ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

ワタシはネコである(88)

2009-03-04 16:26:55 | Weblog



3月4日
 昨日は、朝、雪が積もっていたが、その後の雨で、すぐに溶けてしまった。今日も、朝から雨模様で、気温も3度と肌寒く、まだまだ、ストーヴの前で寝ているしかない。
 ところが、最近、ワタシの体の中で、何かがむくむくと起きてきた。春になると、いつも、こうして元気になってくる。それはワタシたち動物への、本能の呼びかけでもあるのだ。
 冬の間、なるべく体を消耗(しょうもう)しないようにと、静かに潜んで生きていたワタシたちは、まず植物たちが眼ざめ、それに合わせて昆虫たちが動き出し、さらに小動物たちが徘徊(はいかい)し始めるころになると、ついに出番が来るのだ。
 いつか、飼い主が聴いていた、クラッシック音楽にも、そんな雰囲気を感じさせるものがあった。確か、ストラヴィンスキーの「春の祭典」とかいう名前だったと思うが、初めの部分の、冬の眠りから覚めて、すべての生き物が動き始める音の連なりを聞いていると、ワタシでさえも、何かこう動きたくなる感じだった。
 午後になると、ワタシは天気が悪くてもベランダに出て、そこから辺りの物音や動静をうかがう。鳥たちはもとより、他のノラネコたちが来ないかなどと見張っているのだ。
 さらに家の中に戻っては、飼い主を相手に見立てて、ダダーッと走り回ったりもする。そんなワタシを見ていた飼い主が言う。
 「全く、オマエは、冬の間、ネコかぶってたな。とても、70幾つの、おばあさんネコには見えないぞ。」
 とはいっても、これは春先だけのカラ元気、本当は年相応に、あちこち弱ってきていて、アーゴホゴホ、飼い主のあなたが傍にいてくれないと、とてもやってはいけません、はい。


 「前回の、一休宗純(1399~1481)の『一休骸骨(がいこつ)』について、さらに考えていきたいと思う。(写真はその一部分、前回の続き。)
 まずこれは、一般庶民のための仏教法話集なのに、なぜに、あの不気味な骸骨(少しユーモラスではあるが)の姿を借りてまで、この世の無常を訴える必要があったのか。そのためには、彼の属した禅宗、臨済宗(りんざいしゅう)について、少し知る必要がある。

 禅の教えは、インドから中国に渡ったあの有名な達磨(だるま)大師(?~532)によって始められ、その教えを受け継いだ臨済(?~867)によって臨済宗が起こされた。日本での開祖は、鎌倉時代の栄西(1141~1215)だとされている。
 同じ禅宗でも、曹洞宗(そうとうしゅう)が、黙照禅(もくしょうぜん)といわれ、座禅することによっての悟りを目指すのに対し、臨済宗は、看話禅(かんわぜん)といわれ、公案(こうあん)提示による、禅問答によっての悟りを目指す、という違いがあるとされる。
 本来の仏教の教えには、人生の苦悩に対しては、『諸行無常』、『諸法無我』、『一切皆苦』などの世界から、『涅槃寂静(ねはんじゃくせい)』の境地へと達する過程が、示されている。
 さらに、臨済宗の教えとして、『一無位の真人』(身分や位にとらわれない人)で、『随所に主と作れば、立ち所に皆真なり』(すべて全力でやれば、それが真実になる)、そして『無事是貴人』(無心のままいることができれば、それが立派な人である)という言葉がある。(以上、ウエブ・サイト『禅の教え』より)

 つまり、一休は、一般民衆に、これらの難しい仏教法話を、聞かせるよりは、わかりやすく、しかし多少ショッキングな骸骨を描くことによって、ユーモラスに皮肉をこめて、説明しようとしたのだ。毎日、浮かれ騒いで暮していても、死は、その辺りに転がっている骸骨のように、いつ訪れるか分からないと。
 昔、一休は、しゃれこうべを竹笹にさした姿で、『ご用心、ご用心』と言いながら、正月元旦の堺の町を歩いて回っていたとのことだが、人に、なぜ正月にと問われた一休は、目の所が暗く空いた、しゃれこうべを指して、目、出たいからだと答えたという。
 この『一休骸骨』の、序文に書かれている言葉が興味深い。

 『一切のもの、ひとたび空しくならずということなし。空しくなるを、本分の所へ帰るとは言うなり。』
 『そもそも、いづれの時か、夢の中にあらざる、いずれの人、骸骨にあらざるべし。それを五色の皮につつみて、持て扱うほどこそ、男女の色もあれ。息絶え、身の皮破れぬれば、その色もなし。上下の姿もわかず。・・・』
 そして極めつけの言葉、『身は死ぬとも魂は死なぬは、大なる誤りなり。・・・仏というも虚空のことなり。天地国土、一切の本分の田地に帰るべし。』

 仏教に帰依(きえ)する一僧侶が語る、なんという言葉だろう、それも、中世の日本という時代に。もし、仏という字を、主に変えてみれば、・・・とても、キリスト教では、許されない言葉だろう。
 それは、仏教という宗教の、懐(ふところ)の深さを知らしめるとともに、一休という禅僧がたどりついた、近代の実存主義的な思考を、さえ思わせるのだ。
 この『一休骸骨』の絵は、どこかユーモラスな骸骨の姿として、描かれているところが救いだが、それにしても余りにも、悲観的な、無常観を現わしている文章の羅列で、救いへの道のりは示されていない。ただ、ご用心と言うばかりだ。
 しかし、その無常観の後ろに見えるものは、誰でも等しく、同じ所にたどり着く、虚空であり、天地の世界である。
 この法話集は、戦乱の世の、明日をも知れぬ人のために書かれたものである。今の平和な時代の、幸せな人たちが読むべきものではないだろう。
 しかし、時に恵まれずに、一人で苦しみ悩んでいる人にとっては、何らかの救いになるかもしれない。
 つまり、今が良かろうが悪かろうが、行き着く先はみな同じだということ、だからくよくよせずに、日々の仕事に努め、余分な欲望に走らず、心静かにいるべきであるということを、教えてくれるからだ。


 以上は、あくまでも、私自身の勝手な解釈であるし、臨済宗の門徒でもないから、十分に理解できずに、一休が意図したところと異なっているかもしれない。しかし私は、ともかく、一休の本を読むことによって、そこから自分なりの利点に気づくことができて、良かったと思っている。
 はい、馬も鹿も、それなりに、一生懸命に考えるものでございますから。」
 
 (参照文献は、2月25日の項に同じ。)



  
 


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