2月19日
外はまた雪が降っている。そして寒い。ワタシはただ、ストーヴの前で寝ているだけだ。トイレの時に仕方なく外に出て、おなかがすいたらエサ皿のキャット・フードを食べ、また寝る。退屈してくると、ニャーと鳴いてひと時の間、飼い主に遊び相手になってもらう。そしてまた寝る。
人間から見れば、そんなワタシの寝てばかりいる姿を見て、無駄な人生、いや猫生の過ごし方だというかもしれない。
確かに人間は、彼らが地上に現れて以来、その原始的な狩猟や採集生活の中で、自らを弱い動物の一つだと自覚していたから、危険な夜には出歩かないようにしていたのだろう。そして、夜の間は隠れひそみ寝ていたので、その時からの本能的な習慣になったのだろう。
もっとも今では、彼らが自然の摂理に逆らって作り上げた現代文明の中では、昼と夜が逆転した生活を送っている人たちもいるというが、ただほとんどの人間たちが寝ているのは、相変わらずに夜の間だけなのだ。たまに見られる昼間の小さな居眠りをのぞいて。
しかし、そんな人間たちと違って、ワタシが昼間から寝ているのは、決して無駄なことではない。一つには、余分なエネルギーの消費を抑えて、いざという時に備え、またはその分長く生き延びるためでもあるのだが、それ以上に大切なことは、ワタシは好きで寝ているということだ。
物の本には、猫が寝ているのは、やることがないからだと書いてあるというけれども、それは人間側から見ただけの単純な考え方だ。言いたかないけれど、どうしてこうも人間が書いた動物の本には、ひとりよがりのものが多いのだろう。
『ギヨエテとはおれのことかとゲーテ言い』(明治当時の翻訳の混乱を風刺した川柳)なんていうことがあるくらいだから。
人間たちは、その長い歴史の中で、自分たちの頭脳を発達させて一大文明を築き上げてきた。それだから、どこかでいろいろと憂さを晴らすこともできて、何も退屈することなどないのだろう。コンピューター機器で遊び、テレビを見てはバカ笑いして、うまいものを食べてはトドのように寝ている、誰かさんのように。
しかし、ワタシたちは、そんな広範囲な感覚の世界に対応するだけの頭脳を持ってはいない。つまり、大まかに言えば、食う寝るだけの世界であり、あえてそこに安住しているのだ。単純に、食べられるものを食べ、眠りたい時に寝る。それこそが最大の快楽でもあるからだ。
寝ることは楽しい。危険のないところで、安心して夢の世界の中で遊ぶことができるからだ。そこでは、他の小さな生き物たちを追いかけ、飼い主と一緒に散歩に行き、そしてふざけあいをして遊び、たまにしかもらえないマグロの刺身を食べ、そして暖かい陽が降り注ぐベランダで寝るのだ・・・夢の中で。
人間から見ればそれだけのことかと思うだろうが、選択肢の少ない数限りある楽しみだからこそ、その一つ一つの喜びがありがたく思えるのだ。人間のように、あらゆるものに興味を持ち、あらゆるところに楽しみを持つ、そんな貪欲(どんよく)なまでの欲望の塊のような生き物とは違って、ワタシたちは節度ある生活の中で、その小さな楽しみだけがあれば十分なのだ。
昨日、飼い主が珍しく夜遅くまでテレビを見ていた。”究極の選択”とかいうタイトルだったが、それは余りにも楽しみを広げ過ぎた人間たちのジレンマ、欲望の果ての悩みの報いのようにも思えた。
ワタシたちの究極の選択は、単純なものだ。逃げるか闘うか。食べるか食べないか、寝るか寝ないかだけだ。
さて、そんな眠りの楽しみの中で、ワタシは青い夢の大海原へと漕ぎ出していくのだ。遠くで、飼い主がワタシを呼んでいるような・・・。
「今日は、朝の気温は―8度で日中もマイナスのままの真冬日だった。雪が降ったり晴れ間がのぞいたりという天気で、思ったほどには雪は積もらず、道の雪はあらかた溶けてしまった。
あの北陸・東北・北海道などでの記録的な大雪と比べると、ここでは雪の少ない冬だった。それでも久しぶりに―15度までも下がった日もあったくらいで、寒い日が多かったから、ミャオに寒い思いをさせられないこともあって、ストーヴの灯油使用量は去年より多くなってしまった。
できればここでも、家じゅうが暖かくなる薪(まき)ストーヴにしたいのだが、北海道のように自分の林があるわけではないから、必要なだけ自分で切り出すというわけにもいかない。つまり、小さく切り分けられて薪として売られているものを買いに行って、運んで、せまい家の敷地内に運び入れなければならない。
つまり、今、限りある化石燃料を使い続けていることへの幾らかの後ろめたさと、かといってここで薪を買ってまで薪ストーヴにするにはと思って、何とも結論を出しにくいのが現状なのだ。
ふと外を見ると、ベランダの手すりに置いてある簡単なエサ台に、いつものヒヨドリが来ている。(写真)
エサ台には、決まったものを毎日出しているわけではない。私の食べ残しのリンゴの芯周りや、傷んだミカンなどを、生ゴミとして捨てるよりはと、前回に書いたたとえ”シーザーのものはシーザーに”ではないけれど、自然のものは自然へ返そうと置いてやっているだけなのだが・・・。
今は、まだ大好きな花の蜜の季節の前で、一番エサの少ない時期だからなのだろうか、そのヒヨドリは、私が2mも離れていない家の窓から見ていても、逃げることなくリンゴをついばんでいた。雪が降る中、羽をいっぱいにふくらませながら、長い間そこにいた。
足元の、ストーヴの前ではミャオが寝ていた。私は部屋の中に立って、ヒヨドリとミャオを見ていた。生きているということ・・・。
二週間ほど前に放送され、録画しておいた映画を見た。NHK・BS『いつか晴れた日に』(1995年、アメリカ=イギリス)。私は、2時間20分ほどの間、その映画を見続けた。
いつも映画を見終わった後には、私の頭の中には様々な思いが溢れてくる。まずおおまかに、いい映画だったなとか、もうひとつだったなあとか感じた後に、その映画の細かい場面がよみがえり、時には深く共感し、時には疑問を感じたりもする。
なるべく先入観を持たないで映画は見たいから(絵画展の絵などもそうだが)、いつも私は、見終わった後になっていろいろと調べたくなり、そこでそれぞれの場面に納得するのだ。
私は、この映画を、他の映画によくあるようなふと感じる些細な疑問に惑わされることなく、話の巧みさのままに、まるで面白い小説を読むように、一気に見てしまった。
それは、途中からすぐに気づいたことなのだが、2年ほど前に見たあの『プライドと偏見』(’05制作、’09.8.18の項参照)と似たような舞台と筋書きに、私は少し前に会った人に再び出会ったような、何か心地よい懐かしさを感じていたのだ。
原作者は、『プライドと偏見』(小説名は『高慢と偏見』あるいは『自負と偏見』)を書いたあのジェーン・オースティン(1775~1817)であり、この『いつか晴れた日に』が、実は小説の『分別と多感』であることに気づいたからでもある。
(話はそれるけれども、たとえば上にあげたゲーテの例のように、日本語では、いつも原語からの翻訳の言葉が問題になる、特に映画での場合に。
『プライドと偏見』は、その小説名の『高慢と偏見』はともかく、原語では”Pride and Prejudice"であり、そしてこの『いつか晴れた日に』という映画の題名は論外だとしても、小説名の『分別と多感』の原題は”Sense and Sensibility"であり、頭文字は前者がPとP、そしてこの場合はSとSといった具合に、作者が言葉の並びを意識して名づけたのは明らかだ。
外国語からの日本語翻訳は難しい問題ではあるのだが、この『いつか晴れた日に』には、それが主人公の姉妹の性格を表わす意味があっただけに、題名への配慮が欲しかった。ただ、日本の配給会社は、興行的なキャッチ・コピーとしての題名にこだわっただけなのだろうが。)
この映画のストーリーは、それほど入り組んでいるわけではない。19世紀のイギリスで、貴族の夫に先立たれて、後妻であった妻と三人姉妹の子供たちは屋敷を出ていくことになり、離れた土地の古いコテージに移り住み、中流階級の暮らしを送ることになる(写真)。そんな家族の生活と、上の二人の姉妹の紆余曲折(うよきょくせつ)を経ての恋愛模様を、時間を追って描いているだけであるが、その話の巧みさは、原作に負うところが大きく、前に見た『プライドと偏見』の面白さに通じるものがある。
このジェーン・オースティンについては、後にあの同じイギリスの文豪、サマーセット・モームが、『大した事件が起こらないのに、ページをめくらずにはいられない。』と語り、イギリスに留学したこともある夏目漱石は、『写実の泰斗(たいと)なり。平凡にして活躍せる文字を草して、技神に入る』とほめたたえたが、一方では、あのマーク・トウェイン(1835~1910、『トム・ソーヤの冒険』)やローレンス(1885~1930、『チャタレー夫人の恋人』)などは、この小説に否定的だったとも言われている。(Wikipediaより)
このように評価が分かれるということは、もちろん原作に忠実なこの映画の評価も分かれるということだ。
映画の主人公である三姉妹の”分別”ある長女を演じていたエマ・トンプソンは、何とこの映画の脚本も書いていて、この映画の制作時点から深くかかわっていたらしく、他のイギリス人キャストの選出も自ら彼女がやったとされている。
エマは、ケンブリッジ大学出身の才媛であり、ケネス・プラナーの舞台に参加し、そのプラナーの映画『ヘンリー5世』(’89)の他、『日の名残り』(’93)や『ハリー・ポッター』シリーズなどに出演している。
余分な話だが、彼女は、あのイタリア・ルネッサンスの画家ボッティチェリの有名な絵『春』に描かれた花の女神、フローラに似ているのだ。私生活では、『ヘンリー5世』の監督のプラナーと結婚、離婚の後、この映画では妹の恋人役であり結局は憎まれ役になる、貴族の青年役のグレッグ・ワイズと再婚している。
さて、この映画で”多感”な妹役を演じたのは、あの『タイタニック』(’97)のヒロインを演じたケイト・ウィンスレットであり、彼女はその後、『エターナル・サンシャイン』(’04)などでも好演して、『愛を読む人』(’08)でアカデミー主演女優賞を受けている。
この二人の姉妹役の熱演こそが、この映画の成功に大きく寄与したのは間違いない。
しかし、さらに忘れてはならないのが、この映画の監督、台湾出身のアン・リー(李安、1954~)である。もとより台湾には、『悲情城市』(’89)で有名な侯孝賢(ホウ・シャオシェン)などの名監督がいるのだけれども、このアン・リーは台湾を出て、アメリカに渡り、ニューヨークの大学で映画を学び、まずは中小の独立プロからデビューしている。
この映画の後にも、『グリーン・デスティニー』(’00)、『ブロークバック・マウンテン』(’05)、『ラスト・コーション』(’07)などの名作を作り続けているのだ。
その台湾人である彼が、イギリスに乗りこんで作り上げた映画は、まさしくイギリス映画そのものである。(日ごろからハリウッド・アメリカ映画は余り見ない私だけれども、これは制作資本がアメリカだということにせよ、まさしくヨーロッパ映画の一つであるに違いない。)
少し落ちぶれたりとはいえども、イギリス貴族階級の一員であることの誇りを失わずに生きていく女だけの家族を、アン・リーは確かな演出でていねいに描いていく。
そんな映画の中で、一つだけあげるとすれば、終り近くの一シーン。姉の恋人だった男が久しぶりに彼女の家を訪れ、二人きりで対面する時の、お互いの高ぶる感情を抑えながらの、何ともぎこちない微妙な感情の間合いの素晴らしさ・・・来るべき感情の発露(はつろ)を抑えての・・・それは、まさしく監督の演出の技を感じるシーンだった。
思えば、『プライドと偏見』や『眺めのいい部屋』(’86)のラストシーンさえもよみがえってくるような。
しかし私はこの映画のすべてのシーンに納得したわけではない。特にラストの結婚式のシーンは、すべての人が悪い人ではないという、ハッピーエンドの原作の意図がそうであったにせよ、もう少し控え目なカメラを引いたシーンにしても良かったし、映画としてはむしろ省略しても差しつかえなかったのだが・・・。
余分なことまで書いて長くなってしまったので、最後に一つ、妹が貴族の青年と恋に落ちるきっかけになった詩の朗読は、ウィリアム・シェイクスピア(1564~1616)の『ソネット集』(岩波文庫あり)116番からの一節である。
『状況に流されて心変わりするのは 愛ではない 不動の愛は 嵐にあっても決して揺るがない・・・』
(”ソネット”とは韻(いん)を含んだ14行詩のことであり、こうした昔の詩をそらんじていることは、当時の貴族階級の常識だったのだ。日本で、あの『百人一首』の歌をすぐに口ずさめたように。)
付け加えてさらに一つ。話は変わるけれども、昨夜NHKで、マイケル・サンデルの白熱教室シリーズの続編の第4回目が放送された。副題は『究極の選択 お金で買えるもの買えないもの』。
日本のスタジオでの著名人やタレントたちと、衛星回線でつないだアメリカ・中国・日本の学生たちを含めての討論という形をとっていて、テーマは消防の民営化から、学業優秀者への賞金、妊娠代行・代理母、金で買う徴兵逃れ、などの賛否を問いかけるものだった。
そこで、それぞれの国の事情や、学生と大人で意見が分かれるのは当然のこととして、この場の講師であり司会者であるサンデル教授の、対立点を強調させる巧みな質問の仕方が見事であり、何より最後に締めくくった言葉、このまま市場原理主義の世界を続けるのか、あるいは美徳を柱にした世界を求めるのかという問いかけに、彼の思いが溢れていた。
彼はまさに、大学で教える者としての、今の世を憂うる良心的な哲学者なのだ。
私にできること。私ができないこと。・・・若くはないこと。ミャオがそばにいること。」