12月31日
昨日の朝-6℃、一面にうっすらと雪が積もっていた。(写真上)
庭の苔むした岩の上に、枯葉の上に、木々の枝に・・・そして見上げる曇り空から、まだ小雪が舞い下りてきていた。
毎年繰り返される、冬の季節の中で、同じように雪が降ってきて、私は、そのうちの昨日という日の空を見上げていたのだが。
やがてこの雪は、昼頃から差し込んできた日の光によって、すぐに溶けてしまった。
この冬は、やはり暖かいのだと見るのか、それとも、冬本番の寒さはこれからだと思うべきなのか。
さて、この年末にかけて、ついつい多くのテレビ番組を見てしまった。
それらは、特別番組であったり、見逃していた番組の再放送だったりなのだが、それぞれに興味深く、面白く見させてもらった。
もっとも、その番組について感想を書いて行けばきりがないし、ましてやいつものように、長々と続く年寄りの説教話ふうになってしまうから、やめることにしたのだが、さらにいえば、今日は大晦日(おおみそか)だから、小さいとはいえ一軒の家を構える私としても、とりあえずの大掃除と、正月を迎える支度だけはしておきたいので、いつものどうでもいいような長々と続く駄文などを、書いていく時間もないのだ。
ところで、ふと見たテレビで今年亡くなった人たちの特集をやっていて、その中でこの秋75歳という、今の時代としてはやはり若すぎる齢で、お亡くなりになった樹木希林さんのことが放送されていて、その中で今、生前の彼女の話をまとめた本がベストセラーになっているとのことだった。
その幾つかの言葉は、私もテレビのインタビューに答えている彼女の話として、記憶に残ってはいたのだが、ネットで調べてみると、何と「樹木希林の名言」などのサイトが幾つも出てきて、やはり皆もそう思っていたのかとうなづき感心したのだが。
それらの言葉は、過去の哲学者や倫理思想家などの言葉に劣るものではなく、女優としての人生を歩み続けてきた、彼女が持っていた一家言とでも言うべき、ゆるぎない信念にあふれていたのだ。
以下、ネット上のツイートのサイト「樹木希林の名言・格言」より。
” 難のある自分の人生を卑屈(ひくつ)になるのではなく、受け止め方を変える(こと)。自分にとって具体的に不本意なことをしてくる存在を師として、先生として受け止める。受け止め方を変えることで、すばらしいものに見えてくるんじゃないないでしょうか。”
” 人間として見栄(みえ)は必要だけれど、その張り場所(が問題)よ。見栄は他人に張らずに、置かれた環境の中で、自分自身に見栄を張ること(が大切)じゃないかしら。”
” 失ったものよりは今あるおトクを探すようにしています。人と比べずにね。”
” とにかく今一人でやってるでしょ、ここに来るのも一人、何をするのも一人。誰かに頼むと、その人の人生に責任を持てないから。”
” 人は必ず死ぬというのに、長生きをかなえる技術ばかり進化して、なんとまあ死ににくい時代になったことでしょう。”
これらの言葉を考えていけば、そこには私がこのブログの中でたびたび取り上げてきた、というよりはこのブログの記事のすべてがそうなのだけれども、日本人の死生観についての、すべてのことが含まれているようにも思えるのだが。
すなわち、そうした日本人としての思いは、「万葉集」から「源氏物語」に「平家物語」、「方丈記」に「徒然草」、「古今集」に「新古今集」と日本の古典をたどってゆく旅になり、近松門左衛門に井原西鶴、そしては芭蕉や良寛の句に及び、さらにあげれば貝原益軒の「養生訓」に連なり、尾崎紅葉や樋口一葉の義と情の世界に悩む姿も、新渡戸稲造の「武士道」や山川菊栄の「武家の女性」などの、受け継ぐべきものを守ろうとする人々の姿もまた忘れがたいし、さらには現代に生きた小説家や随筆家からも繰り返し学ぶことになるだろうし。
思えば、日本の古代社会にはすでに芽生えていた神道の世界観が、さらにその後大陸から入ってきた仏教や儒教、孔子の論語の倫理観に老子荘子の思想を含めて、日本という特殊な島国の中で、独特な形として醸成されていったということ、つまり、そうして作り上げられた、ものを考える礎となるものが、長い歳月を経て、今の私たちの世代にまで受け継がれてきたものだと思うし、こうした考え方は、記憶を呼び覚ましていけば、私の母や周りの年寄りたちから、いつも聞かされ続けてきたものばかりなのだということに気づくのだ。
それだから、上にあげた樹木希林さんの言葉は、私たちの世代にとっては、多分に共感を持って受け止められる言葉ばかりなのだ。
今の若い世代がどう受け止めているのかは、私にはわからないし、価値観が多様化した現代の世の中で生きていくためには、また今の時代に合うべく創られた新しい倫理観に従って、生きていくことになるのだろうとは思うのだが。
順送りの、人間社会のさだめの中で、” さよならだけが人生だ”(井伏鱒二の漢詩訳より)と。
それを、明るく言えるかどうか。
今年のひとりごとはここまでで、果たしてまた来年も、世迷いじじいのたわごとが続いて行くのだろうか。