ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

雨の日のセミとレンゲツツジ

2013-06-17 17:08:53 | Weblog
 

 6月17日

 二日前に久しぶりに雨が降った。
 長い間雨がなく、少し日照り気味だった十勝地方の農作物には、まさしく恵みの雨だったに違いない。
 それは、小さな畑と庭があるだけのわが家でも、植えつけて育ち始めたばかりの、ジャガイモやキャベツやトマト、タマネギやイチゴたちにとってもそうだったろうし、庭の草花たちにとっても花を咲かせて茂っていくための大切な雨だったのだ。
 さらに、いつも井戸の水量が気になる私にとっても、同じようにありがたい雨だった。

 そうして、一日中降り続いた雨の後、次の日はすっかり晴れわたって青空が広がり、辺りを見回すと、明らかに周りの緑が濃くなっていて、そこかしこに草や木がいっぱいに茂りふくらんでいるような気がした。
 林に面した家の窓は、昼間でも薄暗く感じるようになってしまった。すべての木々の葉が、残された日の当たる空間を求めて、出来る限りの背伸びをしているからだ。
 それは、上から見るとよくわかる。前に、森林地帯の空撮の映像を見たことがあるが、それは下の地面や草花が全く見えなくなるほどに、木々たちは互いに枝葉を伸ばして、自分たちに日が当たるように領域を広げていたのだ。

 つまり、彼らはそれぞれに精いっぱいに自分の命を伸ばしているということなのだ。
 そこには、人間界で言われる競争として、相手を倒し優劣をつけるための闘いや、動物界でのいわゆる弱肉強食、食うか食われるかといった争いの意味合いはない。
 ただそこに根づいて、そこで一途に生きているというだけのことだ。木々の下では、いつしかあまり日が当たらなくてもよい植物が、これまた場所を得て繁茂していくだけの話だ。
 だから、草花や樹木を見る時に、私は植物の間の競争などという言葉は使いたくない。彼らは、そこに根づいて、その環境に合わせて、自分なりに力の限り生きているだけのことだ。

 あの残雪の尾根で、幹や枝を曲がりくねらせながらも、しっかりと立っていたダケカンバの木。
 秋に黄葉を落として長い冬を耐え、春に新しく芽吹いて、ただひたすらにまっすぐと伸び続けるカラマツ。
 春先にいち早く花を咲かせたフクジュソウやカタクリは、今や周りに茂る草たちの下で、他の誰かと競い合うこともなく、それでも緑の葉を保ち続けているのだ。
 つまり、きれいな花をつけている時に人間の目に留まるだけの話であり、彼らはいつも自分の立ち位置を理解して、自然の時の流れに応じて生き続けているのだ。
 ああ、それにひきかえ、何と人間たちの不満の多いことか。誰かと比較しては、嘆き悲しみ、ねたみうらやみ、悩み続けているのだ。

 そうしてまで悩むなんて、すべては無駄なことだ。心穏やかに生きるためには、その草花や木々の生き方を学べばいいだけのことだ。
 簡単なことだ。ただ自分を、そうした草花や木々が緑豊かに生きている自然の中に、おけばいいだけのこと。
 自然の中で、時の流れに応じて生きること。人間社会でしか役に立たない余分な宝や地位や功名が、そこでは一体何の役に立つというのだろうか。
 大切なことは、自然の中で生きる一匹の動物としての知恵であり、経験だけなのだ。そして、心ゆるやかにあきらめを知ること・・・。
 そうして、自らに説教するがごとくに言い聞かせるのだ。


「あたりまえな事だから

 あたりまえの事をするのだ。

 空を見るとせいせいするから

 崖へ出て空を見るのだ。

 太陽を見るとうれしくなるから

 たらいのようなまっかな日輪を林中に見るのだ。

 山へ行くと清潔になるから

 山や谷の木魂(こだま)と口をきくのだ。

 ・・・。」

(高村光太郎 「当然事」より 日本文学全集 集英社)


 一昨日に、未明のころから降り出した雨は強く降り続き、朝には水たまりを作るほどだったが、その後は小雨が降ったりやんだりという空模様になっていた。
 しかしそんな中でも、前回にも書いたあのエゾハルゼミ(写真上)たちが、時々鳴き続けていた。晴れた日のように、一斉に鳴いていたわけではないのだが。

 もともと、このセミは晴れた日には鳴くのだが、空が暗い時、朝夕の薄暮時や、曇りや雨の時にはあまり鳴かない。たとえば、晴れた日に、うるさいほどに鳴いていたセミたちが、急に”一転にわかにかき曇り”雨が降り出しそうになると、一匹残らずその鳴き声を止めてしまうのだ。
 今日は、そんな雨模様の一日だったのに、そんなセミたちの一部が、時々鳴いていた。最初は遠慮がちに、やがて何匹かがまとまって鳴き出し、しかし大多数は、押し黙ったままだ。
 あの鳴いていたセミたちは、やがて雨も止んで日が差してくることを予期していたのだろうか、それとも地中から這い上がって成虫になったばかりの、そのエネルギーあふれる第一日目の日だったからだろうか、それとも自分の限られた命の、最後の一日になると知っていたからだろうか・・・。

 私は、鳴くべきなのだろうか・・・。

 庭や林では、さらに花々たちが盛りを迎えていた。
 赤いヤマツツジは散り始めたが、レンゲツツジはその橙色(だいだいいろ)の花が満開になり、黄色の花の方も大分咲き始めている。その足元手前には、今や一大群落となりさらに増え続けているチゴユリの花が咲いていて、その隙間から一本のノボリフジ(ルピナス)の花頭が姿を見せていた。(写真下)
 さらには、庭の生け垣には、夏の花でもあるハマナスの深紅の花も咲き始めていた。

 思えば今の時期は、九州の家に帰っていることの方が多かった。それは、ひとり待っている母やミャオに会いに行くためであり、ちょうどそのころ盛りになる、あの九重連山をいろどるミヤマキリシマの花を見に行くためでもあった。
 しかし、人間とは全くわがままなものであり、毎年のごちそうも、長年続けばいささか食傷気味になる。
 もちろんまた山に登って、その花々を目の前に見れば、やはり素晴らしいものだと得心するに違いないが、もうその前の段階で、ぜひとも行きたいとは思わなくなってきたのだ。
 もう今まで何度も見てきたことだし、あの鮮やかなミヤマキリシマの思い出の貯金は、すでにたっぷりあるのだからと。
 そして何より、今あの家には私を待っていてくれる母も、ミャオさえもいないのだから。

 とはいっても、今の時期にこの家にいたおかげで、また改めて気づくことも多かったのだ。
 今が盛りの、目もくらむようなレンゲツツジの花々、チゴユリの一大群落、あたり一面に香りを漂わせるスズラン、そして満開のライラック(ムラサキハシドイ)の花・・・ただ何と言っても、驚いたのは前回の写真のあのクロユリである。まさしくそれは、あの『あまちゃん』のように、じぇじぇじぇーと言いたくなる一瞬だったのだ。
 いつもこの時期にいなかった私は、もしかして今までもずっと咲いていたこのクロユリを、見逃していたのではないか。そこで、クロユリについて、あらためてネット上で調べてみることにした。

 まずその花について、花が咲くまでに十年近くかかり、最初に開いた花は一輪だけで、オシベがなく、その次の年からメシベ、オシベとそろった花が二三輪ずつ咲くようになるということ。(その花の臭いは、ハエをおびき寄せるために悪臭がするのだということ。)
 実は、写真を撮ったその一輪の花のそばには、少し位置が悪くて写さなかった二輪咲きの株が二つあったのだ。ということは、やはり今年になって初めて咲いたわけではなく、その時期に私がいなくて知らなかっただけのことなのか。

 その色合いについては、確かに本州の高山地帯に咲く花は色が浅く、ミヤマクロユリと名づけられていて、それは私も見たあの白山に群生している事から、石川県の県花にさえなっているということであり、さらに花弁の内側が黄色く見えるものは、キバナクロユリと呼ばれているということ。
 そして本来の北海道に咲くクロユリは、別種のエゾクロユリと名づけられているのだ。

 そんなネットに掲載されている何枚ものミヤマクロユリの写真と比べて、この北海道に咲くエゾクロユリの、深い黒紫色のいさぎよい姿が、何と北の地にふさわしいものかと思えてきた 。

 さらに、そのクロユリの花言葉は、”秘められた恋”であり、なるほどそれで前回少しいぶかしく思っていたあの「黒百合の歌」の歌詞にも、あらためて納得がいくというものだ。
 まさしく、その花言葉は、こんな北海道の山の中でくすぶっていながらも、ひそかな想いを抱き続ける私にこそ、ふさわしいものかもしれない・・・てへっ、と照れていると、空の上のミャオからの一言。
 「あなたにふさわしいのは、そのくさい臭いの方でないの」・・・チョン、チョン。お粗末なオチの一席でした。

 もう一つ付け加えて言えば、クロユリにはもう一つの花言葉があって、”呪(のろ)い”とか”復讐(ふくしゅう)”とかいった、穏やかならぬ意味があり、今回ネットで調べた時にも、今公開中とかいう、その『黒百合団地』という映画の項目がずらりと並んでいたのだ。
 それは日本のホラー映画であり、元AKBのあっちゃんが主演だということだった。

 映画と言えば、最近のニュースの一つだが、あのアメリカとEUの自由貿易交渉の中で、フランスが自国の文化を守るべく、映像等の自由化は認められないと、ガンとして主張し続けているとのことだ。
 そこには、娯楽大作映画が主流のアメリカ映画の大きな波から、自国の芸術文化としての映画を守り抜くのだという強い姿勢があり、まさに伝統的芸術の国フランスの、国家としての意地を見る思いがするのだ。
 それは、まさに”判官(はんがん)びいき”というか、あるいは「やせがえる負けるな一茶ここにあり」という私の思いでもある。

 わが国には、そんな伝統ある民族芸術の一つとして、歌舞伎がある。
 5月に放送されたNHK教育『古典芸能への招待』では、あの「こけら落とし4月大歌舞伎」公演の模様を伝えていた。すべてが、ダイジェスト版の形だったけれども、すでに知っている有名な演目ばかりで、そのさわりの部分だけでも十分に楽しむことができた。
 坂田藤十郎の舞踊・「鶴寿千歳(かくじゅせんざい)」に始まり、三津五郎と中村屋一門の「お祭り」、吉衛門の「熊谷陣屋」、玉三郎の「将門(まさかど)」、菊五郎の「弁天娘」、仁左衛門の「盛綱陣屋」、幸四郎の「勧進帳(かんじんちょう)」という、息つく暇もない豪華さだった。(そこに、相次いで亡くなった勘三郎と団十郎の名前がないのは、やはりさびしいけれど・・・。)

 その中でも、「熊谷陣屋」での吉衛門は、主君に使える侍であるがゆえにわが子の首を差し出すことになり、その苦しみから無常さを悟り、頭を丸め出家しての旅立ちの時に、舞台の幕が引かれた花道で、三味線一本との掛け合いで、切ない心情が溢れ出るさまを演じていた・・・さらに「将門」で、亡き将門の娘である怨念(おんねん)に満ちた玉三郎演じる滝夜叉(たきやしゃ)姫が、これまた花道で、ろうそく二本に照らし出されてせり上がり現れる時の、この世のものとは思えぬ幽遠な美しさ・・・。

 歌舞伎は、江戸の昔から、今のような照明もない時代から、ローソクの光に照らし出されての、舞台の配置や色合いを考えて、役者はそれぞれに自分の演技に思いを凝らして芝居を作り上げ、明治維新の一大変革や、太平洋戦争の破壊殺戮(さつりく)の荒波を潜り抜けて、その民俗芸能の伝統を守り伝えてきたのだ。
 それも国家としての大きな支援もなく、ただ市井の人々の人気支援だけを頼りに、民間興行としてその伝統芸能の命脈を保ち続けてきたのだ。
 それをいつでも見ることができて、心ゆくまで楽しみ味わえる日本人としての幸せ・・・。

 さらにまたもう一つ、日本の誇るべき古典文化遺産がある。それは、千三百年近く前に編まれたあの『万葉集』や、千年も前に書かれた紫式部の『源氏物語』に代表される、古典文学の数々である。
 『万葉集』については何度か目を通していて、このブログでもたびたび触れてきたが、一方の『源氏物語』については、いまだ全巻通読の途上にあるのだが、それでもさまざまな人間関係の中で、今も昔も変わらぬ人の思い、その揺れる心と残る思いのはかなさは痛いほどに感じとることができる。

 今月初めに、BS-TBSで放送された特別番組、『瀬戸内寂聴とドナルド・キーンの私の源氏物語』(司会は、何とあの中江有里さんだった)、その中でお互いに90歳を越えたお二人の、源氏物語に寄せる思いのほどもさることながら、それぞれのよどむことのない弁舌にも感じ入ってしまった。あの、エベレストの三浦雄一郎さんの80歳という年齢がかすんでしまうほどだ。
 生きていくということは・・・。

 昨日は久しぶりに、家のゴエモン風呂をわかして入った。いい気分だった。
 その掘っ立て小屋のただ開けただけの窓から、今が盛りの、レンゲツツジの橙色と黄色の花々が、大きく盛り上がるように見えていた。
 その後ろには、長年の雨風、塵埃(じんあい)に耐えて、今や黒ずんだばかりになってしまった私の山小屋が見える。
 夕暮れの曇り空の下、セミの鳴き声もすっかり収まってしまい、林の中ではただひとり、ほがらかなキビタキのさえずりだけが聞こえていた。

 「あたりまえの事だから、あたり前のことをするのだ・・・。


 
 

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