ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

飼い主よりミャオへ(75)

2009-08-22 18:00:38 | Weblog


8月22日
 拝啓 ミャオ様

  昨日は、一週間ぶりに晴れて、青空が広がり、気温もぐんと上がって、28度。南風が吹き込んで、それまでの20度以下の、涼しい毎日が、嘘のような蒸し暑い日になった。
 久しぶりに、日高山脈の山々も見えて、暑さはともかく、連日の曇り空から青空へと、気持ちも晴れ晴れとする一日だった。

 そして夕方になると、見事な夕焼けが、全天を覆った(写真、左に見えるのは芽室岳)。その30分ほどの間、私はやぶ蚊に刺されながらも、素晴らしい天体ショーに見入ってしまった。
 確かに、皆既日食もオーロラも、遠くに出かけて行ってまでも、見る価値のある天体ショーなのだろうが、私は、家に居て見ることのできる、この夕焼けや、あるいは朝焼けの空だけで、十分なのだ。
 晴れた日の夕方は、いつも気になってしまう。西の空に適度に雲があり、日が沈んでゆくのが見えるとき、私は落ち着かなくなる。
 そんな条件でも、赤く空を染める夕焼けになるとは限らない。ほんの少し、だいだい色になっただけで、暗く沈んだ空で終わる時もある。全天を覆う、見事な夕焼けの空になるのは、年に、そう何度もあることではない。

 しかし、昨日の空は、そんな、年に何度という夕焼けの一つだった。
 始まりは、ともかく雲が多くて、たいした夕焼けにはなりそうにもなかった。しかし、日が沈んでから、さらに雲は動き続けて、だいだい色から赤い色に変わり始め、刻一刻とその赤いベールの姿は変わっていき、深紅色から、ついには重い赤紫色の緞帳(どんちょう)へと変貌(へんぼう)して、ついには周りの闇へ、少しずつ同化し、暮れなずんでいったのだ。何と見事な、天空の舞台なのだろう。

 映画における夕焼けのシーンで、すぐに思い出すのが、あの『風と伴に去りぬ』(1939年)のラストシーンだ。
 涙にぬれた顔を上げて、スカーレット(ヴィヴィアン・リー)がつぶやく・・・「私には、タラがある。故郷のタラに帰ろう。望みはあるわ。また明日がくるんだもの。」

 同じ夕焼けは、二度とない。この日に見た夕焼けは、まさにこの日だけの、忘れられない夕焼けだったのだ。
 季節がいつであれ、それが山の上であれ、海であれ、日本であれ、外国であれ、見る夕焼けは、同じ夕焼けであり、そしてまた一つとして同じものはない、その時だけの、まさに一期一会(いちごいちえ)の夕焼け空なのだ(’08.9.30の項、参照)。

 さて、今日も晴れて気温は上がったが、雲も多くて、吹く風は涼しく、さすがに、もう8月も終わりなのだと思う。
 今年は、30度を越えた日が、一二度あっただけで、北海道としても、過ごしやすい夏だった。そういうわけだから、この夏は、うちわでパタパタとあおぐことはあったが、とうとう扇風機を使うことは一度もなかった。
 しかし、この天候不順で困るのは、周りの農家だ。農作物は、軒並み、成長が遅れ、病害虫の防除のために、トラクターを畑にいれようにも、雨で土がぬかるんで入れないとか、様々の弊害(へいがい)も起きていたようだ。
 この十勝地方は、農業で成り立っていて、畑作農家はもとより、牛飼いの酪農家でも、同じように飼料用作物の生育は良くなく、これらの農業全体の不振は、十勝管内だけでなく、ただでさえ悪い北海道全体の景気にも、悪影響を及ぼすだけに、心配なことではある。

 しかし、すべてのものの上に、良いことと悪いことが起きるものなのだ。そしてまた、すべての人の上にも、幸、不幸が訪れるものなのだ。
 幸せの絶頂にいる人にも、今までに、辛酸(しんさん)をなめるような、辛い日々があったのかもしれないし、あるいは、これからそうなるのかもしれない。どんなに不幸な人でも、それまでが、実は幸運だったのかもしれないし、またこれから幸運に出会うのかもしれない。
 そこでは、大きな喜びでさえ、実は不幸の始まりかもしれないし、時によっては死ぬことでさえ、幸せなことになるのかもしれない。
 つまり、私たちは、今、五分五分のバランスの上で、生かされているのだ。だとしたら、ここで、思い悩んでいてどうするというのだ。スカーレットの言葉のように、明日があるからと、まず考えるのが、次なる一歩なのかもしれない。
 それは、私を待っている、ミャオの思いでもあるのだろう。ともかく、今日一日を生きていくこと、飼い主は、必ず、帰ってくるはずだからと。
 ミャオ、もうすぐ、ミャオの家に帰るからね。

                    飼い主より 敬具


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