9月2日 この一週間は、天気が良くなかった。昨日は、朝から20度を超えていて、日中は26度位だが、蒸し暑かった。曇り空から、晴れ間が見えたが、再び曇って、雨が降ったりやんだりで、まさにネコの目天気だと、飼い主が言う。
大体ネコに関する諺(ことわざ)、譬(たと)えの類に、余り良いものはない。飼い主は、ワタシがもう自分の家に落ち着くだろうと思っていたのに、突然いなくなり、一日帰って来なかったので、変わりやすい天気に譬えたのだ。
その前の日の夜中に、ワタシは突然、目を覚ました。起き上がって背伸びをし、飼い主の寝息の聞こえる部屋から、外に出た。雲の多い闇夜だったが、星もいくつか出ていた。
それまでの、丸二日間、ワタシはいわゆる食っちゃ寝、食っちゃ寝の生活を送ってきた。外に出るのは、トイレの時くらいという有様だ。それは、雨が降って天気が悪かったこともあるが、久しぶりに、エサ、安全な寝場所、飼い主という飼いネコとしての三条件がそろったからでもある。
そんな満たされた条件の中で、さてネコとしてのあるべき姿は、存在意義は何かなどと、哲学的に考えたというわけではない。寝ていて、目覚める前後に、ふと何かの呼び声が聞こえたような気がしたのだ。
樹があり、草むらがあり、動物や昆虫たちの息づかいが聞こえるところ、ワタシの五感を研ぎ澄まして生きてゆかねばならないところ・・・。それは、飼い猫ではなく、本来の野生動物であるワタシの心に呼びかけてきたのだ。・・・あの、ポンプ小屋へ戻ろう。
それは、都会のビジネスマンが、ふと「そうだ、京都へ行こう」(あの有名なコマーシャル)と、思い立つのと同じことなのかもしれない。
ワタシは夜の道を、細心の注意を払いながら、用心深く歩いて行った。いやむしろ、歩いている時間よりは、はるかに立ち止まり座り込んだりしている時間の方が多かったのだ。
何時間かかったのだろう、ようやく懐かしのポンプ小屋に着いたのだが、あの相棒のパンダネコはいなかった。朝になるまで待ったのだが、いつもエサを持ってきてくれるおじさんもやってこない。ワタシは辛抱強く、昼過ぎまでそこにいたのだが、次第に空腹を覚えてきた。サカナと飼い主の顔が、思い浮かんだ。帰ろう、あの家に。
ところが、途中で雨は降るし、昼間とはいえあちこちの物音は気になるし、何度も座りこんで待つしかなくて、すっかり時間がかかり、家に着いたのはもう夕方に近かった。
ベランダで、天気に合わせて洗濯物の出し入れをしていた飼い主は、ワタシがニャーと鳴いて、上がってくると、鬼瓦顔の相好を崩して、「そうか、帰ってきたのか。オーヨシヨシ」と、ムツゴローさん可愛がりをして、すぐにコアジ、二匹を出してくれた。
たまらんのー、ワタシはガシガシとサカナをかじりながら、飼い猫であることの幸せを感じていた。
食べ終わって、いつもの飼い主の部屋の羽根布団の上で横になり、毛づくろいをしていると、居間の方から、例の音楽が流れてくる。ワタシがニャーと鳴いて、傍に寄っていくと、飼い主が説明してくれた。
「三日前、ちょうどオマエがいなかった時に、郊外の大きなスーパーに買い物に行ってきた。そこで、CD・DVDのバーゲンをやっていた。大型スーパーなどでよくやっている例の安CD・セールだ。
もちろん、そんな所にはたいした物はない。聞いたこともないオーケストラの演奏するクラッシク名曲集か、著作権の切れたポピュラー・ヒット曲、そして古い映画のDVDといったものだ。
期待しないで見て回っていたところ、なんと正規レコード会社の1000円廉価盤集が、一枚315円で売られていた。その値札ラベルの下には500円という数字も見えた。車の中で聞くCDとして、ともかく買うことにした。
(1)ヘンデル 「水上の音楽」他 ムンツリンゲル/アルス・レディヴィヴァ (ムンツリンゲルはレコードの時代のチェコ・スプラフォンの名バロック音楽指揮者、奏者)
(2)ハイドン 弦楽四重奏曲「セレナード」「ひばり」、モーツァルト 「狩」 ベルリンフィルSQ他 (比較的新しい録音で弦楽四重奏の名曲が聞ける)
(3)ベートーヴェン 「大公」、シューベルト 「ます」 スーク・トリオ (ステレオ・レコード初期の有名トリオの名演奏、この後デジタル再録している)
そして、家のオーディオで聞いたところ、車の中で聞くにはもったいないくらいの良い演奏だった。まさに、安物買いの楽しみはここにあるのだ。
さらにその時に、あわせてジャズのボックス・セットも買ってしまった。若いころには良く聞いたジャズだが、クラッシクばかり聴くようになってからは、もう年に何度か聞くくらいだが、興味がないわけではないのだ。
(4)ジョン・コルトレーン 10枚組 モノラル録音 1890円 (ジャズが難しくなる前の、気楽に聞ける良い時代の演奏だ。しかし何といっても、あのセロニアス・モンクとのライヴ・セッションを収めた一枚だけでも、この値段の価値はある。去年は同じようなマイルス・デイヴィスの10枚セットを買ったが、これも良い買い物だった。)
というわけで、100円ショップ・ファンでもあるオレの安物買いは、たまには失敗することもあるが、この喜びがあるからやめられないのだ。例えていえば、オレがいなくなって、ミャオがポンプ小屋生活に戻り、それでももしかして飼い主が帰ってきていないかなと、家に行ってみたところ、なんとあの鬼瓦が家にいて、そこで久しぶりにサカナにありつけた、そんな幸せな気分、オマエにも分かるだろう。」
そんなたとえ話よりは、飼い主のアナタが毎日家にいてくれて、ワタシも毎日サカナを食べられる、それが普通の飼い猫だと思うんですがね。何とかしてくださいよ、飼い主様。
大体ネコに関する諺(ことわざ)、譬(たと)えの類に、余り良いものはない。飼い主は、ワタシがもう自分の家に落ち着くだろうと思っていたのに、突然いなくなり、一日帰って来なかったので、変わりやすい天気に譬えたのだ。
その前の日の夜中に、ワタシは突然、目を覚ました。起き上がって背伸びをし、飼い主の寝息の聞こえる部屋から、外に出た。雲の多い闇夜だったが、星もいくつか出ていた。
それまでの、丸二日間、ワタシはいわゆる食っちゃ寝、食っちゃ寝の生活を送ってきた。外に出るのは、トイレの時くらいという有様だ。それは、雨が降って天気が悪かったこともあるが、久しぶりに、エサ、安全な寝場所、飼い主という飼いネコとしての三条件がそろったからでもある。
そんな満たされた条件の中で、さてネコとしてのあるべき姿は、存在意義は何かなどと、哲学的に考えたというわけではない。寝ていて、目覚める前後に、ふと何かの呼び声が聞こえたような気がしたのだ。
樹があり、草むらがあり、動物や昆虫たちの息づかいが聞こえるところ、ワタシの五感を研ぎ澄まして生きてゆかねばならないところ・・・。それは、飼い猫ではなく、本来の野生動物であるワタシの心に呼びかけてきたのだ。・・・あの、ポンプ小屋へ戻ろう。
それは、都会のビジネスマンが、ふと「そうだ、京都へ行こう」(あの有名なコマーシャル)と、思い立つのと同じことなのかもしれない。
ワタシは夜の道を、細心の注意を払いながら、用心深く歩いて行った。いやむしろ、歩いている時間よりは、はるかに立ち止まり座り込んだりしている時間の方が多かったのだ。
何時間かかったのだろう、ようやく懐かしのポンプ小屋に着いたのだが、あの相棒のパンダネコはいなかった。朝になるまで待ったのだが、いつもエサを持ってきてくれるおじさんもやってこない。ワタシは辛抱強く、昼過ぎまでそこにいたのだが、次第に空腹を覚えてきた。サカナと飼い主の顔が、思い浮かんだ。帰ろう、あの家に。
ところが、途中で雨は降るし、昼間とはいえあちこちの物音は気になるし、何度も座りこんで待つしかなくて、すっかり時間がかかり、家に着いたのはもう夕方に近かった。
ベランダで、天気に合わせて洗濯物の出し入れをしていた飼い主は、ワタシがニャーと鳴いて、上がってくると、鬼瓦顔の相好を崩して、「そうか、帰ってきたのか。オーヨシヨシ」と、ムツゴローさん可愛がりをして、すぐにコアジ、二匹を出してくれた。
たまらんのー、ワタシはガシガシとサカナをかじりながら、飼い猫であることの幸せを感じていた。
食べ終わって、いつもの飼い主の部屋の羽根布団の上で横になり、毛づくろいをしていると、居間の方から、例の音楽が流れてくる。ワタシがニャーと鳴いて、傍に寄っていくと、飼い主が説明してくれた。
「三日前、ちょうどオマエがいなかった時に、郊外の大きなスーパーに買い物に行ってきた。そこで、CD・DVDのバーゲンをやっていた。大型スーパーなどでよくやっている例の安CD・セールだ。
もちろん、そんな所にはたいした物はない。聞いたこともないオーケストラの演奏するクラッシク名曲集か、著作権の切れたポピュラー・ヒット曲、そして古い映画のDVDといったものだ。
期待しないで見て回っていたところ、なんと正規レコード会社の1000円廉価盤集が、一枚315円で売られていた。その値札ラベルの下には500円という数字も見えた。車の中で聞くCDとして、ともかく買うことにした。
(1)ヘンデル 「水上の音楽」他 ムンツリンゲル/アルス・レディヴィヴァ (ムンツリンゲルはレコードの時代のチェコ・スプラフォンの名バロック音楽指揮者、奏者)
(2)ハイドン 弦楽四重奏曲「セレナード」「ひばり」、モーツァルト 「狩」 ベルリンフィルSQ他 (比較的新しい録音で弦楽四重奏の名曲が聞ける)
(3)ベートーヴェン 「大公」、シューベルト 「ます」 スーク・トリオ (ステレオ・レコード初期の有名トリオの名演奏、この後デジタル再録している)
そして、家のオーディオで聞いたところ、車の中で聞くにはもったいないくらいの良い演奏だった。まさに、安物買いの楽しみはここにあるのだ。
さらにその時に、あわせてジャズのボックス・セットも買ってしまった。若いころには良く聞いたジャズだが、クラッシクばかり聴くようになってからは、もう年に何度か聞くくらいだが、興味がないわけではないのだ。
(4)ジョン・コルトレーン 10枚組 モノラル録音 1890円 (ジャズが難しくなる前の、気楽に聞ける良い時代の演奏だ。しかし何といっても、あのセロニアス・モンクとのライヴ・セッションを収めた一枚だけでも、この値段の価値はある。去年は同じようなマイルス・デイヴィスの10枚セットを買ったが、これも良い買い物だった。)
というわけで、100円ショップ・ファンでもあるオレの安物買いは、たまには失敗することもあるが、この喜びがあるからやめられないのだ。例えていえば、オレがいなくなって、ミャオがポンプ小屋生活に戻り、それでももしかして飼い主が帰ってきていないかなと、家に行ってみたところ、なんとあの鬼瓦が家にいて、そこで久しぶりにサカナにありつけた、そんな幸せな気分、オマエにも分かるだろう。」
そんなたとえ話よりは、飼い主のアナタが毎日家にいてくれて、ワタシも毎日サカナを食べられる、それが普通の飼い猫だと思うんですがね。何とかしてくださいよ、飼い主様。