ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

ワタシはネコである(216)

2012-02-26 20:53:22 | Weblog


2月26日

 春が、もうそこまで近づいてきている。しかし季節は急には変わらない。冬は名残惜しげに少しづつ離れて行き、春は思わせぶりに見え隠れしながら近づいてくる。ワタシは、そんな季節の変わり目のころが好きだ。
 二三日前、まるで春を思わせる暖かい日が二日続いた。飼い主と一緒に散歩に出かけて、飼い主が先に戻った後、ワタシはしばらくその春の日差しの中で、まどろんでいたのだ。
 今までの思い出を引きずりながらも、来るべき時への思いが溢れてくる。神様は、なんて素敵なめぐりめぐる季節をおつくりになったことだろう。

 今朝、飼い主が見ていたテレビを、ワタシもそばで見ていたのだが、そこには北国の雪深い山里の風景が映し出されていた。
 木々の間に何か動くものがいる。サルの群れだ。体中の毛をいっぱいにふくらませて、枝の上で体を寄せ合っていた。動いているサルたちは、枝先の冬芽や木の皮を食べていた。
 少し離れた雪の斜面では、ニホンカモシカが、深い雪の中をやっとの思いで歩いていた。これもまた、神様が強く生きよとお与え下さった試練なのであり、やがて来る恵みの春への、小さな前触れなのだ。
 ああかくして、生き物たちは生きていくのだ。厳しさと、喜び溢れる恵みの永遠のつながりの中で・・・。

 ワタシもいつしか、飼い主の口調に似てきてしまった。こうして年寄り同士、毎日一緒に暮らしていれば、それも仕方のないことだろう。
 昨日からまた寒くなり、今はまた暖かいストーヴの前で寝ている。あのサルやシカたちのことを思えば、ワタシは何と幸せなことだろう。一年のうち何回かくる、あの飼い主のいない半ノラの日々・・・そんなことなど、今から思い悩んでも仕方のないこと。
 今は、こうしてぐうたらに寝ていて、その楽しみの中にいることだけで十分だ・・・。

 
 「今朝は、アラレが降っていた。その前には、気温が15度近くまで上がった春のような日があって、さらに一週間前には雪が降っていた。とはいうものの、確かにもう冬は終わりつつある。
 一週間前、今まで繰り返していた、雪が降った後の土日が晴れるという周期が、少しだけずれてくれた。月曜の朝、外は快晴だった。山に行くべき日だった。
 ただし、それまで私は、北西の強い風でできたシュカブラなどの雪の造形を見るために行くのだ、と自らに言い聞かせていたのだが、残念ながら、今回の降雪もまたそんな期待の持てる降り方ではなかったのだ。今年は去年と同じように、とうとう私の望む景観に出会えるチャンスを逃してしまったことになる。
 まあ今までに何度も、見事な九重の雪山を見てきているから(’10.1,18、’09.1.17の項参照)、それほどの残念な思いにはならないのだが、というのもその日の雪山登山が、一日快晴の空の下の山歩きだったからでもある。

 いつも繰り返してここに書いてきたことだが、私の山旅の選択は、どんな素晴らしい雪の景観が見られたとしても、また高山植物の花たちが咲き乱れる時だとしても、さらにまたどんな美しい紅葉の盛りだとしても、青空の見えない天気の悪い日には行きたくはない。
 私は、あまり深く物事を考えることのできない単純な性格のためか、それはただぐうたらな脳天気な性情ゆえでもあるのだろうが、晴れてくれさえいればそれでいいのだ。もちろんそのうえに、雪山景観がベストの時に、あるいは花や紅葉が真っ盛りのころであれば言うことはないのだが、ともかく私の山登りは、第一に青空優先なのだ。

 それだから、何十年と山の写真を撮っていても、私のカメラ技術に進歩はないのだ。雲の間に見え隠れする動きのあるような山岳写真が、芸術的で素晴らしいのは分かっている。しかし、私が自分のために喜んで見たいのは、それが私のその美しい山への思い出になるような、頂上までがすっきりと見えている、鮮やかな山の写真である。
 それは言いかえれば、ある有名な山岳写真家が悪い作例だとして言う“お絵描き写真”あるいは“絵はがき写真”こそが、私の最高の目標なのだ。つまりそれは、あくまでも自分のためだけの写真なのだから。

 話は変わるけれども、今月の初めにニコンが、ハイ・アマチュア向けの新しいフルサイズ一眼レフ・カメラを発表した。ネットのカメラ・クチコミ欄の、マニアたちの興奮ぶりは見ものだったし、また学ぶところもあった。
 その分野の機種では、キャノンの方が一歩先んじていたから、その性能をはるかに上回るニコン機の登場に、みんなが驚いたのだ。風景写真には最適だとされるその高画素機を、私も店頭でまずは手にしてみたいし、手に入れたい気もするが、だとしても手ごろな値段になるためには、一二年は待たなければならないだろう。
 日ごろから、自然環境だ節約生活だと言っておいて、たかが自分の趣味だけのものなのに、目新しい技術を満載したものが出てくると、思わず目がいってしまうのだ。あの去年の12月25日の項で書いたスタッドレス・タイヤの時といい、とても達観した生活なんぞにはほど遠い、私の哀しい性(さが)なのだろうか。
 しかし、カメラよりは、まず今のうちに山に登ることの方が、大切なことは言うまでもない。

 さて、家を出て九重に向かう山道をクルマで走って行く。前回通った時の、全線圧雪アイスバーン状態(1月29日の項)から比べると、全く拍子抜けするほどで、所々わずかに薄い雪が残っているだけだった。しかし、牧ノ戸峠(1330m)の駐車場はもう車でいっぱいになりつつあった。
 9時前に出発する。展望台までの遊歩道の道は、踏み固められていたが、周りの木々には雪が降り積もっているだけで霧氷はできていなかった。しかし、何よりも天気が素晴らしい。雲一つない快晴の空だ。風も弱く、気温もー5度くらいだった。
 沓掛山(1503m)に上がると展望が開けて、まず阿蘇山(1592m)が見えてくる。さらに扇ヶ鼻(1698m)から久住山(1787m)、星生山(1762m)、三俣山(1745m)へと広がる雪の山々の眺めが素晴らしい。特に三俣山の左、下の長者原の雪の草原の上遠くには、由布岳(1583m)までもがくっきりと見えている(写真)。天気が良くて、遠くまで眺望がきくこと、私にとってのまさに願ったりの山登りの日だった。

 上の方から、もう日の出の頃の山の写真を撮り終えた人たちが、何人か下りてくる。私の前後には、二三人が見えるだけだ。
 ゆるやかな尾根道を歩き、扇ヶ鼻分岐辺りに来ると、ようやく灌木群がきれいな樹氷におおわれていた。樹氷と霧氷の区別は、シュカブラやエビのしっぽなどと同じように、枝や樹に雪が吹きつけてできたものと、空気中の水分が冷やされ吹きつけられてできたものの差、つまり雪氷体と氷体の差だと、私は理解しているが。1月29日の写真参照。)

 さて分岐からは、いつものコースである星生山南尾根に取りつく。雪は10~20cm位。もう誰もこの道の方へとは来ないから、静かになってほっと一息をつく。しかし驚いたことに、目の前の道には、何人かが通ったトレース(足跡道)がついている。昨日が日曜日だったからだろうか、それに今日のものらしいアイゼンを付けて下ってきた靴跡もある。
 いつもなら誰も通っていなくて、少しラッセル気味に自分で足跡をつけながら、風が吹きすさぶ中を登って行き、それがなんともいえずに冬山らしくていい気分になる所なのだが、今回は、すでに道がちゃんとつけられていて、風もあまりなく、私は楽に星生山の頂に立った。
 頂上は予想通りに、シュカブラやエビのしっぽもない残念な景観だったが、しかしその展望は、空気が澄んでいて遠くまで見えて素晴らしかった。まずは北側の硫黄山の噴煙の後ろに大きな三俣山が見え、離れてミヤマキリシマの花で有名な平治岳(1643m)と大船山(1787m)があり、天狗ヶ城(1780m)、中岳(1791m)、稲星山(1774m)と並び、そしてひときわ大きく久住山がそびえ立ち(写真)、その右手には、祖母(1756m)・傾連山からさらに遠く国見山(1739m)や尾鈴の山までもが見えていた。



 九重の山の中で、最も姿形が良いのは三俣山か久住山だろうが、最も頂上からの眺めがいいのは、この星生山か天狗ヶ城だろう。
 この1500m以上の山々を十数座も集める九重の山々は、本当に良い山だと思う。標高は低いが火山系の山群だから、森林限界が低く高山帯の趣があるし、春の高原歩きから初夏のミヤマキリシマ、秋の紅葉、そして手軽に楽しめる冬の雪山。私が年寄りになっても、この九重の山々に登ることはできるだろう。まさしく九重は、“近くて良き山”なのだ。九州で、もしこの九重山がなかったら、私はここに住んではいなかっただろう。

 そして、その天狗へと向かうべく、私は星生山を後にして、雪の岩稜尾根を通って久住分かれへと下り、ゆるやかに御池への道をたどる。そこは、氷結した池を目にした人たちの声で賑わっていたが、私はそのまま天狗への斜面を登って行った。風が強く吹きつけてきたが、やはり周りにはエビのしっぽもあまり出来てはいなかった。
 天狗ヶ城頂上での眺めも、風のためにすぐに切り上げて、中岳へは向かわずに、ぐるりと回って御池に降り立った。完全に氷結していて、中央部には御神渡りとは呼べないまでも亀裂が走っていた。
 後はひたすら、来た道を戻って行った。晴れてはいたが気温がそれほど上がらなかったためか、道は溶けた所でもシャーベット状のままで、春にかけて多い雪解けのぬかるみにはなっていなかった。

 さて、わずか6時間足らずの、雪山トレッキングだったが、何より天気が素晴らしく十分に山歩きを楽しむことができた。
 そうなのだ。考えてみれば、今自分には、小さな冒険としての山に登ることの楽しみがあり、それが私の生きていることの喜びの一つにもなっているのだ。もうそれは何十年もの間続く、放浪者としての私の趣好にかなう行動でもあるのだが。

数日前の朝日新聞に、今年78歳になるヨット・マン、斎藤実氏が植村直己冒険賞を受賞したという記事が載っていた。
 去年9月に8度目の単独世界一周の旅を終えて横浜に帰り着いた斎藤氏は、東京生まれで、生まれつき心臓が弱く、それにまけないように体を鍛えようと、小学生の時から始めた毎朝の筋トレを今も続けているという。高校を卒業して家業のガソリン・スタンドの仕事を継いで大きく発展させて、50歳で引退し、それからはヨット一筋の人生を送り、いまだに独身。問われて、“冒険とは命を賭して危険を冒すこと”と答えたとのこと。
 前にも書いたことのある、毎日富士山に登り続ける人(’11.9.10の項)や、単独行者の先駆者でもある加藤文太郎に植村直己たち(’11.12.4,11の項)の足跡の偉大さと、そこに等しく貫いている、日常から己を厳しく律する単独者たちの姿勢。

 単独行者としては、とてもその末席にさえも並び得ない私だけれども、そこへ向かう気持ちや繰り返す行動には、何か同じものを見る思いがするのだ。神さま、わたしに星をとりにやらせて下さいと(2月12日の項参照)・・・。
 
 それはまた、最近読み終えた鴨長明の『発心(ほっしん)集』への思いにも似ている。長明が志した、仏道へと発心してからのひとりだけでの道のりは、不安に満ちていたのに違いない。そこで、今までに自分が伝え聞いていた、発心し修行してきた人たちの話を書くことで、自分への励まし、心のよりどころにしたかったのではないのだろうかと・・・。
 人間は誰しも、ひとりでは不安なのだが、それでもある時に、ひとりでやる思いに駆り立てられ、あるいはひとりでやるしかなくなって行動に移す。その成否はともかく、次なる企て、さらに次なる企てと続いていく時に、ふとよぎるさらなる不安に、なにかしらの心のよりどころを求めたくなるのだ。自分と同じようにひとりで、同じ道を歩いた人たちのことを知りたいと思うようになるのだ。
 
 しかし、単独行者たちは、普通に社会生活を送る人々からは遠く離れた異端者たちであるに違いない。ただいつの時代にも、複雑怪奇な世の中では、果たして誰が正しく、誰が間違っているとか、誰が異常であり、誰がまともであるかなどと、すべての人を正確には指摘できないのではないのだろうか、神の眼以外には。つまり、答えはないということだ。ただだからこそ、誰でも自分の信じる領分の中で生きていくほかはないのだ。
  
 『私とともに、いくたびか艱難(かんなん)を越えてきた勇士らよ。今は酒に憂いを払え。明日はまた大海原を漕いでゆくのだ。』

(ホラティウス、モンテーニュ『エセー』より、原二郎訳 筑摩書房世界文学全集)

 登山関連でもう一つ。先日、NHK・BSの『グレート・サミッツ』シリーズで、台湾の玉山(ぎょくざん、旧日本統治時代は新高山、にいたかやま、3997m)が紹介されていた。今まで写真で見たことはあったのだが、初めて映像で見るその姿に見惚れてしまった。特に北峰から見た、新雪をつけた北壁バットレスを擁した王者の姿は、あの南アルプスの北岳や塩見岳の姿を思い起こさせ、それ以上の迫力だった。
 さらに驚いたのは、その玉山に刻まれた長大深遠な渓谷である。沙里仙渓(しゃりせんけい)と名付けられた深くえぐられた谷の素晴らしさ。似たような景観では、九州の由布川渓谷があるけれども、とても比較にはならない。
 その狭い切り立った谷を、それは谷の全行程の何分の一にしかならない距離なのだが、途中でテントに泊まりながら遡行(そこう)して行くのだ。そこでは、最大難度の沢登り技術が要求され、その先頭切ってのガイド役を、地元台湾山岳会の有志たちが勤め果たしていた。
 
 私など、日高山脈や九州祖母山系のやさしい沢を、十数度ほど単独で登り下りしただけだから、大きなことは言えないが、それでも沢登りの危険さと、その楽しさについては良く分かる。この番組もそんな思いで、じっと見入ってしまった。
 ただ残念だったのは、この台湾最高峰の玉山だけでなく、3000mを越える山が200以上もあると言われる台湾の他の山々の姿を、せめてあの玉山頂上からじっくりと映し出すか、あるいは他の”グレート・サミッツ”での放送の時のように、ヘリコプターからの撮影で見せてほしかった。

 それにしても、私も、残りの人生の中で登るべき山々について、しっかりと考え定めていかなければならない。あれもこれもと範囲を広げて欲ばるのではなく、今の私の思いにかなう山々たちを目指して・・・それが、私が生きていくことでもあるのだから。」
  
 

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