ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

冬の青空と高原歩き

2019-01-21 21:12:45 | Weblog




 1月21日

 谷の方へと、降りて行く。 
 右手は、コナラなどの冬木立が立ち並ぶ急斜面になっていて、青空が鮮やかに木々を区切っている。(写真上) 
 小さな流れを渡り、今度は対岸の斜面を登って行く。
 やがて、道はゆるやかになって、マツが散在する高原の端に出る。
 そして、その先からススキやカヤの原になり、道が山の方にまっすぐに続いている。
 周りに遠くの山々が見え、時おり木々を揺らす風の音だけが聞こえている。

 誰もいないし、鳥の声さえも聞こえない。
 ただ、私の周りのほとんどに、青空が広がっているだけだ。
 幸せだと思う。
 
 天気のいい日を選んで、自分の好きな道を歩いて、穏やかな風景の中にいること。
 今、生きていて、そう感じることができること、それだけで十分ではないのか。

 テレビに映し出される、人々や街並みの喧騒は、全く別世界のこととして見ていれば面白いことだが。
 動物園の、おりの中に入れられた動物たちと、それを見ている人間たち・・・果たして本当は、私たちはそのどちら側にいるのだろうか。 
 そして、そのどちら側にいるほうが幸せなのだろうか。

 このままだと話が重たくなってしまうから、いつものように天気の話から始めることにしよう。     
 最近は、毎回同じことを書いているようで、少し気がひけるのだけれども、ともかく、何という暖かい冬の日々だろう。
 今は、暦でいう大寒のころであり、一番寒いころだから、九州の山の中にあるわが家周辺では、今頃は終日マイナスの真冬日にもなることもあって、外は雪景色になっているはずなのに、今まで書いてきたように、去年の12月からここまで、まだまともな雪が降っていないのだ。 
 九重の山も、前回のブログで10年前の同じころの写真をあげたように、今頃は、見事な雪景色なっていて、うきうき気分で山に出かけていたはずなのに。
 今年はライブカメラで見る限り、まだ一度も雪景色にはなっていなくて、何度か霧氷に覆われていた時はあったのだが、ほとんどは、冬木立の山が映し出されているだけで。
 それなのに牧ノ戸峠の駐車場は、土日は満杯になっていて、雪山の景色が見られないのを分かっていて、こうして山に来ているみんなは、本当に山が好きなのだろうと思うし、大したものだが、それに引きかえ、わがままで自分勝手な登山を楽しんでいる、死にぞこないのこの頑固じじいは一体・・・。

 とは言っても、やはり山歩きが好きな私は、3か月もの間山に登っていないために、いきなり山に登るのは心配だからと、このところ何度か、最初に書いているように、家の周りの散歩とは言えない、往復1時間半ほどのハイキングを楽しんでいるというわけなのだが。
 そうした、私の行動に後付け説明をするとすれば、元来、山歩きが好きなことに加えて、静かな自然の中にいること自体が好きなこともあってあって、こうして私が山に出かけるのは、平日の天気のいい日の山歩きになってしまったのだが、それだからこそ、その時その時の、山の姿をいっぱいに受け止め味わうことができるのだとも思っている。
 もちろんその日だけで、その山のすべてを知ったことにはならないけれども、その季節の山の姿として、いくらかの写真とともに、私の記憶の引き出しの一つに収めることができるのだと思う。(いつも書くことだが、写真を一枚も取らずに、すべては自分の眼で見た記憶に、心のアルバムにとどめておくのだという人がいるけれども、記憶力が良くない私には、とても無理な話であり、写真があってこそ、その時の思い出をたどることができるのだと思っている。)

 つらつら考えてみるに、年寄りになってきた私が、どうしてそう自分のためだけの生き方をするようになってきたのかというと、もちろん若いころの、行動主義的な一途な思いや、誰もが一度はその洗礼を受ける情熱的な理想主義や、その絶望感からくる破滅主義の停滞時期を経て、次第に周りを遠くから見る余裕がでてくるようになり、落ち着いた思想へと心惹かれるようになっていったからではないのかと思っているのだが。 
 そして、その一つの結論としての思いが、今までにもこのブログに書いてきたように、あのギリシア時代のエピクロス学派にまでさかのぼって行くことになったのではないのかと。
 それは、一般的に言われている快楽至上主義的な思想ではなく、むしろ逆に、あの禁欲主義を掲げるストア学派に通じるものがあるとさえ思われる考え方であって、つまりそれは、自然の中で静かな節度ある生活を送ること、といったエピクロスその人の言葉でもあったのだが。(’10.6.22、’15.4.6の項参照)
 そうした考え方は、ぐうたらでわがまま気ままな生活を送る私には、まさにおあつらえ向きの思想なのかもしれない。

 ただし、人は一面的なものだけに合致するからといって、そのことだけで、その人の人なりすべてを表しているわけではなく、彼の人生の中で影響を受けた人や物事は数限りなくあるのだから、あくまでもその人の一つの部分としてしか見ることはできないのだが。 
 そうしたことから、自分の立場においてかんがみてみれば、物心ついた時から今まで、自分の考え方に影響をあたえたと思われる事柄は数限りなくあり、さらにそれはその時によって様々に状況が異なっているのだから、全く同じ考え方の人がいないのも当然であり、その個性あふれる多様性こそが、人が人たるゆえんなのだろう。

 なぜこんなことをくどくどと書いてきたかというと、最近ふとあのドイツの哲学者ヘーゲル(1770~1831)のことを調べていて、カントの後のドイツ観念論の一つの頂点として存在し、さらにヘーゲル亡き後の影響が、その好悪はともかくとして、キルケゴールやマルクス、ニーチェ、ハイデガーにまで及んでいて、それだけに、私たちが哲学的にものごとを考えていく上での、一つの里程標(りていひょう)にもなっているからだ。 
 もちろん、軽佻浮薄(けいちょうふはく)で浅学な私が、ヘーゲルの『精神現象学』のような難解な本を読めるわけではなく、これらのことは手元にある幾つかの哲学解説本からの受け売りに過ぎないのだが。 
 さてここで、弁証法の哲学だと言われている、ヘーゲルの考え方の一例として、取り上げられることの多い、”ひまわりの弁証法”について、あげてみることにする。

 ”ここにひまわりの種があり、それを地面にまくと、芽が出てくる。つまり種が否定されて芽となり、次に芽が否定されて茎や葉となる。やがて茎や葉が否定されて花となり、花が否定されて種となる。”(『新しいヘーゲル』長谷川弘 講談社現代新書)
 さらにそうしたことから敷衍(ふえん)していけば、”生命そのものがその内に死の萌芽を担っているのであって、一般的に有限なものは自分自身の内で自己と矛盾し、それによって自己をアウフヘーベン(否定する、保存する)ものである。“と規定しているのだ。(『一日で学びなおす哲学』甲田純生 光文社新書)

 つまり人間のうちには、自分を肯定するものと否定するものがあり(生と死が同居していて)、変化生成を重ねていくものであり、それと同じように観念も、変化していき、最後には絶対知(絶対精神)に至ると考えたのだ。
 もちろん、私は、単なる輪廻転生(りんねてんしょう)の考え方よりは、一歩進んでよりよくなっていくという、その変化生成過程に関しては同意できるのだが、絶対知に至るというところで、ふと考えを止めてしまうのだ。
 はたして、かつてこのかた、そこまでたどり着いた者などいたのだろうかと。

 それは、彼の描いた理想の結論であり、次に登場するヘーゲル批判のキルケゴールが結論づけた、”宗教的実存”である信仰とある意味では類似しているとさえ思えるのだが。
 つまり、それは彼が別なところで言っているように、哲学は、今までの出来事を後から整理する考え方に過ぎず、未来に対しての正しい道筋などを提示するものではないということでもあるのだから。
 さらに、これは相反するようだが、そうした彼の考え方にもうなずくことができるのだ、私たちが哲学に求めるのは、今ある自分の位置を認識し、あるべき方向へと向かう道しるべになってくれることなのだから。

 こうして、晴れた日に静かな山歩きをするのは、自分の求める節制としての快楽主義の発露の一つなのだと、言い訳をしているのだが。
 1時間半かかって、山歩きを終えて家に戻ってくると、日が陰ってきた庭に、何か白いものが見えていて、近づいてみると、何とそれはユスラウメの花だった。(写真下) 
 今まで、早くても、2月中下旬に咲くことがあっても、それよりも一か月も早く、一年で最も寒くなる今ごろに咲いたのは初めてのことだった。(’18.3.5の項参照)
 これを見ても、今年がいかに暖冬かというのがよくわかる。 
 もちろん、そうなるとウメやサクラも早く咲くのかもしれないが、毎年楽しみにしている大きなブンゴウメの実は、花が咲いたころに戻り寒波にやられる心配も出てくるし、温かい冬で花が咲くのが早くてと、喜んでばかりもいられないのだ。

 先週のテレビについて少し書くとすれば、何と言っても特筆すべきは、NHK「ブラタモリ」の”イタリア・ローマ編”の2週続けての放送だった。
 それは、相手のアナウンサーの女の子が4代も変わるほどの(タモリの言葉によれば、”おれのカラダの上を何人の女子アナが通り過ぎて行ったことか、みんな出世して。”(先代の桑子アナウンサーに代わって近江アナウンサーの最初の放送の時”嵐山編”でのひと言。)長年にわたる高視聴率番組になったからという、ボーナス企画だったのかもしれないが。

 ともかく、興味深い内容で面白かった。
 私の若いころの、ヨーロッパ旅行の時にも、ローマには3日ほど滞在して精力的にあちこち見て回った記憶があるから、もとよりのことだが。
 フォロ・ロマーノ(古代ローマ、紀元前6世紀~紀元3紀元)の遺跡から始まって、その石材の岩質(火山に囲まれたローマの地形ならではの凝灰岩)から、ローマの地形地層に至るまでの現地学者の説明には、ただ聞き入るばかりだったし、あの有名なアッピア街道(紀元前3世紀)の石畳の道が、今では時代を経て凸凹になっているが、当時は揺れることもない舗装道路のような道だったとか。 
 さらに、ローマにいくつもある噴水は、水が豊かに使える大都会(当時100万もの人が住んでいた)の象徴として作られたもので、郊外からの長さ20㎞にも及ぶ水道橋の3割ほどは今も残っていて、壮大な浴場跡とともに歴史的見ものになっていた。
 
 そして、この番組でタモリと林田アナウンサーに同行していたのは、子供のころからローマにいるという日本人ガイドで、彼の見事な通訳やコーディネイトがなければこの番組は作れなかっただろうと思うほどだが、こうした世界各国の現地事情ネットワークを持っている、NHKスタッフにはいつもさすがだと思ってしまう。
 しかし、この番組では、古代ローマのほんのひと断片を見ただけに過ぎず(塩野七生さんの15巻にも及ぶ大作『ローマ人の物語』があるように)、もっと何回かのシリーズとして、イタリア全土(特にフィレンツェやヴェニス)にまで広げて見せてもらいたいと思ったほどだった。 
 
 そして、この番組の後に放送されいて続いて見ることの多い「さし旅」(AKB・HKTの指原莉乃とマニアたちが巡るこだわり旅番組)だが、今回の”温泉めぐり”やその前の”仏像めぐり”、そしてさらに前にあった山の”紅葉めぐり”など、初歩的な案内の内容ではあるが、あらためて気づかされることもあり、むしろ若者たち向きの番組なのだろうが、私たち年寄りでも十分に納得のできる内容も含んでいるのだ。 

 民放(テレビ朝日系)のいつもの「ポツンと一軒家」では、今回は千葉のあの清澄山(きよすみやま)付近の一軒家で、崖崩れで通行止めの標識のある山奥に、ログハウスが建っている所があって、近くで農家をやっている人が(67歳)、祖父から受け継いだ広大な山林の間伐材で、ログハウスを建てていて、その数大小取り混ぜて10棟余り、他にも森林回遊コースの道を作って、子供たちに体験学習させているとのこと。
 私が北海道で、やっと一棟だけの丸太小屋を建てて安住して、ぐうたらに暮らしているのとは大きな違いだ。

 思うに、私は、今回取り上げたヘーゲルの弁証法的考え方のように、自分の中に可と非の要素があって、それらの相克によって日々よりよく変化生成しているとは、とてもいえないのだ、ただいたずらに馬齢(ばれい)を重ね、齢を取って行くだけのことで。
 今はもう、頭の中をチョウチョウが飛んでいれば、そんな穏やか日々が続けば、それでいいと思うだけで・・・。



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