ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

雪白く積めり

2019-01-28 22:14:58 | Weblog




 1月28日

” 雪白く積めり。
  雪は林間をうずめて平らかなり。
  ふめば膝(ひざ)を没して更にふかく 
  その雪うすら日をあびて燐光(りんこう)を発す。
  燐光あおくひかりて不知火(しらぬい)に似たり。
  道を横切りて兎(うさぎ)の足あと点々とつづき
  松林の奥ほのかにけぶる。
  ・・・。"


(日本文学全集 19 高村光太郎 詩集「典型」より”雪白く積めり” 集英社)

 どこかのスキー場の話ではないけれど、この冬の雪の少なさには、暖冬だという以上に、地球環境変化を現実のものとして認めなければならない、そんな時代になってきたのかとさえ思っていたのだが、その雪がやっと、わが家の周りでも降り積もったのだ。
 雪景色大好きの私は、”じーじは喜び、庭駆けまわり”の気持ちになってしまうほどで、その雪は15㎝ほども積もっていて、久しぶりに小1時間ほどの雪かきにも精を出したのだが、もちろん北海道などのサラサラの乾いた雪ではなく、湿った重たい雪で、二日たった今では、もう道の方には、日陰になったところに少し硬い雪が残るだけで、クルマの通行には支障がないほどに溶けてしまった。どこか、春先に降る雪の感じで。

 この日は、じっとしていられなくて、午前中と夕方にも、雪景色を見るために辺りを散歩して回り、上の写真は、夕日に照らされた雪原写真なのだが、北海道などの冬の雪原と比べると、上から雪が舞い下りてきただけの、柔らかい積もり方をしていて、北海道の吹きすさぶ烈風の中で、シュカブラや風紋に覆われた雪原でなくて、きわめて穏やかな、九州の雪ではあったのだが、雪原の夕映えがきれいだった。 
 さらには、ネットのライブカメラを見てみると、牧ノ戸峠の駐車場はクルマでいっぱいで、路肩駐車のクルマもあったほどだが、今日雪道を通ってここまで来た人たち、みんながいかに九重の山々の雪景色を待っていたかがよくわかるのだ。 
 天気は朝の曇り空から、晴れ間が広がってきて、まずまずの天気だったのだが、さすがに休日の人の多さを考えると、なかなか出かける気にはならず、家の周りの雪景色散歩だけで気をまぎらしていたのだ。

 山登りの間隔が、なんともう3か月以上も空いてしまった。
 ”空前絶後のぐうたらぶり”だと、わが身が身をののしってみても、せんなきこと。
 そこで録りだめしていた山番組の録画のいくつかを見ては、さらに憂さを晴らしていたのだ。

 もうずいぶん前から続いている、NHK・BSの「日本百名山」は、調べてみるとその第1回目は1994年4月の八ヶ岳からであり、その時は、ようやくまともな山番組がテレビで見られるようになると、小躍りしたくなるほどだったのだが。
 しかし、当時はまだDVDの時代であり、手元にあるその画像は、最近のハイビジョンのブルーレイ録画による画像と比べれば あまり見る気にもならないほどに粗いもので、現在のテレビ映像はさらに4K,8Kへと高画質になっていく時代であり、もう今のハイビジョンでさえ、将来には忘れ去られてしまうのだろう。
 さて、その「日本百名山」は、今では「にっぽん百名山」と名前を変えて放送され続けているし、最近では季節を変えて撮り直しのシリーズが続いていて、山好きな人々には、見逃せない番組になっているのだが、その秋山シリーズで、年末からの「立山」「月山」「岩木山」「八甲田」など、紅葉の秋シリーズで、また行きたくなってしまうほどだ。

 さらに、目がクギづけになったのは、正月3日に放送された「北アルプス・ドローン大縦走」の第三弾である、”雪の燕岳”と”雪の涸沢から奥穂高岳”である。
 雪の燕岳から大天井岳への縦走は経験があるが、同じような晴天の下での、ドローンから見た北アルプスの大展望はさすがに素晴らしく、懐かしい気もしたが、もう一つの奥穂高岳へは、夏から秋の季節には何度も行っているのだが、積雪期の経験がないから、それだけに、ドローンによる目新しい角度の眺めの、その迫力ある大展望にはただただ感心するばかりで、特に朝焼けに染まる雪の山肌は、真向いの蝶ヶ岳から眺めた雪の穂高連峰の忘れられない思い出があるが、これほどの近さで別アングルの映像というのは見たことがないから、興奮しまくりで、山マニアとしての幸せなひと時だった。

 やっぱり山は、積雪期に眺める朝夕のモルゲンロート(朝の赤色)とアーベントロート(夕方の赤色)の美しさに尽きると言えるようだ。
 今までの登山経験の中で言えば、まだ積雪期の4月下旬、日高山脈の十勝幌尻岳からの日高山脈主峰群の眺め、八ヶ岳硫黄岳からの赤岳・横岳・阿弥陀岳、八方尾根唐松岳からの、白馬三山に五竜岳、そして燕岳に大天井岳からの槍・穂高連峰などと枚挙にいとまがないし、手軽に行ける所では、蔵王地蔵岳からの日没の樹氷群の姿も印象深いし、日本の多くの山々は、ふもとからでもその朝焼けの姿を見ることができるから、早起きして寒さをいとわなければ、素晴らしい朝焼けの山の姿を目にすることができるだろう。(写真下、北海道糠平湖畔より朝焼けのニペソツ山、1994年4月3日)





 他にも、富士山の夕映えは有名だが、どうしても私が見てみたいと思うのは、あの雨晴海岸や氷見海岸からの、富山湾越しに見る夕映えの劔・立山連峰の姿である。

 若いころに出かけた外国の山では、幸運にも10日もの間、好天が続いたヨーロッパ・アルプスでトレッキングを楽しんだのだが、その中でも、ツェルマットのユースホステルの窓から眺めた朝焼けのマッターホルンの姿が忘れられない。
 世の中には、あまたあるヒマラヤの高峰群や北米マッキンリー(デナリ)、そして今回三浦雄一郎さんで話題になった南米アコンカグアなどの、高い山々での壮絶な朝焼け夕焼けの山の姿を見た、数多くの人たちがいるだろうから、その人たちから見れば、私の雪山体験など、物の数にも入らないのだろうが、といって私は自分を卑下する気にもならないし、人は人それぞれに、自分の経験値の中で自分の人生を楽しめばいいのだと思う。 
 私は若いころ、いろいろなスポーツをを楽しんできたが、結局そのころからのもので変わることなく残ったのは、スポーツとは言えないのかもしれないけれど、登山、つまりは山歩きすることだけだったのだ。
 その理由は、他人と争うスポーツではないからだ、闘うのはあくまでも、内なる自分に対してであり、そんな自分の弱気と強気のがまん比べなのだからだ。

 こうした協調性のない、団体行動に向かない、というより単純にわがままでぐうたらな人間が、ここまで生き延びてこられたのは、やはり自分が生きた時代に、戦争や自分に降りかかる災害や事故にもあわなかった、という幸運に恵まれたからだろう。
 そして、そう考えることができるようになったことで、今の自分がこうして生きていること自体が幸運だと思えるようになるし、今の自分が、自分なりに納得した年寄りでいられることが、どれほどありがたいことかとも思うのだ。

 生意気で、野心に燃えて、ぎらついていた若いころなんぞに、金輪際(こんりんざい)戻りたいとは思わない。
 ただ自分が過ごしてきたその時その時が、それぞれに意味のある成功と失敗だったのだ、ということでいいじゃないか。
 あとは残された人生で、自分だけの小さな計画を、一つずつやって行ければいいだけのことだと。

(ここでまた、半分まで書いてきた残りの原稿を、他のサイトを開いて調べていた時に不注意からその部分を消してしまった。今からその一つ一つを思い出して、元通りに書き直す元気はないし。というわけで、今回、以下はその前に書いた原稿とはいくらか違う形のものになったが、まあ自分のために書いているブログだから、こういうこともありなのだと自分に言い聞かせている。)

 ともかく、ここまで書いてきたのは、前回あげたギリシア時代の哲学者エピクロス(B.C342~271 ) の言葉を思い出したからでもある。

”人々からの損なわれることのない安全は、煩(わずら)いごとを排除しうる何らかの力(個人的または社会的な力)によってでも、ある程度までは得られるけれども、そのもっとも純粋な源泉は、多くの人々から逃れた平穏な生活から生まれる安全である。”

”生の(生の目的なる快の)限度を理解している人は、欠乏による苦しみを除き去って全生涯を完全なものとするものが、いかに容易に獲得されるかを知っている。それゆえに、かれは、その獲得のために競争を招くようなものごとをすこしも必要としない。”(以上『エピクロス』出隆・岩崎充胤訳 岩波文庫)

 これだけでもわかるように、これらの言葉は、到底若い人のための忠告や指標となるべく書かれたものとは思えない。
 あのギリシア時代に強いあこがれを抱いていた、ニーチェなどからすれば、こんな生ぬるい消極的な考え方などは彼の思想とは相容れないものだろうが、逆にエピクロスの一見、虚無的な快楽主義の思想にも理解を示しているところもあって、死についての記述にはむしろ影響を受けている所もあるとさえ言われているのだが。
 もちろん、私の若い時にも、こうしたエピクロスの考え方は、あまりに日和見(ひよりみ)主義的な逃げの考え方にしか思えず、長い間忘れていたほどだったが、中年を過ぎて人生の光と影の多くの物事を体験してくると、これらの言葉は、老年へと続く人々たちへの提言だと思えるようになってきたのだ。
 自分の人生の、競い合う時代は終わって、これから先は経験から得た知識をもって、人生を楽しむべく余裕をもって生きていくべきだという、一つのライフプランを提示したのではないのかと思うようになったのだ。

 もちろん、人間には様々な考え方や立場の人がいるから、たとえば、年寄りになっても若い時と同じように野心を抱きながら、日々激動の社会に身を置くことを好む人もいて、そのリスクあるスリルこそが彼らの生きる源になっている場合もあるだろうし、またそういう人々たちによって、現代社会が動かされているのも事実だけれども。
 ただ、昔からそうであったように、その時代の権力社会の喧騒(けんそう)からは一歩離れて、静寂の世界に身を置きたいという人々が、いつの時代にもいたということなのだ。
 中国の老子荘子の思想、日本の『方丈記』『徒然草』に見るような鴨長明、吉田兼好などのいわゆる”隠者”達の存在があり、紀元前のギリシアにいたエピクロスもそうした考え方を持つ一人であり、どこの国にも、いつの時代にもあったことなのだと思う。

 類は友を呼ぶ”という諺(ことわざ)があるからではないけれども、誰でも近しい考え方の人のそばにいることは、心安らぐことなのだ。 
 私が本を読むのが好きなのは、いつでもその本を開きさえすれば、そこに人生の偉大な先達(せんだつ)でもある人々や仲間たちがいて、彼らの話を聞くことができるからだ。 
 形や規則に縛られた安全な集団の中にいるよりは、こちらが話を聞きたい時に、いつも本の中で会うことのできる、そうした人々たちがいることがどれほどありがたいことか。

 私たちの若いころには、訪ねた友達の下宿先の狭い一間に、その本棚に並べられた本を見ては、お互いの知識を啓発(けいはつ)させられたものだったが。
 現代の若者たちは、ほとんど本を読まないという。 
 しかし、彼らが、スマホのネットゲームやSNS通信連絡に夢中になり、他にはマンガ本を読んでいるだけだとしても、私はそう心配はしていない。
 いつも、その時代の潮流の中で新しいものが生まれ、さらには変化していって、彼ら自身が選んだ新しい時代になって行くのだろうと思うし。
 ただ、私たちの世代は、恐ろしく長く続いてきたアナログの時代の中にあったということで、これからも、私は古いと言われてもその世界から離れることはできないし、またそれが、私たち年寄り世代の幸福な時代でもあったと思うのだが・・・ありがとさーん。


 



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