ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

憧れる山

2019-01-07 22:58:21 | Weblog




 1月7日

 最近、山の夢をよく見るようになった。 
 それは、美しい山の姿を眺めているだけの夢ではなく、その前後の、些細な事柄が付随する、山での出来事のことに気をとられるような、むしろどうでもいいことばかりの夢なのだが。
 つまり、言い換えればそれは、苦しい修行の刻苦勉励(こっくべんれい)の日々を経て、夢の中でたどり着いた西方浄土(さいほうじょうど)の景観ではなく、まだまだ俗世間への未練を断ち切れずに、いまだに煩悩(ぼんのう)の中にある、私の心のうちなるものの反映なのかも知れない。 

 それも、無理はない。もう3カ月もの間、山に行っていないのだ。
 去年は春先に、ハシゴから落ちて大きなケガをして、長い間が空いてしまったこともあって、さらに新年に至るまで、こうして山に登らなかったから、自分の登山史の記録として、去年は極めて寂しい年になってしまった。
 ただ一つ、紅葉の色彩にあふれた栗駒山の記録があったから、良かったようなものの。
 そこで、言い訳をするとすれば、九州に戻ってきた時には、もう山の紅葉は終わっていて、冬は冬で、今年は暖冬で、まだ一度も雪が積もったことがないし(これまでの記憶にない)、例の九重のライブカメラで見ても、霧氷の時が何度かはあったようだが、山が雪に覆われたことはほとんどなかったようだし、さらにそこに輪をかけたような、この年寄りのグウタラぶりでは、山はますます遠のいて行くばかりなのだ。

 しかし、”今に見ていろ、僕だって”という思いはあるのだが。
 さらに言えば、私ごときが年寄りだとほざいているのが恥ずかしくなるような話しだが、今年86歳になるというあの三浦雄一郎さんは、南米最高峰のアカンカグア(6960m)に挑戦するというし(周りのサポート隊が大変だとは思うが)、などなど年寄りが元気に活躍している例などいくらでもあるのだ。

 そんな時に、年末の再放送で見たのが、例のNHK・BSの田中陽希「グレートトラバース3」である。
 北海道にいる時は見ることのできないBS放送だから、この「グレートトラバース3」の四国中国近畿編は見ていないのだが、この時見たのは、再放送の「霊峰白山と信仰の山」とサブタイトルがつけられていた番組だった。
 中部地方、岐阜から北陸地方にかけての山々に登っているのだが、そこには両白山地と呼ばれる山域に1500mを超える山々が散在していて、その中に巨大な山群としての白山があるのだ。 
 今回この番組の中で、私が思わずはっと息をのんで見つめた山があった。
 それは、彼が、昔からある白山巡礼道の一つである、美濃禅定道と呼ばれる道をたどって行く、その白山へと北上する縦走の山旅の途中で、三ノ嶺(2128m)を過ぎて、さらに登った南の肩辺りから、雲が散れて来て姿を現してきた別山(べっさん、2399m)の姿である。(写真下)




 それは、予想外の見事な山の姿だった。
 初めて見る、大平壁と呼ばれる大岩壁を擁(よう)して、すっくとそびえ立つ姿に、私はあぜんとしてしまった。
 知らなかった、反対側からこんなふうに見えるなんて。
 そして、あの山には登らなければならないと思った。

 もちろん、それまでに私は別山を知らなかったわけではない。
 地図帳を見るのが大好きだった中高校生時代から、白山の下にある別山の名前は知っていたし、山登りが好きになってから、少しずつ買い集めた地域ごとの山の登山案内書にも、別山は載っていた。
 それどころか、9年前の白山遠征登山の時には、白山主峰群だけではなく、この南に離れた別山にも登りつもりで、その白山周遊の山歩きの後、南竜山荘に泊まり、翌日に別山へと登るつもりでいたのだが、朝から雨になって、仕方なく別山をあきらめ雨の中を下山したのだ。
 その白山登山最初の日に、幾つかある別当出合いからの登山道で、私は観光新道と呼ばれる尾根道を選んで登って行き、バテバテになって御前峰下の室堂にたどり着いたのだが、途中の天気はまずまず晴れていて、別山の姿も見えていた。(冒頭の写真、2009.7.29~8.4の項参照)
 さらには、白山山頂の御前峰周辺からも別山の姿は見えていたのだが、その姿形にひかれてというよりは、位置的にも独立峰に見えるあの山には登る価値があると思っていたからである。
 
 それまでに、私がそうして眺めたり、雑誌書籍で見ていた別山の写真は、いずれも白山側から見た、つまり北側から見た姿であり、別山の北側や北西斜面側を写したものばかりだったのだ。 
 しかし、私はテレビ画面で、初めて別山の南側から眺めた姿を見たのだ。
 何に例えればいいだろうか。
 まずすぐに思ったのは、私の北海道の地元の山、日高山脈のあのカムイエクウチカウシ山(1979m)である。
(写真下、1997年7月、ピラミッド峰より。写真からの複写で画質が良くないが、そのうちにフィルムからデジタル・スキャンするつもりなのだが。) 




 高度はだいぶん下がるけれども、北海道という緯度が高い分、高山環境は別山以上であり、その擁壁の下には何よりも氷蝕地形の一つであるカール地形を見ることができるし、アルプス並みの急峻な山容は別山とは比較にならないほどだが。 
 もう一つ上げるとすれば、あの南アルプスの盟主北岳のバットレスを擁した姿かもしれないが、やはりそこまでの迫力はない。
 さらにネットで調べると、三ノ嶺から続く柔らかな尾根道の先に、雄大なスケールでそびえ立つ、別山の姿があった。
 これが別山の姿としては最高なのだが、撮影者の名前も書いてあって、引用はできないようだから、このブログには載せられないのだが、自分で見るためにとダウンロードして、時々眺めているほどだ。

 ともかく、最近はすっかり山への気持ちが穏やかになり、無理をしない登山を心掛けるようになっていた私に、久しぶりに心の奥でぽっと小さな明かりがともったような、それは若いころには、いつもあの山にこの山にという思いにあふれていて、次々に未知なる憧れの山に登り続けていたのだが、その時の思いのひとかけらにまた灯がともったような、あるいは年甲斐もない”老いらくの恋”とも呼べるような、私にとっての小さな憧れの山ができたのだ。

 しかし、そんな思いをするのは、何も今回だけではない。
 年寄りになってからも、憧れてきた山々はいくつもあって、そのうちのいくつかは思いを果たして登ることができたけれども、その幾つかは今に至るまで、思いをかなえることができないまま、夢のままで終わりそうなのだが、例えば毛勝谷の雪渓を詰めて毛勝三山の頂に立ち、そこからの剱岳を見ることや、残雪期の越後駒ケ岳から中ノ岳への縦走、さらには東北の朝日連峰縦走、そしてこの南側からの別山などなど・・・。

 もっともそうした、果たせない思いを残したままで、ほとんどの人が人生を終えるのだろうし、誰でも、完璧に自分の思いのすべてをかなえて、その瞬間に死んでゆくことなどできはしないし、一日、一月、一年生き延びるごとに、生きていることを思い、それでも今やすり切れた、あこがれという名の錦繡(きんしゅう)の着物を引きずって行くことになるのだろうが。
 ただ、私はこうして今を生きているのだし、自分の思いをあきらめるよりは、まだいくらかの可能性があることを思い、さらには、まだこれからも生まれてくるのかもしれない、あこがれの思いに気づいただけでも・・・新年早々、実にありがたいことだったのだ。
 しかし、その中の一つだけでも果たして実行できるのか・・・あの舌を出したアインシュタインのように、なーんてねというだけのことなのか。

 今回、書き始めたら、この別山の話でいっぱいになって、他に書きたいこともいろいろとあったのたが・・・ただ、今一つ書き加えるとすれば、立山にも別山という山があり、こちらは剱岳と立山という二大名峰の間にある山であり、縦走の時には巻き道を行く人が多く、頂上は割愛されるのだが、むしろ私にとってはこの山を目当てにして登ることが多く、剣・立山の展望台として欠くことのできない山なのだ。

 さて、暮れから新年にかけて、多くの番組を録画していて、まだそのうちの少ししか見ていないので、あれこれ言うことはできないが、まずは上にあげた「グレートトラバース3」の「北アルプス編」もまだ見ていないし、さらにはいつものテレ朝系列の「ポツンと一軒家」やNHKの「ドキュメンタリー72時間」「日本人のおなまえっ」やBSでの「グレートレース モンブラン一周」の他に、単発の登山番組などがあるし、少し見ただけの番組では、京都南座の歌舞伎顔見世公演では、片岡仁左衛門が「義経千本桜」の三演目を演じていて、これから見るのが楽しみだし、あのウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートでは、今や巨匠とさえ呼ばれるようになってきたティーレマンの指揮で、同じドイツ語圏の出身だから、ウイーン・フィルの奏者たちや観客たちとの掛け合いが和気あいあいで、これまた楽しみではある。

 付け加えるに、今年のNHKの「紅白」はいつもと違う大トリの後で番外編があり、サザン・オールスターズの桑田のライブ感あふれる歌と、途中参入のユーミン松任谷由実の、大人同士の歌とダンスのからみが素晴らしく、今年の歌のMVPは、もう60歳を超えるこの二人にあげたいくらいだった。
 日本の歌が、歌謡曲からポップスへと移り変わっていき、さらにアメリカナイズされたものまでをも取り入れて、変化多様化していった歴史があり、ここにその一つの到達点を見る思いがした。
 一方では、さらなる新しい流れであるKポップスもジワリと浸透してきているし、それらを高みの見物と決め込んでいる、このじじいにとっても、まだまだ若い人たちの歌は、好き嫌いがあるとしても楽しみでもあるのです、はい。
 さて、当の自分は、もう幾つ寝ると・・・。


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