ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

西の空のかなた

2015-01-26 23:52:02 | Weblog

 1月26日

 雨が降っている。真冬だというのに。
 いつもの寒い真冬のころには、ほとんどが雪の日ばかりなのに、今年は天気が崩れると雪ではなく雨が降るのだ。 
 
 最近は、まるで春先のような晴れて温かい日が続いて、その後に少し雨が降ってという繰り返しで、それはいつもの春になってからのことなのだが。 
 というのも、この九州の山の中にあるわが家にいて、これほど雪のない暖かい1月を過ごしたことは記憶にないほどなのだ。
 冬の季節が好きで、雪景色が大好きな私にとっては、冬に雨を見るのはさびしくもあり、また一方では老いたる体にはありがたいことだとも思ってはいるのだが。
 
 天気の良い早朝や夕方には、近くを散歩をする。
 太陽が昇り始め、また沈んでいく時の、あたりを赤く染めていく景色が好きなのだ。
 ただし、わが家があるのは、周りを山に囲まれた所だから、すっきりと開けたところでの朝焼け、夕焼けの眺めというわけにはいかないのだ。
 何と言っても、朝焼け夕焼けと言えば、あの北海道の周囲が開けた大平原の中にある、わが家のあたりからの眺めを思い出さずにはいられない。

 それでも、今見える夕焼けがある。私は、歩いて行って、西の空の山の端(は)を眺める。(写真上)
 青空といくつかの雲が流れていった一日は、今やたそがれどきになっていて、その輝く西の空は、明るい昼間の光が、次第に色あせて闇へと変わっていく。
 それは、一つの終末へと向かうお告げの色なのだろうか、それとも、さらに西に向かえば、決して暮れゆくことのない輝きに満ちた、西方浄土の世界があることを指し示しているのだろうか。
 あの光り輝き沈んでゆく山の端、山の頂のあたりには、私たちが死んで行くかなたの世界を指し示しているのだ・・・と昔の人々が考えたとしても、それもむべなるかなとは思う。

 どこからでも周りの山が見えるほどの、狭い国土に住んできた私たち日本人は、はっきりとした過酷なまでの四季の変化と、繰り返される自然の暴威を受けながらも、それらを受け入れて、その教訓を学び取りながら生きてきたのだ。
 その中で、わずかな光明のように、日々繰り返される輝かしき夕方の光景は、いつしか人々の明日への救いの思いにも重なったのだろう。
 いくら苦しい日々が続いていても、死んだ後にその魂は空に舞い上がり、あの輝かしき山の端あたりをさまよい、さらには西に向かい、西方浄土(さいほうじょうど)の世界にたどりつくはずだと・・・。

 私は、死後の世界、魂の世界などを信じるような人間ではないのだけれども、そこに導き連れていかれることを望む人々の気持ちは分かるような気がする、というよりは、一つの世界観として信じたい気持ちもあるからだ。
 古代の日本人たちが、自然に対して常に畏怖(いふ)の気持ちを覚え、何の疑いもなく八百万(やおよろず)神の存在を信じていたように、それが今に続く日本神道(しんとう)の流れとしてあるように、さらにはその後流入してきた仏教の教えである、地獄・極楽・現世に分けられた因果は廻る世界観にも対応して、互いに駆逐し合うことなく、受け入れあいながら、一つの大きな信仰の心として、日本人の心の中で形づくられていったのだろう。
 そうした、日本人の考え方の背景にあるものを、前回に続いて、それは何も”日本人論”として大げさに構えてみるものではなく、あくまでも今いる自分の考え方の一つとして、ここに書いてみたくなったのだ。

 実は、前々回、前回と続けて取り上げてきた、正月番組NHK・Eテレの『100分de日本人論』に触発(しょくはつ)されたところもあって、そうした”日本人論”に関する本を数冊だけぱらぱらと読み直してみたのだが、とはいっても、”日本人論”に関しての書籍は、恐らくは数十否数百冊にものぼるほどにあるのだろうから、私がほんの数冊だけを読んでいたぐらいでは、何の参考にもならないのだが、そこはそれ、厚顔無恥(こうがんむち)な浅学の徒(せんがくのと)の、素人の厚かましさで、自分になりに考えてみたのだ。
 それは、後述する最近見た二本のドキュメンタリー番組に、自分の人生を振り返り見るべくある種の感慨を覚えたからでもある。
 
 さて私は前回、この座談会番組で、まして結論的な意味合いを込めて提示された一冊、あの河合隼雄氏の『中空構造の日本の深層』だけでは、決して”日本人論”としては満足できないものがあると書いたのだが、そこで思い返して書棚を調べてみて、気づいたのは、あの宗教学者の山折哲雄氏(1931~)の『日本の心、日本人の心』(上下)である。
 これは、NHKラジオ第2の”カルチャーアワー”で放送されていた(2003年10月~2004年3月)ものをまとめたブックレットであり、それはたまたま、クルマのラジオで聞いていて納得することが多く、あらためて本を買い入れたものである。 
 これは、ラジオで山折氏が話されていたように、分かりやすい平易な言葉で書かれていて、その他の山折氏の本のような難しいところはなく、今までに読んできた各論的なものは別として、総合的な”日本人論”としてはかなりの所で納得できたものの一つだった。

 ここでは、この本の内容のすべてに詳しくふれていく余裕はないが、今までの有名な”日本人論”を書いてきた人々、例えば寺田寅彦や和辻哲郎、さらにあの山本七平などだけでなく、まさしく日本人として生きてきた有名な人々、例えば良寛(りょうかん)から森鴎外(もりおうがい)、美空ひばり(いずれも私も好きな人たちばかりではあるが)などに至るまでの人々を取り上げていて、そこで彼の宗教学的、民俗学的視点からの、日本人として在(あ)るものを論点として浮かび上がらせていく語り口は、私のような門外漢(もんがいかん)にも分かりやすく聞くことができ、また本として興味深く読むことができたのだ。
 その話の要旨を簡単にまとめることは、まずは26回にも分かれて話し継がれてきた、それぞれの人物の各論を要約していくことから始める必要があり、ここではそれほどまでにしてこの本を評論しようという意図などはないから、私の考えている”日本人論”に関わるところだけを私なりに解釈してみると、以下のようになるのだが。

 ”ユダヤ教にしろキリスト教にしろイスラム教にしろ、すべてはその源を一にして、砂漠と乏しい緑野の接するイスラエル付近で生まれたものであり、そんな厳しい環境の砂漠のかなたに求めるものは、必然的に他の神を許さない一神教へと結びついたのではないのか。”

 ”そのイスラエルの荒涼たる砂漠に住む民と違い、日本人は、緑濃い野山や水清き川や海の恵みを受けて暮らしていただけに、そこからいただくすべてのものに感謝しては、そこに宿る八百万(やおよろず)の神々をあがめることにより、いわゆる多神教な信仰が芽生え、一方では、数多くの天変地異(てんぺんちい)による環境の支配を受けて、国民的無常観とでもいうべき感情が作られていったのではないのか。”

 ”その日本人の、神道的信仰と仏教的信仰が合わさって”神仏習合(しんぶつしゅうごう)”の信仰が生み出されることになり、それはまた神道と仏教の”棲(す)み分け”を意味していて、世界に誇るべき”平和共存の宗教”ということもできるだろう。”
 
 この本は、今から10年以上も前に書かれたものではあるが、今回また読み直してみて、その後に起きたあの東日本大震災や、今日での中近東におけるあの狂信的なイスラム原理主義集団の台頭などを、預言し警告していたのではないのかと思うほどだった。

 さてここで、先ほど少しふれた二本のドキュメンタリー番組についてであるが、それは録画した後で見た順番と前後するが、まずは1月24日、NHK・Eテレ放送の『戦後史証言プロジェクト・日本人は何をめざしてきたのか』シリーズの一編、「三島由紀夫」である。
 あの事件の時、同時中継でテレビの画面に映し出された映像を見て、とても現実とは思えない三島由紀夫の姿に、ぼうぜんとした思いになったのは、私だけではないだろう。
 事件後、当時の私たち学生仲間数人は、誰から言うこともなく自然に集まり、言葉少なにうまくもない酒を酌(く)み交わしたのだ。
 当時の、文学かぶれの青二才にすぎなかった私たちにとって、三島由紀夫という存在は、同時代にいることが信じられないほどの、まだ老成していない今を生きる巨匠作家であり、私たちの誰でもがそうであったように、三島作品のほとんどは読んでいたほどだった。
 それは、今の時代の村上春樹の存在と比べるべくもなく、遥かなる高みにあったのだ。

 彼の政治的な思想はともかく、彼の描く知的な虚無感をたたえた孤高の美的感覚は、私たちの生きるひとつ前の世代の舞台ではあっても、嫉妬することさえできないほどの有無を言わさぬ美的修辞学に裏打ちされていて、それはまた一方で、確かな日本文学の流れも受け継いでいて、まさに唯一無比の偉大な作家に他ならなかったのだ。
 それだけに、テレビの映像の中で起きている事実が、とても理解できなかったし、その日集まった仲間との話でも、何の結論も出せなかったのだが、考えてみれば、もう40年も過ぎた今の時点でさえ、あの偉大な作家、三島由紀夫の事件に対する思いは、いまだ複雑な感情のまま残されているだけだ。
 
 番組では、当時の三島を知る人々にインタヴューをしていた。
 もちろん、そこに新たな驚くべき事実が語られるわけではなく、それらのほとんどのことは、後日出版された雑誌の特集号や、評論本などの何冊かですでに知っていたことが殆どだったのだが、あれから40年、関係者のみんなも同じように年を取っていて、つまり彼らは、年寄りの、冷静な目で、落ち着いた表情であの時のことを語っていたのだ。
 その中で気になった言葉が一つ。当時の三島の年下の友人でもあった、詩人の高橋睦郎氏の言葉である・・・「大虚無ですよ、あの人は。」

 その時、私の脳裏をよぎったのは、いずれも天才と呼ばれながら、自ら命を絶ってしまった作家たち・・・芥川龍之介、太宰治そしてこの三島由紀夫。

 芥川龍之介(1892~1927)・・・有名な遺書の言葉、「ぼんやりとした不安」。
 太宰治(1909~1948)・・・「小説を書くのがいやになったから死ぬのです」と書き遺していたが、自身の病気や子供の障害が原因だとする説もあるとのこと。
 三島由紀夫(1925~1970)・・・辞世の句が幾つか残されてはいるが、上にあげた言葉、「大きな虚無」が彼の何かを思わせる。
 
 何とも惜しまれても余りある、文学の才能に恵まれた人たちの死・・・。
 この番組を見て思ったのは、世にいう”三島由紀夫事件”の、今更ながらのてんまつについてではなく、偉大な作家たちの心の中でふくれあがっていった、大きな虚空の空間である。
 ここで、別な意味であの言葉が浮かび上がってくる・・・”中空構造の日本人の深層”。 

 さてもう一本のドキュメンタリー番組は、1月15日放送のNHK・BS、『堀口大學 遠き恋人に関する調査』である。これはまだ私がハイビジョン対応のテレビを持っていなかった2007年に制作されていて、ありがたいことに、そのハイビジョン特集が今になって再放送されたのだ。
 それは、このブログでも何度も取り上げている、私の好きなフランス訳詩集『月下の一群』や『ジャム詩集』で有名な訳詩家であり、詩人の堀口大學についての、ドラマ仕立てのドキュメンタリーでだったのだが、現代の日本の編集者が堀口大學の取材でフランスに行き、そこであの有名な女流画家マリー・ローランサンとの間にできた彼の娘らしき女と知り合うという、多分に憶測めいたドラマが織り込まれていた。

 しかしそれは、上にあげた三島由紀夫のドキュメンタリーが、当時の彼に関する映像と現存する人々へのインタヴュー、そしてナレーターのアナウンサーの声だけで構成されていて、私はその1時間半もの間続く緊迫感で、テレビの前を離れることすらできなかったのに比べて、ここでは何と見え透いた粋(いき)を装ったドラマが織り込まれ作り上げられていたことか。
 2時間近い放送時間の間、私は何度も立ち上がりテレビの前を離れ、もう見るのをやめようかと思ったほどだが、あの敬愛する堀口大學を知るためだからと、時々見せられるドラマの続きをがまんして見続けたのだ。
 ”隠し子”だという、そんな事実かどうかも分からないことを挿入ドラマとして見せるよりは、はっきりとドキュメンタリーとして映像をつなげて、あとはナレーターの声だけでも十分に見ることのできる内容だったのに、冗漫(じょうまん)な芸術気取りの映像を見せられることほど、哀しいものはないのだ。
 むしろあのマリー・ローランサンとの交遊も、事実の映像だけをつなげていくことで、見る方に様々な憶測の思いが生まれるようにしていくべきであって、映像芸術とはこれ見よがしに自分の思いを、観客に押しつけるものではなく、作品を相手に預け渡して、その映像の流れの中で考え感じさせるものであってほしいのだ。

(追加:さらにこの番組には、大きな欠陥がもう一つ。番組の最初と最後に流れる、男性歌手が甘く歌うアメリカ・スタンダード曲。聞いたことはあるが題名は思い出せない。昔のアメリカのラブ・ロマンス映画をまねたのかもしれないが、ここでの舞台はフランスであり、むしろ当時流行っていたシャンソンの名曲を流すべきだったのに・・・映像作品における音楽の重要性は、作品の価値を左右するほどのものなのに。)

 以上、私にしてはかなりの手厳しい意見を書いてきたが、それはもう8年も前のテレビ番組に対するものだし、もう時効になってもいいものとしての評価となのだが。
 それにしても、あの堀口大學についてのこうした詳しい伝記が、まさか映像として見られるとは思っていなかっただけに、ドラマ挿入部分は気にはなるものの、これもまたちゃんと録画して保存することにしたのだ。
 
 今回のここまで書いてきたことも、毎回、当日になってからの、行き当たりばったりのキーボードまかせの記事だから、ようやく気が乗ってきたのは夜になってからのことで、こうしてすっかり夜遅くなってしまった。
 もう年寄りなのだから、夜更かしするのは体にもよくないし、変な所にこだわって何とか今日中に終わらせようとするのは私の悪いクセで、それならばこのブログに書くことはやめてしまえばいいのだが、それでは何もせずにますます頭がヨイヨイの状態に近づくだけだし、それならば1か月に2回ぐらいの記事にすればいいのだろうが・・・。
 アー疲れた。書きたいことの半分も書いていないのに、年だわ。 

 


  


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