ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

梅雨と「植物は知っている」

2013-06-24 20:14:49 | Weblog
  

 6月24日

 雨が降っていた。そして、今、雨が降っている。さらに、これからも雨が降り続くだろう。
 雨は、降る、降る・・・。

 数日前に九州の家に戻ってきた。以来、雨の降らなかった日は1日もない。重たい曇り空か雨模様の空の毎日で、北海道から続いてずいぶん長い間、青空の色を見ていない気がする。
 この二三日の気温は朝の15度からあまり上がらない。暖房とまではいかないが、あまりに肌寒いので、フリース・ジャージの上下を着ているほどだ。

 まったく、今年はカラ梅雨気味だといわれていたのに、私の移動に合わせるかのように、梅雨らしい雨の季節になってしまったのだ。
 庭の、茂り放題の植え込みや草花の手入れすらできない。毎日が雨の日だ。

 つゆとは、梅雨という漢字をあてるが、”梅の熟すころに降る雨”の意味の通りに、庭の梅の木には、熟れはじめてきた実が幾つか見えている。(写真)
 今回帰ってきた理由の一つは、この梅の実を収穫して、それでジャムを作るためでもある。
 去年から今年にかけて、ほとんど風邪もひかずに過ごせたのは、その梅ジャムのおかげだと実感しているからであり、それほどまでしても作る価値があると思っているからだ。

 もっとも、梅雨のもう一つの意味でもある、黴(かび)が生える時期の雨、つまり黴雨(ばいう)から、巧みな当て字の梅雨へと変わったという説の通りに、長らく留守にしていた家の内外の手入れをするためでもあるのだ。

 ここで話は飛ぶが、つゆがなぜ梅雨と呼ばれるのか、ネットで調べてみると、雨露(つゆ)の多く見られるようになる季節だからというものと、その梅の実が、熟して潰(つぶ)れる、つまり潰(つい)える、潰(つ)ゆすることからきているという説などが記してあった。

 その大きな豊後梅(ぶんごうめ)の実は、去年は、大きなザルに数回分も採れて、半分は捨ててしまうほどだったのに、しかし今年は、その私の期待に反して、ザル一杯分でも採れればいいほうだろう。
 それは、確かに今までも経験してきたように、実がなる木には、豊作の年と裏作の年があるということなのだろう。

 それでも、こうして梅の実がついているわけだから、もう少し熟すのを待って、虫がつき始める前に収穫して一気にジャムを作ることにしよう。
 そして雨の日が続く中、外での仕事もできず、おとなしく家にいて、本を読んだり、録画しておいたままになっていた番組のいくつかを見たりした。

 この九州に戻る旅の途中で、大きな本屋さんに立ち寄ることができて、それまで新聞の書評欄で見て、気になっていた本を二冊買うことができた。その一冊が、『植物はそこまで知っている』(ダニエル・チャモビッツ著、矢野真千子訳 河出書房新社)である。

 私たちは、日ごろから自分たちの身の周りにいる木々や草花たちに対して、ある時には、私たち人間の仲間であるかのように、擬人化(ぎじんか)して考えがちである。彼らが、動物である人間とは違う仕組み構造であるとわかっていても、その成長や衰退の途中で世話をしては、思わず言葉をかけてしまうほどだ。
 「ああ、よく咲いてくれたね」とか、「今、水をやるからね」とか、「ああこんなに弱って、今から虫を退治してあげるからね、周りの草を取ってやるからね」とか言いながら。
 そして、こうした人間からの働きかけに応えてくれる木々や草花たちが、感覚や意志をつかさどる脳を持っている人間とは違うのだとわかってはいても、とても彼らが、全くの意志や感覚を持たない植物にすぎないものだとは思えないのだ。

 そんな、私の疑問に答えてくれたのが、この一冊である。
 その内容は、近年の新しい生物学実験などであきらかにされた実証例や論文などをまとめて、一般の私たちにわかりやすく説明したものともいえるだろう。
 それにしても、DNA記号名や細胞受容体名などの、初めて知るような単語も数多く出てくるのだが、読み続ける中でその言葉の一つ一つを全部覚えていなくても、彼がそれらの実証例から導き出そうとしている、植物たちの意外な能力の事実は、十分に理解することができるのだ。
 それは、以下の各章ごとにつけられたタイトルにあるように、植物たちの驚くべき能力を示しているのだ。

「1.植物は見ている」
「2.植物は匂いを嗅いでいる」
「3.植物は接触を感じている」
「4.植物は聞いている」
「5.植物は位置を感じている」
「6.植物は憶えている」

 それらは要約すると、以下に語られている通りだ。

「植物は光や色の微妙な違いを知っており、赤色と青色、遠赤色、紫外線を見分け、それぞれに反応する。
 植物は周囲に漂う香りを知っており、空中にある微量の揮発性物質に反応する。
 植物は何かに接触した時それを知り、感触の違いを区別できる。
 重力の方向も知っていて、芽を上に、根を下に伸ばすように姿勢を変えることができる。
 過去のことも知っている。以前に感染した病気や耐え忍んだ気候を憶えていて、それをもとに現在の生理作用を修正する。」

 自ら移動することができない植物たちが、長い進化の過程の中でかようにして獲得してきた能力は、しかし人間と同じようなものではない。
 つまり、ここではっきりと認識しておかなければならないことは、「同じ言葉ではあっても、植物とヒトでは質的に違う」ということであり、「植物には脳がないことをいつも思い出して、植物を安易に擬人化して表現することを戒めなければならない」ということだ。

 しかし、最後に彼は、まさに人間らしい言葉で締めくくっているのだ。

 「植物とヒトは共に、外的現実を感じ、知る能力を持っている。だが、それぞれの進化の道筋は、人にしかない能力を与えてきた。植物にはない能力、それは知恵を超えた『思いやる』という心だ。」

 私は、改めてあの残雪の芽室岳での、ダケカンバの立ち姿や、家の周りの木々や、草花たちのことを思い、さらに、そんな木々や草花の茂る家の庭を歩いていた母の姿や、ミャオの姿を思い浮かべたのだ。

 一昨日、ここでも何度か取り上げたことのある、あのNHK・BSの『岩合光昭の世界のネコ歩き』のスペシャル番組があり、今まで放映された世界の猫たちとの場面の映像が流れ、さらにゲストの四人の猫好きミュージシャンそれぞれとの、猫についての話が面白かった。

(余分なことだが、そのロケシーンの中で、彼がかぶっていた野球帽は、あのクリバーンのネコのエンブレムが付けられていた。私も欲しーい。)
 さてそのミュージシャン四人との話の中で、彼が繰り返し言っていたのは、「猫の低い目線になって見て、猫の気持ちになって考える」ということ。

 つまりそれはまた、植物の話に戻るけれども、「低い草花の視線になって、あるいは高い木の視線になって考える」ことなのかもしれない。

 最後にもう一つ、今までの話とは全く関係はないのだが、三日前にNHK・Eテレの『にっぽんの芸能』で文楽(人形浄瑠璃、にんぎょうじょうるり)の「新版歌祭文(しんぱんうたざいもん)、野崎村の段」をやっていた。
 五月の国立文楽劇場公演のもので、吉田蓑助(みのすけ)、竹本住太夫(すみだゆう)という名人二人の組み合わせで、話はあの有名な”お染久松もの”である。
 レギュラー番組1時間の枠の中で、解説などの長い話他が含まれているから、実演映像はわずか30分足らず・・・ああ、お願いだから全幕放送してくださいと言いたくなる。
 前回にもあげた、『こけら落とし4月大歌舞伎』の出し物もすべてがダイジェスト版だった。何とか一つの演目だけでもいいから、通して放映してくれないものだろうか。

 しかしそこはそれ、そんな短い時間だったけれども、さすがに名人たちの見事な掛け合いであり、お染と久松に、育ての親の久作といいなずけのおみつ、四者それぞれの思いと立場が演じられていて、素晴らしかった。 
 できることなら、まだ行ったこともないあの大阪の文楽劇場で見たかったと思うばかりで・・・。

 前回触れた、誇るべき日本の古典芸能の中には、もちろんあの歌舞伎だけでなく、この文楽や能楽なども含まれるけれども、興味深いのはこの三者ともに、相近しい関係にあったということだ。それらについて、文献ネットなどで調べた限りでのことだが、以下、大まかなあらましとして言えば。

 平安時代末期のその昔から、あの『平家物語』の栄枯盛衰の物語が、琵琶法師(びわほうし)によって哀調切々と語り伝えられていた。(それは”平曲”と呼ばれて、今日でもかろうじて残っている。)
 その後、鎌倉室町の時代になると、『浄瑠璃姫物語』などの”御伽草子(おとぎぞうし)”による物語が、新たに作られた三味線によって弾き語りされるようになり、その題材の名前から取られて”浄瑠璃”と呼ばれるようになる。
 それは、さらに昔からあった人形芝居と結びついて、”人形浄瑠璃”となり、今日ではその公演劇場の名を取って”文楽”と言われるようになっている。

 一方土俗的なものも含めて古くから存在した”猿楽(さるがく)”は、あの観阿弥(かんあみ)、世阿弥(ぜあみ)などの力によって芸術的な領域へと高められ、明治の時期になって、”能”と呼ばれるようになり、また”狂言”などと合わせて”能楽”とされるようになった。
 さらにもう一つの、本来これまた土俗的な踊りであったものが、出雲阿国(いずものおくに)によって始められた”傾奇者(かぶきもの)の踊り”として、一大変身を遂げて、またたく間に庶民の間で大人気になり、能の舞台へと上がるようになり、さらには人形浄瑠璃の話とも結びついて、江戸時代初期には”歌舞伎”として成立していたといわれている。

 つまり、歌舞伎や文楽、能楽などの日本の古典芸能は、本来あった土俗的な語り、謡(うた)い、踊り、見世物が、昔からの日本人の思いを伝えてきた古典文学の数々や、あらたに時代に即して書かれたれた様々な物語などの力によって、さらに磨き上げられて芸術として昇華して行ったということなのだろう。

 年を取るごとにいや増してくる、私の日本の古典への思いは、考えてみれば、先祖がえりへの思いであり、さらに言えば”輪廻転生(りんねてんしょう)”へのひそかな願いなのかもしれない・・・。
 それは、昔の時代の人の姿なのか、あるいは犬畜生の、ミャオの世界なのか、あるいは高い山で、風雪の中、生き続けているダケカンバの姿なのか・・・。
 

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