ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

飼い主よりミャオへ(142)

2011-08-07 19:09:06 | Weblog



8月7日

 拝啓 ミャオ様

 九州では、毎日暑い日が続いているようだが、ミャオは元気にしているのだろうか。
 ネコたちにとっては、冬の厳しい寒さに比べれば、夏の暑さのほうがまだましだということだが、それでも、年寄りネコのオマエは、恐らくは日陰でぐったりとして寝ていることだろう。何とかそのまま元気にして、しばらく待っていておくれ。

 この北海道では、数日前までは、20度を少し越えるくらいの涼しい日が続いていたのだが、二三日前からむしむしとしてきて、昨日今日と30度を越える暑さになった。
 そんな日には、家の窓を閉め切って、外には出ないで、家の中にいるに限る。気温差は、6,7度もあり、23,4度くらいのクーラーの効いた涼しさなのだ。
 お世辞にも立派だとはいえない、手作りのタヌキ小屋だが、ともかくこれが、冬暖かく夏は涼しい丸太小屋の家のありがたいところだ。

 お金をかけないでも、こうして快適に暮らしていけること、つまり他に多くの足りないものがあったとしても、そこで生きていく上に本当に大切なものさえあれば、それだけで十分だということなのだろう。
 考え方一つで、人それぞれの自覚の仕方で、毎日の生活もまた変わってくるということなのだろう。そのことを、私は以下に書くこの山旅で、改めて思い知らされたという訳なのだ。

 数日前、私は、久しぶりの山登りに行ってきた。前回の九重の山(7月3日の項)から、何と一ヶ月以上も間が空いたことになる。7月に山に登らなかったことは、私の長い登山歴の中でも余り記憶にないことだ。
 それはもちろん、ミャオのけがや入院などがあったからだが、一方では万難を排しても山だけには行く、という気力がなくなってきたことも確かである。
 例えば、長い間行っていない日高山脈主峰群への、沢登りテント泊の山行だが、もう今までどおりの単独行では、とてもそのハードな山登りをこなすだけの体力気力もないし、それ以上に、すでに登ってしまった山だし、そのいずれもが天気の良い日に行って十分満足した山々だからと、自分に言い聞かせているからでもある。

 年を取って経験は増えても、体力は衰えてきているから、若い頃の、無理をしてでも、新しいものを見たい触れたいという思いから、いつしか無理をしたくない、ラクをして楽しみたいと思うようになってきたのだ。
 今回選んだのは、毎年夏の花々を見に行く大雪山の、それも最も簡単にその稜線、頂上に上れる、層雲峡からのコースである。ただしロープウエイ、リフト代がかかるのだが、仕方ない。
 それはともかく、何のトレーニングもなしに、一ヶ月以上ものブランクがあることの方が心配だった。


 さて、その日の朝、外は深い霧だったが、心配することはない。オホーツク海高気圧が張り出している時は、いつも北海道の東側、いわゆる道東は霧に被われていることが多く、しかし上空は晴れていて、雲海の上に山々が頭を出しているはずだ。
 ただし、早朝でいくら車が少ないとはいえ、50mほどしか見通しがきかないから、慎重に運転しなければならない。さらに、山間部に入って行けば、霧は取れていても、今度は、飛び出してくるシカが気になるし、といった具合だ。

 7時に層雲峡に着き、ローウエイに乗り、さらに上でリフトに乗り換え、黒岳への登山口を出たのは、もう8時に近かった。雲が出やすい夏山に登るには、遅すぎる時間なのだが、今日は白雲岳の小屋までの短いコースだから、そう急ぐこともない。
 何より嬉しいことは、前後に登山観光客がいなくて、静かなことだ。山登りが目的の人たちはとっくに早立ちしているし、観光客でにぎわうのはこの後の時間からだ。

 この黒岳観光登山道がつけられている、北東斜面の山腹は、どうしてどうして、なかなかに見ごたえのあるお花畑になっている。
 あの北アルプスや南アルプスなどのお花畑は、稜線の斜面に多いけれど、この大雪山では、むしろ山上の広い溶岩台地に広がっている場合が多く、花畑の名前によりふさわしい。
 ただし、その中でも、この黒岳のお花畑だけは、頂上周辺よりは、この斜面で多くの花を楽しむことができるのだ。そして、ここでの主役といえば、鮮やかな大ぶりの花をつけるチシマノキンバイソウの群落だろう。
 それは、北アルプスや南アルプスなど、さらに日高山脈でも見られるシナノキンバイと同種の花なのだが、あの利尻山には、さらに花びらの数が多く華麗な姿のボタンキンバイもある。

 1時間余りかかって、黒岳山頂(1984m)に着く。雲が多いながらも、残雪をつけた大雪山の主峰群、白雲岳(2230m)、旭岳(2290m)、北鎮岳(2244m)などが見えている。
 そして、この山頂には他に二人がいるだけで、観光登山の山とは思えないほどだった。もっとも、これが本来の静かな山の姿なのだが。
 一休みした後、黒岳石室へと下り、そこから左に分かれて美ヶ原へと下ってい行く。
 赤石川の流れの両側には、まだ豊かな残雪が残っていて、所々に、エゾコザクラなどの小さなお花畑が広がっている(写真上)。
 ただその主役である、チングルマの花は殆んど終わっていて、少し寂しいけれど、青空と残雪と、緑の草と色とりどりの花々が散在する中を、誰もいない静かな道を、歩いて行く幸せ・・・。
 さらに北海沢の流れを渡り、川あいの草原から、山腹の道へと取り付き登って行く。火山性礫地(れきち)のあちこちにコマクサやイワブクロの花が咲いていて、背景には夏雲わく北鎮岳の姿が見える(写真中)。



 やがて再び稜線に上がり、お鉢と呼ばれる巨大な噴火口跡の一端にある北海岳(2149m)に着く。そこから見る旭岳には、少し雲がまとわりついていたが、まだまだ上空には青空も広がっていた。
 頂上には数人がいたが、それぞれに下って行って、北海平へと向かう私と同じ方向には、ずっと先のほうに一人が見えるだけだった。
 この広大に広がる溶岩台地は、風が強く当たる風衝地(ふうしょうち)にもなっていて、背の低い高山植物たちが数多く散在している所だ。イワウメ、エゾツガザクラ、エゾオヤマノエンドウなどの、7月が盛りの花々はもう終わっていて、今は余り目立たない小さな花の、チシマツガザクラとクモマユキノシタの一大群生地になっていた。
 ここは、あの大雪表銀座と呼ばれる黒岳~旭岳のコースから外れていることも幸いしていて、いつでも人が少なく、ゆっくりと周りの山々を眺めながら、時には立ち止まり、また風に吹かれてのんびりと歩いて行くことのできる、私のお気に入りの道の一つだ。

 その2キロ足らずの礫地の道が終わる頃、白雲岳の北斜面の残雪が溶けた跡には、エゾコザクラのお花畑が広がっている。しかし残念なことに、上空は大部分が雲に被われていて、光溢れる鮮やかな光景とまではならなかった。
 とは言っても、反対側の赤岳沢源頭部には、青いミヤマリンドウとともにヨツバシオガマも群れ咲いていて、心和ませる景観ではあった(写真下)。



 そこから、少し登って白雲岳分岐に着き、後は小屋へと下って行く。途中の雪渓の周りにも、まだ花が残っているが、ここでも、あのお花畑の主役であるチングルマは終わっていて、すでに綿毛ばかりになっているのが寂しい。
 しかし、白雲岳南面の残雪が豊かに残る水場付近には、緑の草が豊かに茂り、チシマノキンバイソウの群生地になっていて、さらに、そこから少し上がった、白雲岳避難小屋の周辺は、規模は大きくないが、実は何十種類もの花々が手軽に観察できる、花の名所になっているのだ。

 小屋の2階にザックを置いて、私の好きな高根ヶ原、忠別沼方面へと散策に出かけることにした。
 スレート平や高根ヶ原の溶岩台地の礫地帯には、例のチシマツガザクラやイワブクロなどの他に、イワギキョウ、チシマギキョウ、そしてリシリリンドウなどの紫色の花が目につく。
 さらに、いつもの場所で、クモマユキノシタとウサギギクの群落を確かめたが、一方では、もうあのコマクサ群は終わりに近づいていた。
 ここまで、1時間半かかり、もう忠別沼はあきらめて、来た道を戻るしかなかった。小屋に着いたのは、5時近くになっていて、さすがに1ヶ月以上のブランクがある体には、今日の8時間行程は少しこたえた。

 テン場(テント設営場所)には、高校山岳部など10張りほどが並んでいたが、小屋の方は上下あわせて11人ほどで、広々と場所をとって寝ることができた。
 いつものことながら、余り良く眠れぬままに、夜中にトイレに起きた。別棟のトイレに行こうと外に出ると、暗闇の中、誰かがひとり立っていた。

 「すごい星空ですね。」と話しかけてきたのは、同じに2階の隅にいた彼だった。
 楽しみにしていた夕景は、雲が多くて残念ながら見ることができなかったのに、今や頭上は満天の星だった。
 「七夕(たなばた)の天の川が、こんなにはっきり見えて。」と、彼が言った。

 「星空が好きなのは、どちらかといえば男の方で、それだけ、男はロマンチストだということですよ。」
 私は、暗闇に目が慣れてきて、かすかに見える彼の横顔に向かってさらに続けた。
 「恐らく、星座に初めて名前をつけたのは、男でしょうね。夜の羊飼いたちのようにね。」

 「実は私は、タバコを吸おうとして外に出てきたんですよ。ただあんまり星がきれいなものだから。」
 彼は、タバコの箱を上着のポケットにしまいながら言った。
 「私は、都会で働いている時に、ガンで体の一部を切り取ってしまいましてね。今はこうして元気でなんともないからいいんですが、病院にいた時から考えましたよ、もうこれからは運命に逆(さか)らうのはよそうと。度を過ごしてはいませんが、酒もタバコも好きなことはやめません。山も好きだから、こうして登り続けていくつもりです。」

 私は空を見上げて言った。
 「つまり、大事なことは、自分にストレスをかけないこと・・・ですよね。」

 しっかりと着込んでいた彼に比べて、私はシャツ1枚だけだった。腕をさすりながら、お先にと言って小屋に戻った。
 しばらくして彼も戻ってきて、寝袋のジッパーを閉める音が聞こえていた。
 私は眠れぬまま、彼の言葉を何度も繰り返していた。そして、思ったのだ、運命とは、若い頃には抗(あがら)うべきものであり、年を取るにつれ、その向かう所に身を任せるべきものになるのかと・・・。
 生きるという、同じ思いを抱いて、人はめぐりめぐっていくのだろう。

 この山旅は次回へと続く。 


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