ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

ものぞかなしき

2020-11-17 21:18:50 | Weblog



 11月17日

 さて、一年ぶりに戻って来た北海道の家では、やることがいくらでもあったが、そこはそれ、老獪(ろうかい)な業師(わざし)たる私のこと、どうしても修理補修しなければならないところ以外は、”まあ何とかなるべー”と見切りをつけては、だらだらと小仕事を続けていたのだが。
 ただありがたいことに、私がいた3週間ほどの間、天気の良い日が多くて、それだからこそ、前回あげたような素晴らしい夕焼けにもめぐり合えたわけで、そんな天気の日を選んで、いつものように裏山からつながる丘陵地帯を歩いてきた。
 今までのように、春から秋まで通してここにいた時はもちろんのこと、その季節折々の自然の織りなす景観に飽きることはなく、さらに冬も通して一年中いた時も何度かはあったから、まさにその冬の季節こそが、私の好きな北海道の最高のひと時だったのだ。

 ”・・・夜明け前、しっかりと着込んで外に出る。零下20℃。
 冬用防寒長靴に厚い山用靴下をはき重ねて、手袋も冬用二枚重ねにするのだが、それでも足先、指先は冷たい。
 フルフェイスのニット帽二枚重ねていても、鼻先や耳が痛くなる。
 雪は2~30㎝ほどのさらさらした雪で、それほど深くはないから、スキーやスノーシューを使うほどではない。
 小さなラッセルを繰り返しながら、丘の高みを目指して登って行くと、東の地平が薄赤くなってきて、反対側の日高山脈の稜線がはっきりと見えてくる。
 キタキツネの足跡が、丘の高みに向かって続いている。
 見上げると、まだ大部分を占める暗い空に、星が幾つか輝いている。
 私は、寒さも忘れて、そこに立ちつくしてしまう・・・。”

 そんなことを思い出しながら、私はその丘を登って行った。
 ミズナラやカシワの樹々のそばを抜け、カラマツ林を過ぎて、牧草地の丘に着いた。
 もう午後の時間で、初雪が来たばかり山々は少しかすんでいたが、十勝平野の大きな広がりは変わらない。
 帰りに、その林の中にコクワ(サルナシ)の実がなっているのを見つけた。(写真上)
 昔は、周りの林じゅうを歩き回って、袋いっぱいのコクワの実を採ってきて、大びん二個くらいのジャムを作ったものだったが、今回はわずか両手一杯くらいで、小びん一つになるかどうか。
 それでも、こうして野山の恵みの収穫があることはうれしいことだ。

 こうして北海道の家にいる間に、家の林の樹々も紅葉してきた。
 もっとも、一つにはここでの見事な紅葉を見るために、滞在を引き延ばしたといえないこともないのだが。
 紅葉の盛りの時はもう少し先なのだが、そうしていると、次にはあの十勝平野のすべてをおおい尽くす、壮大なカラマツの黄葉が始まるし、11月に入ってさらに一二週間先へと伸ばさなければならなくなるだろうし。
 そうすれば、私にとって、新型コロナはさらに気がかりな問題になってくるだろうし。
 ままよ、とりあえず今を楽しむことだと、私は、青空に映えてきれいな家の林の紅葉を、繰り返し眺めては写真に撮っていくことにした。(写真下)



 さらに、行くべき所は、もう一つ残っている。
 とても山に行くだけの余裕はないが、せめて通いなれた大雪山の山なみを見るために、もう雪が来ているという三国峠までは行ってみたいと思っていた。
 帯広の市街地を抜けて、音更(おとふけ)、士幌(しほろ)、上士幌(かみしほろ)と国道を北上していくのだが、街路樹のナナカマドの赤い実やモミジの紅葉が美しく、さらに山間部に入ってからの紅葉もなかなかにきれいだった。
 三国峠のトンネル(1200m)を抜けると、少し雲がついていたが、雪に覆われた大雪山の主峰旭岳(2290m)が見えていた。

 帰りには、十勝三股の盆地の中を少し歩き回り、そこから久しぶりにゆっくりと、石狩岳(いしかりだけ、1967m)連峰の堂々たる雄姿を眺めた。(写真下)

 

 周りを火山の山々に囲まれながら、ここだけが日高山脈と同じように、古い褶曲断層山脈でできていて、何とも風格のある見事な山である。
 ”男一貫”、どこに出しても恥ずかしくない、日本の名山の一つだといえるだろう。
 私は、三度ほどその頂きを踏んでいるが、最後に行った四度目の時は残雪期で、シュナイダー尾根にまだ雪がたっぷりと残っていて、長い間人が通ってもいないらしくて、トレース(足跡)もなくて雪の踏み抜きを繰り返し、時間切れで頂上まで行けずに引き返したが、何しろ天気は良く、青空に映える残雪の尾根筋がきれいだった。
 思えばあれが最後の石狩岳になってしまって、いささか残念な気もするが。
 さて家に帰る途中で友達の家に寄って、一年ぶりに会って話をすることができた。
 お互いに年なんだからと思いながらも、こうして歳月を重ねて生きていることが、一番大切なことだと思う。

 細かく書いていけば、いろいろとあったのだが、わずか三週間ではとりあえずの仕事しかできなかったし、ともかくの区切りをつけなけれならなかったからで、何はともあれ、すべてが穏やかにある早いうちに九州に戻るべきだと思った。
 帰りの東京に向かう飛行機の便では、東北の早池峰山(1917m )の巨大な白鯨のような姿が印象的だった。(写真下)
 そして羽田での待ち合わせ時間があった後、福岡行きの飛行機に乗り込むが、行きと同じようにほぼ満席に近かった。
 この便は九州と東京をつなぐ大動脈であり、誰もこの新型コロナの時期に、長時間かけて新幹線で行きたいとは思わないのだろう。
 そんな状態だから、窓側に座ることもできず、富士山は見ることができなかったが、かろうじて後部の小窓から、反対側の南アルプスや北アルプスの白い峰々を眺めることができた。

 あれから、もう3週間が過ぎたが、幸いにもというべきか悪運強くというべきか、新型コロナ感染の症状らしきものは出ていない。
 それだから、私が丈夫な免疫のある身体なのだとは思わないし、ただ幸運なだけだったのだろうが、ともかく重症化しやすい年寄りなのだから、と自分に言い聞かせている。
 思えば、一年前の持病の顕在化に始まって以来、年寄りの常としてあちこちがどこか痛くて、まさに人生の秋なのだと思い知らされるばかりなのだが・・・。
 ”それでも、私はまだまだ、死にまっしぇーん。”

 例の『新古今和歌集』の秋の歌の中から一つ。
 
 ”かくしつつ 暮れぬる秋と 老いぬれど しかすがに なほものぞかなしき”(能因法師)

(『新古今和歌集』 久保田淳 訳注 角川ソフィア文庫、訳すれば、”そうこうしているうちに秋は暮れてゆき、それとともに私も老いていくが、それは当たり前のことだとしても、やはりもの哀しくなるものだ。”)


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