ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

ワタシはネコである(78)

2009-01-28 20:35:49 | Weblog
1月28日
 雲一つない快晴の空が広がっている。 朝の気温は-4度だったが、日中は10度越える暖かさになった。
 3月中旬の気温と言うことだが、昨日今日と、飼い主と一緒に散歩に出かけるのはいい気分である。辺りの臭いをかぐと、どこかしら春の匂いがしてくる。
 そういえば、飼い主が見ていたTVニュースでは、九州各地から梅の花の開花を告げていた。これからまだ、雪の降る寒い日もあるのだろうが、確実に、ワタシたちの好きなネコ日和の続く、春が近づいてきているのだろう。
 それにしても、このところ、飼い主がずっと家にいてくれるのはありがたいが、少し元気がないようで心配になる。お互いに、若いころと比べれば、確かに体力が衰え、寄る年波には勝てないということが、ワタシにも分かるだけに、気になるのだ。
 前回(1月24日)に、飼い主が書いていたあの山口のおばあちゃんのように、もし飼い主がワタシより先に逝ったら、山に向かって、ひとりニャオーンと鳴きたくはないもの。

 「この数日、体調を崩してしまった。おそらく風邪だろうが、頭痛と腹に来た。風邪をひくと、その人の弱いところに症状が出るというけれど、ということは私は・・・、ミャオ、オマエは人を横目で見て、笑うんじゃない。
 というわけで、その間、私は昼間、ミャオと20分ほどの散歩に出る以外は、外出もせずに家にいた。
 そして、録画していた映画を見た。いずれも、フランスのイヴ・ロベール(1920~2002)監督の作品である。たまたま、このロベール作品が、去年の暮れから、この1月にかけて、いろいろと放映されたからでもある。
 まずは、BS日テレで、『プロヴァンス物語-マルセルの夏』(1990年)と同年の続編の『プロヴァンス物語-マルセルのお城』。さらにBS11では、『ぐうたらバンザイ!』(1967年)と『わんぱく戦争』(1961年)。
 前にも書いたことがあるが、私の好きなのは、ヨーロッパ映画である。誤解を承知で、極めて大きなくくりでいえば、現実を夢のように描くのがヨーロッパ映画であり、夢を現実のように描こうとするのが、アメリカ映画であると、私は思っている。
 昔のアメリカ映画ならともかく、今のアメリカ・ハリウッド映画は、その夢が恐ろしく飛躍して、バーチャルな世界、コンピューター・グラフィックで描かれる世界になってしまった。
 時代に遅れた私には、それらは、あまりにも遠すぎる未知の世界の話だ。年寄りの常で、映画を見るのなら、むしろ過去の懐かしい時代を描いた作品の方が、楽なのだ。
 これも最近、BSで放送された映画だが、『ニュー・シネマ・パラダイス』(1988年)は、イタリアはシチリア島の、とある小さな町に一軒しかない映画館の話であるが、まさしく、みんなが貧しく、それでも助け合って暮らしていたころの、心温まる話なのだが、久し振りに見て、思わず涙をにじませつつ、感慨を新たにしたのだ。
 背伸びせずに、格好をつけずに、まずは自分の足元を見て、身の回りのことをしっかりと描くこと、それが映画の基本であり、真実であると思うし、その幾つもの人々の真実を、私は、映画を通して知りたいと思う。
 前置きが長くなってしまったが、私は、その時代の人々の姿を、あたたかくユーモラスに、時には運命のままに冷たく描き、ピリリと効いた皮肉の言葉も忘れない、伝統的なフランス映画が好きなのだ。
 『プロヴァンス物語』の二本は、マルセル・パニョール原作によるもの(前に評論社から文庫本が出ていたが、ベストセラーになったピーター・メイルの『プロヴァンス』シリーズとは別作品)で、プロヴァンスの田舎で、夏休みをすごすためにやってきた小学校教師の一家の話である。
 田舎の景色の中で、生き生きと遊ぶ子供たちの姿が素晴らしいし、両親と周りの大人たちも、それを温かく見守るのだ。昔の、文部省推薦映画だとけなす人もいるかもしれないが、反対に私には、今の子供たちが夢中なテレビ・ゲームが、彼らの年代に大切なものだとは思はない。
 そして、『わんぱく戦争』。原題は”ボタン戦争”で、隣村同士の子供たちが集団となってケンカするのだが、負けると、身につけている洋服のボタンをとられてしまうからで、それならばと、子供たちは裸でケンカするのだ。
 子供が、子供であったころの、実に正しい、大人になるための子供時代であったのだ。
 さらに、『ぐうたらバンザイ!』(原題は、”幸せなアレキサンドル”)。南仏の田舎の大きな牧場(120ヘクタール、つまり約120町歩)の牧場主であるアレキサンドル(『地下鉄のザジ』に出ていたフィリップ・ノワレ)は、美人の奥さん(あの美人女優のフランソワーズ・ブリオン)の尻に敷かれて、毎日、言うがままに働かされていて、何時も睡眠不足でフラフラだ。
 しかし、その女房が年寄りの両親ともども、交通事故で死んでしまう。結婚以来、10年もの束縛から解き放たれたアレキサンドルは、ここぞとばかりに、ベッドにはいり、ひたすらに眠り続ける。
 眠り終えた後も、ベッドから出ずに、手の届くところに、ナベ、ヤカン、食器などをひもで吊り下げて使い、時には愛用のテューバを吹いて楽しみ、食料などの調達は、愛犬、ルシアンに運ばせている(写真、BS11ホームページより)。
 この狩猟犬テリアのルシアンの働きぶりが、主人公のぐうたらぶりに反して、何と涙ぐましいほどに健気で、縦横無尽に活躍するのだ。
 一方、村にとっては大変な出来事で、突然、怠け者になったアレキサンドルを見習って、これからは自分も寝て暮らすと言い出すものまで出始める始末だ。村の仲間たちは、なんとかしてアレキサンドルを元の働き者に戻そうと、いろいろ手を尽くしてやってはみるのだが・・・といった、ユーモアあふれるドタバタ劇が続く。
 人によっては、こんな映画なんか、バカバカしいと思うかもしれないが、しかし私は、このフランスの小さな村では、そんな人々がいるのだろうと、いつしか見入ってしまったのだ。つまり、罪のないドタバタ劇を、楽しんで見れば良いということだろう。
 それは、あのペローの童話集や、モーパッサンの短編集(去年、その優れたテレビ・ドラマ・シリーズが放映されたばかり)等と同じように、フランスの土の匂いがしてくるのだ。
 さらに、映画のタイトル・バックに流れるのは、コスマ作曲、イザベル・オーブレの歌うシャンソン・・・いい歌だ。
 もちろん、フランス映画には、他にもいろいろと綺羅(きら)星の輝くごとく、私の好きな何人もの名監督、様々な名作の数々がある。その中で、このロベールの作品は、名作とまではいかないけれども、私にとっては、昔のフランスの田舎の匂いを感じさせてくれる映画、心楽しい思いになる映画の一つではある。
 年を取って、昔見た映画を見直すと、さらに新たな発見があり、喜びがある。いつも、私の心を豊かにしてくれる、映画の名作の数々に、ただただ感謝するばかりである。」

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