分楽しむだけだ。
 私は、誰もいないこの分岐点の尾根で、45分余りを過ごして、雪山の眺めを楽しんだ。
 そして、すっかり雲の増えたトヨニ岳を正面に見ながら、登ってきた雪の尾根を下って行った。
 下りだからということもあり、さらには自分の登ってきた足あともあって歩きやすく、1時間余りで下ってきた。
 家に戻る途中で温泉に寄って、冷えた体を温めて、その湯気の向こうにあの青空の下のトヨニ岳の姿を思い浮かべた。
 
 頂上に登らなくても、それに見合うだけの眺めがあれば、私の山登りとしては目的を達成したことになるのだ。
 あくまでも、私だけの、”趣味としての山登り”なのだから。

 さて、今日の夕方、降り積もった雪の中を散歩してきた。
 山々は見えなかったが、周りの雲が赤く染まっていた。
 それでも、また明日も雪の予報が出ている・・・”東京でも大雪”というニュース画面が映し出されていた。 


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