ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

知らぬが花

2019-01-14 22:58:41 | Weblog




 1月14日

 旭川郊外江丹別(えたんべつ)氷点下29・8度。
 私も、冬北海道にいる時に、-25℃くらいまでは経験したことがあるが、-30℃という寒さの経験はない。 
 そこでは、戸外の景色は、青空の下、幻日(げんじつ)に太陽がゆらめき、木々には霧氷が張り付き、あのダイヤモンドダストが舞い、それはたとえようもない未知の光景なのだろうが、一方では、家の中にいても足元からその寒さが伝わってきて、強く燃やしている薪ストーヴがあったとしても、そのそばから離れたくはないほどの寒さでもあるのだろうが。

 しかし、今年の、この九州を含めての西日本各地の暖かさは、何と言うべきだろう。
 前回も書いたように、雪がちらつくことはあっても、まだまともに雪が降ったことはないのだ。
 一月前に履き替えたクルマのスタッドレス・タイヤも、まだ一度もその役に立ったことはなく、空しくアスファルト路面を走っているだけだ。
 もちろん、暖かいことが悪いわけではない。
 冬の雪道を走らなくてすむから、いつも路面の心配なくクルマに乗れるし、何より、すきま風が多くて寒いわが家の中で、震え上がらなくてもすむだけ、何とも年寄りにはありがたいことなのだ。
 ポータブルの灯油ストーブと電気ストーブを、それぞれの部屋に置いて、まあ今の気温ではそれだけあれば十分だし、何より毎晩風呂に入って、十分に温まった体で眠ることができて、”あー極楽、極楽”と思うのだが。

 それに引きかえ、あの北海道のわが家のことを思うと、思わず身震いがしてしまう。
 しっかりした薪ストーヴがあるから、家ごとの暖房能力は高いのだが、まず井戸が干上がったままで水が出ないから、相変わらずの隣近所からのもらい水の生活だし、もちろん風呂には入れないし、トイレはその度ごとに外に出なければならないし、あの旭川の江丹別のように、マイナス30にまで下がったら、外の掘立小屋のトイレではどうなるのだろう、鍾乳洞の下から生えてくる石筍(せきじゅん)のような光景を想像するだにおそろしい・・・”これはトイレのアイスパレスだあ”と、タレントの食レポふうにおどけて見せるわけにもいかないし・・・。

 ああそう言えば、その”アイスパレス(氷の宮殿)”で思い出したのだが、数年前に大ヒットしたディズニー映画『アナと雪の女王』が、この正月に初めて地上波民放で放映されて、私も初めて見たのだが、”流行りものの尻馬には乗らない”という、このかたくな年寄りの眼もくぎ付けにするほどに、最後まで見続けてしまうほどの、目新しい面白さがあった。
 まず特筆すべきは、そのアニメ技術の高さであり、私が久しぶりにディズニー映画を見たからでもあるのだろうが、人間の表情や物の質感表現に格段の進歩があり、さらに遠近立体感までもが感じられて、コンピューターがなかった時代と比べると、まるで隔世の感があると思ったほどだ。
 ただ惜しむらくは、整合性を欠く脚本やいかにもディズニーらしい類型的な人物像の設定ではあるが、考えてみればこれは子供向けのアニメ映画であり、そう考えれば、ここではキラキラ輝くアニメの世界だけを楽しんでいればいいことであり、私たち大人がとやかくいう筋合いのものではないのかもしれない。

 そして、いつもは外国語映画の吹き替えを嫌う私だが、こうした映画では、むしろ現実の俳優たちではなく誰でもいい声優たちの声なのだから、字幕や翻訳の心配なく楽しめる、吹き替えの方が正しいと言えるだろう。
 さらに、ミュージカル調のこのアニメ映画では、歌も吹き替えの声優である松たか子が歌っていて、あの「ありのままに」は、それまでに何度も聞いたことのある歌だが、このアニメの中では、ストーリーにそってより感動的に聞こえてきて、思わず涙しそうになるくらいだった。
 何と豊かな声量のある、うるおいに満ちた高音の響きだろう・・・。
 思うに、一つの可能性としてだが、外形的なアンドロイド人間の作成とともに、アニメの世界でも極めて実写近い表現ができるようになれば、全くの俳優なしに、アニメだけで、現実的なドラマや映画が作れるようになるのだろうし、そうすれば俳優という職業もなくなるのだろうか・・・。

 その昔、私たちが子供のころ、親に連れられて映画館に行った時は、その本編二本立ての”清水次郎長”などの時代劇が始まる前に、まず白黒のニュース映像が流されて、その後、カラーのディズニーのマンガ映画、”ポパイ”や“ミッキーマウス”が映し出されて、私たち子供はみんないっせいに笑い声をあげたりしたものだった。
 そこは、盆と正月くらいにしか見られない、映画を楽しむことのできる、別世界の娯楽の殿堂だったのだ。 
 映画が、映画館で映画たりえた時代、今のように多くのチャンネルを選べるテレビがあり、さらに多くの分野に分かれて映像を見ることのできる、インターネット動画がある時代からは想像もできないが、ともかく誰もが、動く映像としての映画を楽しめる、娯楽の殿堂としての映画館にあこがれていた時代だったのだ。

 いつも思うことだが、人間の欲求にはきりがないから、物事はいつも改革改編の繰り返しで、日々より高度なものへと発展していっているし、私たち年寄りは、その度ごとに、新しい技術革新の成果をまざまざと見せつけられて、驚くばかりではあるが。
 しかし、そうした今の時代の流れについて行こうとすれば、錯綜した潤沢な情報の中に埋もれてしまい、自分の立ち位置を見失う危険性もあるだろうし。
 いつの時代でも、”知らぬが花(言わぬが花からの転化)”や”知らぬが仏”の例えもあるように、何も知らないことのほうが幸せな時もあるのだ。
 今の時代と比べれば、ほんの少しばかりの情報しかなかった時代に、ようやく見ることのできた”銀幕のスターたち”、その幸せのひと時は、まさに”干天の慈雨”のごときありがたさで、私たち子どもの心を潤していったのだ。

 ここでふと思い出したのは、あのヴィム・ヴェンダース(1945~)の名作、『ベルリン天使の詩(1987年)』の冒頭の一節である。
 冒頭、白黒フィルムで、ベルリンの高い塔の上にある、彫像の大写しの映像が流れ、そこにドイツの詩人、ペーター・ハントケの「わらべのうた」の一節が朗読される。
 読んでいるのは、主人公の守護天使役を演じているブルーノ・ガンツである。彼は高い塔の上に腰を下ろして、(まだ東西を隔てる壁があった)ベルリンの暗い街並みを見下ろしている。
 ”Als das Kind Kind war・・・”
 ”子供が子供であったころ”、と読んでいくそのドイツ語の響きが心地よく聞こえてくる。

 人間には見えない、中年男の天使が、サーカスの娘に恋をして、天使としての永遠の命を捨てて、限りある命しかない人間に生まれ変わっていくという話だった。
 最初この映画見た時は、暗く地味な夢物語の映画だと思っていたのだが、その後二度三度と見ていくうちに、この映画のいわば無垢な世界観にひかれていくようになったのだ。

 ヴィム・ベンダースの映画には、『都会のアリス』(’74)『さすらい』(’76)『アメリカの友人』(’77)『パリ、テキサス』(’84)『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』(’99、キューバ音楽のドキュメンタリー)『ミリオンダラー・ホテル』(’00)などがあり、そこに共通するのは、お互いの間に流れる何気ないやさしさや静かな愛であり、彼が日本の映画監督小津安二郎を敬愛するのもわかる気がする。

 昔の映画館の話をしていて、わき道にそれたうえに長くなってしまったが、その『ベルリン、天使の詩』の冒頭の詩の一節である、”子供が子供であったころ”という言葉を思い出したのは、私が子供であったころが、まさに”映画館が映画館であったころ”だったからである。
 こうした、昔の映画館の思い出を話していけばきりがないが、多くの映画監督たちが、昔の映画に対するそれぞれの思いを”映画へのオマージュ(尊敬の意)”という形で作っているのだが、その中でも有名な一本は、言うまでもなくトルナトーレの『ニューシネマパラダイス』(’88)だろう。
 小さな町の懐かしの映画館での人情話だけではなく、実はラストシーンに向けての布石となるべく、切り取られていったフィルム断片の数々、そのあふれる映画への思いには、思わず涙してしまうほどだった。

 テレビ映画で有名な評論家の先生が、”いやーやっぱり映画っていいですね”と言っていた言葉が、素直に聞こえてくるような、まさに映画の全盛時代の名作の一本だったのだ。 
 そして、そうした映画全盛期の時代に生まれ、多感な青年時代から、多情な大人の時代まで、たくさんの良い映画にめぐり会えたことが、何よりも幸せなことだったと、今にして思うのだ。
 ”百冊のマンガ本を読むくらいなら、一冊の古典小説を読んだほうがいいし、百本のどうでもいいようなテレビ番組を見るくらいなら、一本の良い映画を見たほうがいい”と、私は自分の心の中で思っているのではありますが・・・。

 と言いつつ、私もたまには、そんなどうでもいいような、テレビのバラエティー番組を見てしまうのだが、しかし、そうした番組でも、中にはふと気づき教えられることもあるのだ。
 例えばある時、ひとりのの”ヒナ壇(だん)”タレントが、言っていたのだが、最近業界の人たちと一緒の席に座ると、聞こえてくるのは、ネット社会の浸透ぶりに脅かされて、視聴率が低下している民放テレビ各局の話ばかりだが、そうした景気の悪い後ろ向きな話ではなく、まだテレビにはいろいろな切り口があるのだから、そういう将来につながる話をしてほしいのに”、とかいったことを話していたのだが、その時に気づいたのは、世の中の景気状況を肌で感じている、営業最前線にいる人たちと、その周りの関係者たちとの現状認識の差である。
 上の人からはいつも上昇志向を指令され、下からは現状危機感をあおられ、そんな中でいつも何とかやっていくしかない、中間管理職の苦闘、いつの世にもいつの時代にもあったことなのだろうが。

 確かに、私は一日3時間くらいはテレビを見るからそれは多いほうなのだろうが、(そのほとんどは食事しながらなのだが)、それでもNHKさえあれば、まあ困ることはないし、民放では最近とみに、ショッピング通販宣伝番組が多くなったことや、各社横並びの素人意見番組化してきたものばかりだから、今の時代のスマホを自由に操る若者たちからすれば、小さなパソコンでもあるスマホを見ているほうが楽しいし、ほとんどのことはネット通信でやり取りできるからと、若い人たちがテレビ離れしていくのも当然のことだと思えてしまうのだ。

 もし、これから多くのテレビ局が経営危機からなくなっていくとしても、スマホを含むインターネットがあれば、それぞれに様々な意図的コントロールの危険はあるとしても、それだけでテレビ・ニュースと変わらない情報を得られるだろうし、さらに個人的なことを言えば、私には今までに録画してきた、多くの映画、オペラ、歌舞伎、登山、ドキュメンタリーなどのBR(ブルーレイ)ディスクがあるし、まあそれらのお気に入りの番組があれば、残り少ない老後を生きるには十分な量だろうと思っているから、テレビの衰退ぶりに脅威は感じないのだが。

 あるだけのもので満足すること・・・私は一週間に一二度買い物に行って、冷蔵庫がいっぱいになると、それだけで心豊かな安心した気持ちになれるのだ・・・安上がりな満足感。
 昔、同じように母と一緒に買いものに行って、戻ってきて、その品物を冷蔵庫に入れていた母が、”分限者(ぶげんしゃ、長者・金持ち)になったようだね“とつぶやいていたのを思い出す・・・庶民のささやかな満足感。

 ここまで書いてきて、気づいたのだが、今日、最初に意図していたのは、冒頭に書いているように、いつもは寒い九州の山の中にあるわが家周辺でも、今年は雪のない暖冬になっていて、それはそれで楽なのだが、今ごろは、もう何度も白い雪に覆われているはずの(この冬に一度も見ていない)雪の九重の山に思いをはせて、そんな話を書こうと思っていたのだが(冒頭の写真は10年前のもので、九重の牧ノ戸からの縦走路、2009.1.17の項参照、そして下の写真も同じ時のもので、西千里浜からの久住山(1787m)である。)





 さらに下の写真もその時のもので、天狗ヶ城(1780m)中腹から、左上に天狗ヶ城頂上と右に中岳(1791m)が見えている。この日は、牧ノ戸峠から縦走路をたどり、分岐点で扇ヶ鼻の前峰まで行って、縦走路に戻り西千里浜から久住分れ、そして御池から天狗ヶ城に登り、快晴の空の下で、寒い雪山を十分に楽しんだ一日だったのだ。




 こうして年寄りは、ラクダが反芻(はんすう)するように、昔の思い出を繰り返し愉(たの)しみ、そしてバクのように、もういらなくなった自分の夢を食べてしまうのでした。


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