ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

春色特急

2019-05-06 21:25:38 | Weblog




 5月6日

 何という、慌ただしく、目まぐるしく、変わり続けた春の日だったことだろう。
 ”月日は流れ、私は残る。”(アポリネール「ミラボー橋」)

 そして、この長い連休の間、近くの小さなスーパーに買い物に行くか風呂入りに行く以外、私はずっと家に居た。
 いくら天気が良くて外出日和(びより)でも、山でも街でも、人が多い所には、あまり行きたくはなかった。
 もっとも、こうして九州から北海道の家に戻って来たこと自体が、長期に及ぶ旅のようなものだし、この度の長い連休は、私にとってはまだ続いている旅であり・・・ありがたいような、困ったことのような・・・。

 というのも、そのありがたいことは、この北海道の春にあり、山野の眺めにあるのだが、その困ったことは、相変わらず続く、この北海道の家での、ライフラインの未整備により欠陥があることなのだ。 
 こちらに戻って来て、まず最初にやるべきことは、冬の間凍り付いかないようにと外して家の中に入れていた、井戸ポンプの再設置だったのだが。
 果たして、いや期待するまでもなく、水は出なかった。
 周りの農家の人たちからも言われていたのだ・・・今年は雪が少なく、さらにはいつもよりは早く、一か月以上も前に畑の雪が溶けて、雨も少なく、カラカラの状態だから、井戸水は無理だろう、と。

 その後、何と雪が降ったり、そして一度だけのにわか雨が降ったりしたことはあったのだが、とても乾燥した土地を潤すほどのものではなかった。
 そして、今も、去年と同じように、市販品の飲み水と、隣の農家や友達の家からの、もらい水に頼る日々が続いている。(ちなみに、帯広を中心とする十勝平野中央部の町や村の水道は、日高山脈の水を集めて流れる札内川ダムの豊かな水の恩恵を受けている。)

 一方で、何といってもうれしいのは、去年の秋以来の再会になる、日高山脈と広大に広がる十勝平野の山野の眺めである。
 この家に関する様々な不便があっても、私をこの地に引きとどめているのは、この魅力に満ち溢れた広大な自然の眺めにあるのだが、いつものことながらそのことを、この豊かな春の色彩の中で実感するのだ。

 十日ほど前に戻って来てから、すぐに家の中や小屋や庭の片づけを終わらせ、まず最初に私が足を運んだのは、丘の向こうにある、湿地帯である。 
 まさしく、今の時期だったのだ。
 一つは、この湿地帯に散在するミズバショウの花(冒頭の写真)やザゼンソウを見ることと、もう一つはおそらくは今が出始めたばかりだろう、北海道の山菜アイヌネギ(ギョウジャニンニク)を採るためである。
 群生地としては、それほど多く出ているわけではなく、もっとも私が食べる分だけだから、それほど大量に欲しいわけでもなく、こうしてひっそりと生えてくれているものを採るだけで十分なのだ。(写真下)





 その中から、採るのは全体の三分の一から四分の一くらいなもので、さらに地下に埋まっている球根の部分までは採らないで、地上に出ている部分だけをハサミやナイフで切り取るようにしている。
 内地の山野に自生するノビルなどがそうであるように、根ごと引き抜いて酢みそあえにして食べればおいしいのだろうが、そうすると見る間に群生地での数は減って行ってしまうから、植生の保護というよりは、自分のために毎年食べる分だけを、いただくようにすればいいだけのことなのだが。

 そうして、レジ袋にいっぱい採ってきたアイヌネギを、水洗い整理して、小分けにして数袋を冷凍庫に入れて保管しておくのだが、これではこちらにいる間の、半年分として時々食べるにはもちろんまだ足りないから、私の知ってる数か所の群生地のうちの、別の場所でもう少し採り足さなければならないだろう。
 もちろん、人里離れた山野に分け入るのだから、そして北海道にはどこにでもヒグマはいるものだから、山に登る時以外にも、こうした丘陵や低地でも、足跡やフンの類は何度も見たことがあるし、わが家の小さな畑にも足跡がついていたことがあったくらいだから、まして山菜取りにはいつも一人で行くのだから、その時は鳴り物を用意したりと注意はしているのだが。

 それにしても、この北海道に棲むヒグマは、内地のツキノワグマと比べれば、大人と子供ほどの違いがあり、立ち上がると2mほどにもなり、体重200㎏を超えるというから、偶然にそのヒグマに出遭うのが一番怖いのだが、もちろん当のヒグマの方も用心深く、めったに人を襲うことはないといわれているのだが。
 過去には、例の日高山脈カムイエクウチカウシ山(1979m)の札内川八ノ沢で、九州の大学ワンゲル部の学生5人がヒグマ襲われて、3人が死亡するという、登山史上まれにみる悲惨な事件が起きていて、それを先日、民放テレビで再現ドラマ化していたが、何とあれからもう50年近い歳月がたっているのだ。
 この再現ドラマには、ロケの場所や人物などなど、もう少し調べて検討してほしかったと思うが、それでも普通にこのドラマを見た人には、その恐ろしさが十分に伝わったことだろう。

 私も、このカムイエクに登るために、この八ノ沢ルートを三回往復しているが、いつものように一人で、八ノ沢カールと山頂直下にテントを張って泊まったことがあるが、とても眠れたものではなかった。
 そうした寝不足の日が続いたものの、山々は、カムイ(神威)と呼ばれるヒグマたちが生息するにふさわしい、自然豊かな豪壮な山岳景観を見せてくれたのだ。

 もし、北海道の山の中から五つを選べと言われれば、その山の姿かたち、頂上からの眺め、その行程での途中の植生景観などが、私にとっての名山選定基準なのだが、そこに間違いなく入るのが、この日高山脈のカムイエクウチカウシ山と日高幌尻岳(ひだかぽろしりだけ、2052m)であり、そして本谷雪渓ルートからの芦別岳(1727m)に、大雪山からは、白雲岳(2230m)とトムラウシ山(2141m)を入れたいのだが、ただ利尻島の利尻岳(1719m)は一般登山ルートからしか登っていないので、冬季バリエーション・ルートからの判断はできないが、画像映像で見る限りでは、もし私が若き冒険心あふれるクライマーであったならば、何はさておきこの利尻を第一に挙げたことだろうが。
 こうして、昔登った山々や憧れのまま登っていない山々を含めて、ひと時を山に想いを馳せてみるのもいいことだ。

「ミャオと連れ立って天国に行くための祈り」

”おお神様、私があなたのところへまいります日は、どうかこうした山々が青空の下に見えているような日にしてください。もし、それらの山々以外でも構いませんが、出来ることなら、あの何度もの大縦走を繰り返した北アルプスや南アルプスに、さらには私の故郷の山でもある九重の山々でもいいのですが。私は、ひざの上で寝ているミャオをなでながら、山々を眺めては、微笑みを浮かべて、静かに息を引き取ることができるだろうと思うのです。”

(「驢馬と連れ立って天国に行くための祈り」フランシス・ジャム 堀口大學訳 新潮文庫 による)

 と思っているうちに、夕方から急に冷えてきて、何と夜には雪が降り始めて、26日の朝には7㎝ほど積もっていて、春なのに一面の銀世界になっていた。(写真下、屋根の軒先から積もった雪がせり出してきている。)



 しかし、連休のころに雪が降るのは、北海道では、別に珍しいことでもないし、5月いっぱいはまだ雪には注意しなければならないのだ。
 ただし、クルマも夏タイヤのままだし、これでは外に出かけられないと心配していたのだが、やはりそこは春の雪で、その日のうちにはだいぶん溶けて、翌日までにはあらかた雪はなくなってしまった。
 その次の日には、”凱風快晴(がいふうかいせい、葛飾北斎の富嶽三十六景の一枚)”のような素晴らしい青空の下、目の前には、白雪の日高山脈の山々がずらりと並んでいた。

 以下は次回に書くことにするが、北海道に戻ってきて以来、この北国の春は目まぐるしく変わっていき、まるで春色特急列車に乗っているようで、いろいろと書き記しておくべきことが多くて、前回から順送りに一週間遅れの話になってしまったが、まあそこは、老い先短い年寄りのわがままな話として・・・。


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