ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

ワタシはネコである(79)

2009-01-31 17:46:08 | Weblog
1月31日
 この三日ほどは、天気が悪く、雨が降り続いている。今日の昼前から、風が強くなり、気温も下がってきた。
 しかし、それまでは異常かと思うほどに、気温が高く、昨日は朝から、何と8度もあって、その暖かさに誘われ、というよりは、毎日、ストーヴの前で寝てばかりいる生活に飽き飽きして、雨の中、何度も外に出た。その度ごとに、飼い主は、濡れたワタシの体を、タオルで拭いてくれた。
 しかし、ついには真夜中にも飼い主を起こして、ドアを開けさせて、雨の降る中、飛び出した。しばらく外にいて、その後は、倉庫の隅にもぐりこんでそこで寝た。
 朝になって、ワタシの居場所の見当をつけたらしい飼い主がやってきて、ワタシを呼び、やっと家に帰った。
 こんなことをするのは、大体は春になってからのことで、年寄りネコのワタシが冬にやることではないのだが、全く、ネコさわがせな突然の、暖かい冬の日だった。
 飼い主の友達がいる北海道・十勝地方でも、今年は18年ぶりの暖冬で、余りシバレる日がなくて、その代わり、いつもよりは雪の量が多いそうだ、それも湿った雪で。
 寒がりのワタシには、暖かいにこしたことはないのだが、暦どおりに季節が進まないと、やはり何かがおかしいと感じるのだ。

 「ようやく、私の長引いた風邪は、治ったようだが、雨の日が続いて、仕方なく家にいた。出かけて行って、片づけてしまわなければならない用事が幾つかあるのだが、いつものグウタラぐせで、なかなか腰を上げる気にならない。前回書いた映画の中のアレキサンドルと同じだ。
 コタツから出るにも、いちいち、”よし、どっこらしょ”と声を出さねば、立ち上がれないなんて。昔、年寄りがそうして立ち上がるのを見て、あーいやだいやだと思っていたのに。いつしか私も、そんな歳に・・・。
 それで、家にいて、またも録画していた映画を見た。3週間ほど前に、NHK・BSで放映された『ドレッサー』(写真)である。
 1983年制作のイギリス映画で、監督はピーター・イエーツ。当時見た時と同じように、二時間の間、画面にくぎ付けになり、さすがに演劇の伝統の国、イギリスの誇りを強く感じた。良い映画は、何度見ても良い、当たり前のことだが。
 1942年、第二次世界大戦のさ中、ドイツ軍の空爆にさらされるイギリスはロンドンのとある劇場・・・シェイクスピアの『オセロ』が終幕に差しかかっていた。オセロが最愛の妻、デズデモーナにあらぬ疑いを抱き、殺してしまったが、それが部下のイアーゴの卑劣な策略であったことを知り、自らも自害して果てる・・・。
 幕が下りると、サーの称号を持つ当代きってのシェイクスピア役者である、オセロ役の主人公が、周りの大根役者たちを怒鳴り散らすのだ。その彼をなだめすかして、楽屋に連れ帰り、バスタブに入れて、体中のドーランを洗い流してやるのは、付き人兼衣裳係(つまりドレッサー)のノーマンである。
 そして、一行は汽車に乗って、中部ヨークシャーのブラッドフォードに向かう。その列車に乗り遅れそうになった時、サーの呼び止める一声は、運転士の耳にも届くほどだ。
 しかし、ブラッドフォードに着いてから、長年、緊張を強いられるシェイクスピア役者を続けてきたサーは、錯乱状態になり、演目である『リア王』の公演中止の瀬戸際まで追い込まれる。
 そこから、この劇団の大黒柱であるサーを、なだめすかし励まして、やる気にさせるのは、レイディ・シップの称号を持つ同じ劇団の女優でもある妻でもなく、舞台監督の女性マッジでもなく、ドレッサーのノーマンなのである。
 ある時は、母のように、友のように、そして味方として励ますのだ。その話を聞きつつ、破滅の淵から役者魂を燃え上がらせていくサーの姿。
 この映画は、この二人、サー役のアルバート・フィニーとノーマン役のトム・コートネイの、白熱した演技に尽きる。
 アルバート・フィニーは、もともとピーター・オトゥール(『アラビアのロレンス』)などと同じ、王立演劇学校出身で、舞台役者として十分な経験があり、頭を剃ってまで臨んだこの役は、他の人では考えられないほどのはまり役だった。
 一方のトム・コートネイも、同じ王立演劇学校出身のシェイクスピア役者であり、見事に、ひたむきなオネエ風の付き人役を演じ切り、最後の、『わたしは、やけっぱちなんかではない。この仕事に誇りを持ち、愛しているの。』と叫ぶくだりなど、大熱演だった。
 フィニーは1960年の『土曜の夜と日曜の朝』で、コートネイは1962年の『長距離ランナーの孤独』で、それぞれ主役に抜擢されて、一躍、イギリスのニュー・ウェイヴ・シネマのスターとしての脚光を浴び、それから20年もの歳月がたっていたのだ。
 この舞台劇の、見事な映画化に対しては、まだまだ書きたいことが色々とあるが(ヴェルディのオペラ『オテロ』のイヤーゴ役との関連、さらにサーに捧げたマッジの思いなど)、しかしそれは、私の悪い癖で、長々と駄文を書き連ねることにもなるので、この位にしたい。
 
 映画は、この世に生きる人の数ほどに、様々なものがあり、決して同じものはない。それぞれの性格を持ち、それぞれの魅力と幾らかの嫌いな面も併せ持つ、まるで人のように。
 映画は、作品として世に送り出された時から、その作者の意図を離れて、観客の側の、それぞれの受け取り方にまかされることにもなる。ある人にとっては有意義なものでも、ある人にとっては、全く退屈なものになり、またある人には有害なものになるかもしれない。
 何度も書いていることだが、あの亡き淀川長治さんがよく言っていた。『若いうちに、一流の良いものを、良い映画をたくさん見ておきなさい。』
 今にして思う、この言葉は、年をとってきた私だから、身にしみて感じることなのだと・・・幾つかの悔恨と、幾つかの小さな満ち足りた思いで・・・。」

 (追記)番組表によると、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの『リア王』、2月7日(土)22:00~1:00 NHKBShi放送予定。

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