ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

奥羽山脈縦断

2019-04-29 21:28:46 | Weblog




 4月29日

 数日前に、北海道に戻って来た。
 その後、雪も降ったりして寒かったが、何よりも久しぶりに白い日高山脈の山々を見ることができてうれしかったし、いつもの山菜取りにも行ってきたし、書くべきことはいろいろとあるのだが、まずは日を追って順に書いていくことにしたいと思うので、今回は、いつもの私の愉しみである、飛行機からの眺めについてのひとくさりを。

 この10連休の飛行機の空席状況は、その前後を含めて絶望的に混んでいて、どうしてもその期間は外して行くしかないし、ただしそうすれば連休の前には、ガラガラといえるほどに空いている便に乗ることができるはずだし、さらには、ありがたく窓側の席に座ることもできるだろう。

 ただし、天気はそれまで続いてきた晴れの日も終わり、明日からは全国的に下り坂に向かうという日だったので、あまり大きな期待はしてはいなかったのだが、つまり曇り空で下界が見えなくても、大気圏から上はいつも晴れているわけだから、その濃い群青(ぐんじょう)色の青空と、その下に広がる雲を見ているだけでもいいと思っていたのだが。

 そして、当日の東京に向かう便は、小雨が降り始めていた飛行場を飛び立って、すぐに雲の中に入って、やがて上空1万m前後の巡航高度に達して、水平飛行になっても、依然として雲の中を飛び続けていた。
 それは、この時、九州の西から寒気を伴った前線が近づいてきていて、暖気が吹き込んで上昇気流が起き、積乱雲が発達して1万mを超えるほどになっていたということなのだろう。
 しかし、関西を過ぎると飛行機は雲の中を抜けて、上にはあの大気圏外の紺色の青空が広がり、下には高層雲が広がっていたのだが、残念なことに、この高層雲が下界の景色を隠していて、北アルプスや南アルプスなどの山々を眺めることはできなかった。
 
 これでは、もう次の東京から北海道へと向かう乗り換え便での、東北の山々の眺めに期待するしかないと思っていた。
 ところが、静岡上空に来たころ、突然高層雲の雲が途切れて、何と富士山がその姿を見せてくれたのだ。(写真上)  
 今まで手持ち無沙汰にカメラを持っていたのだが、この時はここを先途とばかりに、その富士山の姿を撮りまくった。
 全国的に言われているように、今年の冬は雪が少なかったのだということが、その富士山の姿からもうかがい知ることができたのだ。
 もともと雪の少ない南側斜面の、こちら側に大きな口を開いた宝永山火口が見え、その上部の火口壁の所は雪が溶けて、黒々と見えるし、南面とはいえ、今の時期にもう、須走(すばしり)口や富士宮口からの上部は雪が溶けていて、尾根部分が黒々と見えていた。
 これなら5合目からでも、あまり雪の斜面を歩かずに、あの砂礫の登山道をたどれるかもしれないと思ってしまうほどだった。
 富士山の山開きまでまだ2か月もあるというのに、今年の雪の少なさはなんというべきか。

 東京羽田での待ち合わせ時間の後、午後の帯広行きの便に乗り込むが、座席はガラガラで5割もないほどで、他人ごとではあるものの、まわりまわって私たち利用客にも、悪い意味で反映されることになりはしないのかと、余計な心配までしてしまう。
 ともかく、飛び立った飛行機はもやに覆われた関東平野上空を進み、その平野部が終わるころ日光の山々が見えてきた。
 まず最初に見えてくる山々の中で、握りこぶしのような山体が目立つ山は、言わずと知れた男体山(2486m)だが、ここも山頂部に雪が残るものの明らかに雪が少なかった。
  
 東京にいた学生時代のころ、連休の時に一人でこの男体山に登ったことがあるが、5合目から上は深い雪で、疲れ果てて頂上にたどり着いたのだが、この時のまわりの雪の山々の姿にすっかり魅了されてしまい、その後は雪山が私の大きな登山目標の一つになったのだ。
 ちなみに、連休のさなかの5月5日のこの時、他の登山者には誰も出会わなかった。古き良き時代だったというべきか。

 さてその男体山を中心とする日光の山々が見え、奥には北関東の盟主、日光白根山(2578m)が白く浮かび上がり,さらにその後ろには谷川連峰が連なっていたが、さらに奥の方はもやがかかっていて視界が余り効かずに、かろうじて越後三山の姿を確認しただけだった。
 しかし、足元の眼下には、雪山の中に火山による茶色の山肌をむき出しにした茶臼岳(1915㎡)と、それに続く那須連峰の山々が見えていた。 
 そしてそこから続く、まだ雪をたっぷりと残した東北の山々の眺めは、飛行機展望マニアの私にはたまらないものだった。

 まず猪苗代湖の北岸には磐梯山(ばんだいさん、1819m)がそびえ立ち(隣の山肌に作られた何本ものスキー・コースが少し痛々しいが)、さらに小さなコニーデ型噴火口を見せる吾妻小富士が目印になる吾妻連峰(2035m)、そして、今回改めてその火山地形に見入ってしまった蔵王山(1841m)が見えてくる。(写真下)



 5年前の冬に、わざわざあの樹氷を見に出かけて行った時のことがよみがえってくる。(’14.3.3,10の項参照)
 もっとも、春になった今の時期には、もうその樹氷のほとんどは崩れ落ちていることだろうが。

 しかし、今回まるで初めて見た時のように気づいたのだが、それは南蔵王の不忘山(1705m)火口壁の見事さであり、さらにその右に続くもう一つの火口壁、屏風岳(びょうぶだけ、1825m)の地形であり、まるで古い時代の氷河地形カール(圏谷)が崩れた後のようにも見えるのだ。(写真の左側)
 できることなら、スキーツアーコースにもなっているという、あの稜線を歩いてみたかったが。
 そして、この写真の右上には最高峰の熊野岳(1841m)がありその下には、小さなお椀のようにお釜が見えていた。

 次に見えてきたのは世間的にはあまり知られていない、船形山(ふながたやま、1500m)であり、古い火山でなだらかな山だが、ちょうどその時、おそらく1000m位下方を同じコースを行き来する下りの便の飛行機が飛んできて、その一瞬を写したものである。(写真下)





 この先は、去年の秋に登った栗駒山や焼石岳なども見えてきたのだが、いずれもかすんだ空気の中で、はっきりと眺めることはできなかった。 
 そして最後の見ものは、早池峰山(はやちねさん、1917m)であった。(写真下)



 東北の多くの山々が(飯豊連峰、朝日連峰に白神山地を除いて)、火山性の地形であるのと比べて、奥羽山脈からはひとり離れた北上山地にある、古生層という古い地質時代の山であり、その豪壮な山容の魅力以上に、あの有名な日本産エーデルワイスであるハヤチネウスユキソウが咲いていることで知られていて、私も一度は行ってみたいと思うのだが、その季節には、登山口から山頂にまで登山者の列が並ぶということで、いまだに二の足を踏んで出かける気にはならないのだ。

 そして、飛行機は、まだ津波の爪痕が残る三陸沿岸を離れて、太平洋に出て、やがて北海道の山々が見えてくるはずだったのだが、あいにくの曇り空で、雪の日高山脈の山々を見られなかったのは残念だった。
 しかし、今回の飛行機からの眺めは、この季節だけの、東北の雪山の幾つかを見ることができて、飛行機からの山岳展望マニアの、私の思いは十分に満たされたのだ。ありがとう。
 
 飛行機はいったん北側に回り込み、今度は南風に向かって飛行場へと機首を下げて行った。
 十勝平野のます目状に区切られた農地では、トラクターの畑おこし作業が始まっていて、その後には、鮮やかな土色の線が描かれていた。
 北海道の、十勝平野の春なのだ。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。