12月29日
九州とはいえ、内陸山間部の集落にあるわが家では、冬には何度も雪が降り、30㎝ほど積もることも珍しくない。
先日、長い車列の渋滞が起きた日本海側の大雪の時は、ここでは2~3㎝の積雪ですんだのだが、そのぶん寒さが厳しく、朝の-6℃から日中も-3℃という真冬日になり、古いわが家では暖房設備が十分ではないので、ポータブル石油ストーヴの前から離れられなかった。
もっともこのぐらいの温度なら、北海道の毎日-20℃前後の真冬の気温からすれば、これは春先の気温なのだ。
思えば北海道のわが家には、しっかりした北欧製の薪ストーブがあって、これ一台でだいたい寒さをしのげるし、他に補助用の小さな石油ストーブがあるくらいだが、それで十分なのだ。
さらに言えば、この冬にカナダのある町では-50℃を記録したとかいう話だから、どこにいても人間は、環境に従いながらも巧みに衣食住をまかない、生きてゆくのだろう。
しかし病気や事故に巻き込まれれば、狭い地域の自分たちの力だけでは、どうしようもないこともある。
都市部に居れば、簡単に処置してもらえることが、海山の僻地にいれば、助けられる命が間に合わないことにもなるだろう。
生きものの世界では、群れることでの利点が多いから、そういう群れとしての行動をとるべく、遺伝子が受け継がれているのだろうし。
もちろん単独行動をとる生きものたちもいるわけで、ホッキョクグマやヒグマなどは、自分たちが食物連鎖の頂点にいて、仲間同士の争いはあっても、襲われることはないし、単独のほうが捕食や行動などの点で利点が多いからなのだろう。
人間の場合、群れること、つまり家族や会社などの一員として社会生活を営むことで、自らの毎日の暮らしも成り立っているわけだが、そうではない少数派の人たちは、自他の社会関係が希薄になり、孤立することが多くなり、孤独だということになるのだろう。
しかしその孤独にも、様々な形態があって、文化芸術を含めて、社会のためになるものを生み出すために、ひとりで考えることが必要な孤独があり、逆に先日の大阪の雑居ビル放火犯や、その前の京都アニメ放火犯のように、思い込みの感情が攻撃的になり爆発して、道連れ殺人を引き起こす孤独感にまでなる。
もっとも孤独にあるほとんどの人は、他人とかかわるのが面倒だからと、自分だけの世界にこもる、つまり引きこもりの孤独が大多数なのだろうが。
以上長々と、孤独についての前置きを書いてきたのは、差し迫った死という状況に際しての、ひとり、孤独感について書いてみたいと思ったからである。
というのも、それは新聞のコラム欄に載っていた記事で、ある宗教学者であり僧侶でもある方が、自分の体験談として、病院で手術を受けて目覚めた時に、ちょうど周りに誰もいなくて、声を出そうにも、顔にマスクをつけられていて、動こうにも、体に何本かの管をつけられていて、起き上がることもできずに、猛烈な孤独感に襲われたというのである。
私も4時間半にも及ぶ手術を受けて、麻酔が覚め、手術室から個室の観察病室に移されて、うとうとしながらベッドの上で目が覚めた時、周りに誰もいなくて、孤独感よりは、彼と同じように顔にマスク、腕や胸に管でつながれていて、少しずつこれまでの事態を理解していくのが先だった。
もう長い間、ひとりの部屋で目覚めるのには慣れていたから、そこが病室のベッドの上だと気づいても、ああそうかと思っただけのことだった。
それよりは、のどが渇いていて、トイレにも行きたくて、まずは起き上がりたかった。
顔の酸素マスクも取りたかったが、外すと明らかに呼吸が苦しくなったし、体を半身起こしてみたが、それ以上はふらついてダメだった。当然なのだが、長い手術後の絶対安静の時間だったのだ。
つまり、私は孤独感に襲われるよりは、体内生理の問題をどうしたら解決できるかを考えていた。
尿のほうは、手術中には尿道カテーテル(管)につながれていて、今はもう取り外されていたが、下半身にはオムツがあてがわれていて、そこに出しても良かったのだが、初めての経験でとても出す気にはなれなかった。
しばらくして、看護師(看護婦)さんが来た時、尋ねたのは、トイレに行きたいということと、コップ一杯の水を飲みたいということだった。
しかし、彼女は首を横に振った。手術後6時間は水も飲めないということだった。
その夜は、手術後の痛み(薬で押さえられていたと思うが)よりは、のどの渇きと便秘気味の便意に苦しめられ、彼女が巡回で来るたびに、水にトイレと訴えた。
もんもんとして眠ることもできず、そして時間が経過して、ようやく水を一口飲むことが許され(まさしく甘露水)、それを機に腸が動き始めて、恥ずかしながらオムツの中に一気に解放した。
朝になって、自分の病室に移してもらい、その後、執刀医の先生から回復が早いと言われて、入院してから10日目に私は退院した。
今回は、上に書いた新聞のコラム欄の記事から、”手術後の孤独感”について書くつもりだったが、私は言われているような、死に隣接している孤独感を感じることは、全くなかったのである。
それは前回書いたように、私が臨死体験を味わえなかったのが、現実的な死に直面していなかったから、というのと同じように、今回も、手術後の現実の状況を把握するのが先で、孤独感よりは、むしろ生理現象のほうに気を取られていたからではないのだろうか。
加うるに、この4時間半にも及ぶ手術を、病があまり重篤(じゅうとく)なものだとは考えずに、ただ悪性腫瘍を切り取ってもらうだけのことだからと、楽天的に考えていたからだとも思えるのだが。
さらに言えば、私は、ひとりでいることには子供のころから慣れているし、大人になってからも、結局は、ひとりでいることの方が多かったように思う。
そして、それらのつらい寂しい時代こそが、私を孤独に慣れさせることになっていて、今にして思えば、そのつらい代償、見返りとして、今になって病室にひとりでいても、寂しいとは思わないことにつながったのだろう。
上にあげたコラム欄に書いてあった、病室で寂しさに襲われたという彼は、日ごろから、檀家(だんか)、同僚、生徒、家族に囲まれていて、ひとりっきりの状況に追い込まれるようなことが、少なかったのではないのかと思われるのだが。
今回の”入院シリーズ”第3回目として記事を書くにあたって、昔読んだ本を少しだけ読み返してみたのだが、そこから幾つかのことを抜き出してみると。
”独りでいられる能力は、幼い時期を通して築き上げられてきた内的安全感の一つの側面である。”
(「孤独、自己への回帰」アンソニー・ストー著 森省二・吉野要 監訳 創元社)
”孤独は悪魔の仕事場にもなるが、しかし創造の場になることもある。というよりも、孤独こそ想像の源泉であり、孤独を通さずに想像されたものは何ひとつない。
ひとりで存在すること、ひとりで生きていることをどう受け取るかは本人の覚悟、本人の哲学次第である。"
"(ニーチェの友人にあてた手紙より)・・・ただひとえに子供時代からこうした(孤独の)感情に耐える訓練を重ね、この感情が徐々に発展してくれたおかげで、自分がいまだに破滅に至らぬことが理解されるのです。”
”彼(ショーペンハウアー)は、平素から自分の死は安らかであると確信していたという。というのは、生涯、孤独の生活を続けた者であれば、他の人にくらべ、死という孤独によく対処することができるはずだと考えていたからである。”
(「孤独の研究」木原武一 PHP)
”生が自然のものなら、死もまた自然のものである。死をいたずらに恐れるよりも、現在の一日一日を大切に生きて行こう。現在なお人生の美しいものにふれうることをよろこび、孤独の深まりゆくなかで、静かに人生の味をかみしめつつ、さいごの旅の道のりを歩んで行こう。”
(「こころの旅」神谷美恵子 みすず書房)
もっとも、いざ現実的に死と対面することになったら、こんな達観した態度ではいられないだろうし、もっとじたばたするのだろうが。
今回は、孤独と死の問題を、臨死体験と併せて、自分なりに敷衍(ふえん)して理解してみようと思ったのだが、なにぶんこのぐうたらなじいさんのこと、体系づけて書き上げるなど土台無理な話で、この辺りが限界なのだろう。
さて、真冬に向かおうとする、この時期、赤い実をつけているのは、ナンテンやマンリョウの他に、ずっと高い木になって実をつけるクロガネモチがある。(冒頭の写真)
家から少し離れた所にある5mほどの木だが、これだけの実があれば、群れで来る鳥たちの冬の食べ物としても十分だろう。
この鳥たちが、この実の種を運んでいき、またそこにクロガネモチの木が生える。
こうして、種族が伝えられていく。
私一人なんて、小さい小さい、地球の一点にもならないのだから・・・それでも一匹として生きていく。