9月15日
拝啓 ミャオ様
三連休の間、天気は良く、朝は少し冷え込むものの(今朝は13度)、日中は26度くらいまで上がり、平年と比べると、かなり暖かい、というより暑い感じがする。
私は、三日間ともずっと家に居た。街中はもちろんのこと、山も紅葉を求めて、人々でいっぱいだろうから、とても外出する気にはならない。実のところ、それ以上にやるべき仕事が色々とあったからだ。
まず、友達が長いすソファを運んできてくれた。なんでも、家を新しく建てた人がいて、古い家のものはなんでも持って行ってくれということで、もらってきたとのことだった。
その友達は、居間にカーペットを敷いただけの私の家に来た時には、どうも居心地が悪そうで、ソファぐらい買えとよく言っていた。
というのは、本来が内地(北海道以外の日本)の古い人間である私は、畳にコタツという伝統的な居間の生活に慣れており、北海道に建てたこの家でも、さすがに畳にはしなかったが(費用が高くつくので)、居間のカーペットに座り込み、ごろ寝をするというスタイルだったのだ。
ところが、北海道では普通の家では、ソファがないところはないほどに、居間には長いす、ソファが置かれていて、家族も客も、そこに座り、テレビを見たり話たりする。このスタイルは今では、日本式な家屋とその生活習慣にこだわる人たち以外は、日本中の至る所で見られるものだ。いわゆる、その西洋的なライフスタイルは、戦後のめざましい経済復興を遂げた辺りから、一般家庭でも取り入れられ、すでに定着しているのだ。
ところが、このソファ文化は、北海道では内地に先駆けて取り入れられ、瞬く間に普及した。それは、なぜか。寒かったからである。
昔の北海道は寒かった。気候的にも、そして家屋的にも。つまり、内地と同じ軸組み工法による旧来の日本式な建物だったから、冬は隙間風が入ってきて寒く、朝起きると、寝ていた布団の口の辺りが白く凍っていたという話をよく聞くほどだ。
薪や石炭などのストーヴはあったものの、隙間風による冷気は低いところに漂う。畳やカーペットにそのまま座るより、少しでも高いところに座ったほうがいい。だから北海道では、いち早くソファが普及したのだ。それは、ここで何度かの冬を越した私の実感でもある。
もちろん今では、北海道の家は他の内地の家よりも、常に一歩進んだ高断熱気密化の住宅が建てられていて、セントラル・ヒーティング等の暖房設備の普及と伴に、隙間風は昔話になり、恐らく冬は、沖縄以上に、日本で一番暖かいところではないだろうか。
長い話になったが、それで依然ボロい家に住む私を、友達が気にかけていて、ソファを持って来てくれたというわけである。もちろん、長い間使われたものだから、汚れているし、あちこち破れたり、穴が開いたりしている。それを補修して、きれいにするために時間がかかった。
さらに、九州のほうで十数年間使っていたオーディオ・アンプが故障して、捨てるにはもったいなくて、修理に出して、北海道のほうへ送ってもらった。それで、その配置や、配線のため、他のものも片付けたりで何時間もかかってしまった。
そして、もう一つ、家の屋根に取り付けていた自作の天窓が、古くなり少し雨漏りするようになった。出来合いのサッシの天窓は高くて買えないから、修理し、一部作り変えなければならない。昨日から取り掛かって、なんとか今日中には終わらせるようにしたいと思う。(こんなことをブログに書いているヒマなんかないのにと思うかもしれないが、ちょうど一区切りついて、後は取り付けるだけなのだ。)
そんな三日間だったのだが、その前に行ってきた大雪山の紅葉のことについても、少し書いておきたい。
9月11日、天気予報は全道的に晴れマークだ。翌日は少し天気が崩れ、三連休にはまた良い天気が続くらしい。つまり行くならこの日しかなかったのだ。
朝、4時前に起きて、4時半出発。日の出は5時。2時間半走って砂利道に入り、ホコリを舞い上げるクルマの後について、銀泉台登山口へ。7時半に山道を登り始める。
すぐの所、大雪山随一との評判高い第一花園の斜面の紅葉は、この三年ほどは毎年、鮮やかな錦模様を見せてくれていたが、残念ながら今年は橙色が多く、余り良くなかった。あの8月下旬に強い冷え込みがあって、平年よりも二週間も早く紅葉が始まっていたのだ。
近づいて見ると、確かにウラジロナナカマドの葉が、一部茶色になって縮んでしまっているが、橙色の他にまだ緑色の葉もある。ということは、登山口で聞いたように、確かにもう終わりでもあるし、まだこれから色づくとも言えそうだ。
上の駒草平では、まだウラシマツツジやクロマメノキの紅葉が残っていたし、何よりも見事に晴れ上がった空の色が見事だった。数日前にネットでの写真が鮮やかだったあの第三雪渓付近では、それなりにきれいではあったが、確かに盛りを過ぎてはいた。
二時間ほどで赤岳の頂上に着き、そこから緩やかな稜線の道を白雲岳に向かう。風が強いが、それほど寒くはない。行きかう人も稀になり、周囲の展望を楽しみながら、ひと登りで白雲岳の山頂(2230m)に着く。誰も居なかった。
目の前に広がる光景。あの旭岳(2290m)の手前の山すそを彩る紅葉が、ここでも今ひとつの色合いだったが、それでもいつもの事ながら素晴らしい(写真)。
南には、離れてトムラウシ山(2141m)と十勝岳連峰があり、夕張、芦別の山も見えている。さらに遠く長大な日高山脈の山影には、主峰の幌尻岳(2052m)から南の楽古岳にいたる峰々がそれぞれに確認できる。東には、ニペソツ山(2013m)から石狩・音更連峰が並び、そしてニセイカウシュペ山から武利岳などのいわゆる東大雪の山々との間には、まず阿寒の山があり、さらに遠く斜里岳から知床連峰、そして知床岬に至るあの知床岳まで見ることができた。
なんという、至福のひと時だったことだろう。紅葉を見ることよりも、なによりもこの青空と山々の眺めに勝るものはないのだ。何度も見ている光景なのだが、決して見あきることはない。広大な大自然に囲まれて、ひとり在ることの安らぎ。
ミャオには、そんなことで喜んでいる飼い主の気持ちなど分からないかもしれない。しかし、私もオマエも、ある意味では自然の中に居ることに慣れ親しみ、もうそこから離れることのできない動物、つまり自然の子供(アメリカの地理学者、センプルの言葉)なのかもしれないね。元気で居てください。
飼い主より 敬具
拝啓 ミャオ様
三連休の間、天気は良く、朝は少し冷え込むものの(今朝は13度)、日中は26度くらいまで上がり、平年と比べると、かなり暖かい、というより暑い感じがする。
私は、三日間ともずっと家に居た。街中はもちろんのこと、山も紅葉を求めて、人々でいっぱいだろうから、とても外出する気にはならない。実のところ、それ以上にやるべき仕事が色々とあったからだ。
まず、友達が長いすソファを運んできてくれた。なんでも、家を新しく建てた人がいて、古い家のものはなんでも持って行ってくれということで、もらってきたとのことだった。
その友達は、居間にカーペットを敷いただけの私の家に来た時には、どうも居心地が悪そうで、ソファぐらい買えとよく言っていた。
というのは、本来が内地(北海道以外の日本)の古い人間である私は、畳にコタツという伝統的な居間の生活に慣れており、北海道に建てたこの家でも、さすがに畳にはしなかったが(費用が高くつくので)、居間のカーペットに座り込み、ごろ寝をするというスタイルだったのだ。
ところが、北海道では普通の家では、ソファがないところはないほどに、居間には長いす、ソファが置かれていて、家族も客も、そこに座り、テレビを見たり話たりする。このスタイルは今では、日本式な家屋とその生活習慣にこだわる人たち以外は、日本中の至る所で見られるものだ。いわゆる、その西洋的なライフスタイルは、戦後のめざましい経済復興を遂げた辺りから、一般家庭でも取り入れられ、すでに定着しているのだ。
ところが、このソファ文化は、北海道では内地に先駆けて取り入れられ、瞬く間に普及した。それは、なぜか。寒かったからである。
昔の北海道は寒かった。気候的にも、そして家屋的にも。つまり、内地と同じ軸組み工法による旧来の日本式な建物だったから、冬は隙間風が入ってきて寒く、朝起きると、寝ていた布団の口の辺りが白く凍っていたという話をよく聞くほどだ。
薪や石炭などのストーヴはあったものの、隙間風による冷気は低いところに漂う。畳やカーペットにそのまま座るより、少しでも高いところに座ったほうがいい。だから北海道では、いち早くソファが普及したのだ。それは、ここで何度かの冬を越した私の実感でもある。
もちろん今では、北海道の家は他の内地の家よりも、常に一歩進んだ高断熱気密化の住宅が建てられていて、セントラル・ヒーティング等の暖房設備の普及と伴に、隙間風は昔話になり、恐らく冬は、沖縄以上に、日本で一番暖かいところではないだろうか。
長い話になったが、それで依然ボロい家に住む私を、友達が気にかけていて、ソファを持って来てくれたというわけである。もちろん、長い間使われたものだから、汚れているし、あちこち破れたり、穴が開いたりしている。それを補修して、きれいにするために時間がかかった。
さらに、九州のほうで十数年間使っていたオーディオ・アンプが故障して、捨てるにはもったいなくて、修理に出して、北海道のほうへ送ってもらった。それで、その配置や、配線のため、他のものも片付けたりで何時間もかかってしまった。
そして、もう一つ、家の屋根に取り付けていた自作の天窓が、古くなり少し雨漏りするようになった。出来合いのサッシの天窓は高くて買えないから、修理し、一部作り変えなければならない。昨日から取り掛かって、なんとか今日中には終わらせるようにしたいと思う。(こんなことをブログに書いているヒマなんかないのにと思うかもしれないが、ちょうど一区切りついて、後は取り付けるだけなのだ。)
そんな三日間だったのだが、その前に行ってきた大雪山の紅葉のことについても、少し書いておきたい。
9月11日、天気予報は全道的に晴れマークだ。翌日は少し天気が崩れ、三連休にはまた良い天気が続くらしい。つまり行くならこの日しかなかったのだ。
朝、4時前に起きて、4時半出発。日の出は5時。2時間半走って砂利道に入り、ホコリを舞い上げるクルマの後について、銀泉台登山口へ。7時半に山道を登り始める。
すぐの所、大雪山随一との評判高い第一花園の斜面の紅葉は、この三年ほどは毎年、鮮やかな錦模様を見せてくれていたが、残念ながら今年は橙色が多く、余り良くなかった。あの8月下旬に強い冷え込みがあって、平年よりも二週間も早く紅葉が始まっていたのだ。
近づいて見ると、確かにウラジロナナカマドの葉が、一部茶色になって縮んでしまっているが、橙色の他にまだ緑色の葉もある。ということは、登山口で聞いたように、確かにもう終わりでもあるし、まだこれから色づくとも言えそうだ。
上の駒草平では、まだウラシマツツジやクロマメノキの紅葉が残っていたし、何よりも見事に晴れ上がった空の色が見事だった。数日前にネットでの写真が鮮やかだったあの第三雪渓付近では、それなりにきれいではあったが、確かに盛りを過ぎてはいた。
二時間ほどで赤岳の頂上に着き、そこから緩やかな稜線の道を白雲岳に向かう。風が強いが、それほど寒くはない。行きかう人も稀になり、周囲の展望を楽しみながら、ひと登りで白雲岳の山頂(2230m)に着く。誰も居なかった。
目の前に広がる光景。あの旭岳(2290m)の手前の山すそを彩る紅葉が、ここでも今ひとつの色合いだったが、それでもいつもの事ながら素晴らしい(写真)。
南には、離れてトムラウシ山(2141m)と十勝岳連峰があり、夕張、芦別の山も見えている。さらに遠く長大な日高山脈の山影には、主峰の幌尻岳(2052m)から南の楽古岳にいたる峰々がそれぞれに確認できる。東には、ニペソツ山(2013m)から石狩・音更連峰が並び、そしてニセイカウシュペ山から武利岳などのいわゆる東大雪の山々との間には、まず阿寒の山があり、さらに遠く斜里岳から知床連峰、そして知床岬に至るあの知床岳まで見ることができた。
なんという、至福のひと時だったことだろう。紅葉を見ることよりも、なによりもこの青空と山々の眺めに勝るものはないのだ。何度も見ている光景なのだが、決して見あきることはない。広大な大自然に囲まれて、ひとり在ることの安らぎ。
ミャオには、そんなことで喜んでいる飼い主の気持ちなど分からないかもしれない。しかし、私もオマエも、ある意味では自然の中に居ることに慣れ親しみ、もうそこから離れることのできない動物、つまり自然の子供(アメリカの地理学者、センプルの言葉)なのかもしれないね。元気で居てください。
飼い主より 敬具