12月11日
今年の夏に、病院の検診で悪性腫瘍が見つかり、コロナ禍最盛のさ中ではあったが、すぐに数時間に及ぶ手術を受けることになった。
今はまだ病状の回復期にあるのだが、その他の体調面においては変わりはなく、いたって元気ではあるのだが。
一方では、この誰でもかかりうる災難とでも言うべき、つまり国民の二人に一人がかかるという、ある種の国民病にかかったことによって、私は今さらにして、また新たに考えるべき視点を、いくつか教えてもらうことにもなったのである。今回はその2回目として。
繰り返し言うことだが、それは、どんな災難でもやがては自分に益するものになるという、運命的楽観論から言うのでもなければ、針小棒大ふうに表現して自分を見世物にするつもりで言うのでもない。
人間誰にしもある、終わりの時が近づいてきていることを理解して、それならばと大げさに構えるのではなく、今ある平穏な日々が続いていることに感謝して、時の流れと季節の移ろいを感じながら生きていくこと、そこにささやかな食と住があれば、生きものの一人として、他に何が要るというのだ。
誰と比較するわけでもない、ただ今にして思えば、長い人生の中で、苦しみや哀しみと、楽しさや喜びとが、何層にも織り重なり、自分だけの人生の織物を作ってくれたのだと思う。
それは、他人から見れば、あかにまみれすり切れた汚い着物かもしれないが、長い年月を通して着続けてきた、その”着た切り雀”の一着こそが、かけがえのない私の人生だったのだ。
ありがとさーん。
そういうふうにあらためて思うに至ったのは、私の体の中にある悪性腫瘍を、外科手術によって除去することを告げられた前後からであり、今日に至るまでの間、その思いが続いているわけである。
私にとっては、初めての入院と大きな手術であり、ある程度の覚悟を、つまり確率的には極めて低いのだろうが、死という結果を意識しないわけにはいかなかった。
しかし、私は最近では、何か問題が起きた時には、”なるようにしかならない”のだからと思い、真剣に解決策を考えるよりは、楽天的に物事を決着させてしまう癖がついていて、入院手術をそう大げさには考えていなかったのだ。
むしろこの大きな手術によって、今まで本やテレビ番組などで見知ってきた、”死の意識”としての、”臨死体験”に出会えることを楽しみにさえしていたのだ。
それは、死の間際に現れる脳内現象であると言われていて、人間の体は良くしたもので、死の苦痛と恐怖で断末魔の状態にある時、その限界にある死の苦しみから逃れるべく、それらを一瞬にして消し去る、体内ホルモンの一種であるドーパミンが放出されて、幻想のお花畑の楽園に導かれるというのだ。
死からの生還者の話によれば、その時の脳内映像とは・・・”暗いトンネルを抜けると明るい広い所に出て、周りには花々が咲き乱れていて・・・そこで人の声が聞こえて、意識が戻って死の危機から抜け出したのだという。
数年前、立花隆の『臨死体験』(文春文庫)やキューブラー・ロスの『死の瞬間』(中公文庫)などの本を読み、さらにはいくつかのテレビ番組を見ていた(2014.9.22の項参照)私は、それらの事実確認に、自分の体を手術台の上の検体にして、体験できるという期待も持っていたのだ。
・・・昼過ぎ12時半、私は、病室から手術室へと運び込まれました。
いくつかの問診の後、口にマスクがつけられて、”これから酸素が出ます”という麻酔医の言葉を聞きながら、それはまるでさわやかな風が吹きつけてくるようで、私は「高い山の上で空気を吸っているようです」と答えながら、そのまま意識がなくなってしまいました・・・。
・・・やがて、遠くで誰かが呼んでいるような声が聞こえ、さらにぼんやりと誰かの、”手をグーにして握ってパーにして開いて”というのが聞こえ、私が力の入らない手を握り開いて見せると、周りの人たちから安どの声が聞こえてきました。
手術が終わったようです。
口には酸素マスクがつけられていて、腕にはチューブが三つつけられたままで、手術台から自分のベッドに戻され、そのまま2階の手術室からエレベーターに乗って、5階にある術後の特別病室へと運ばれました。
映画やテレビでの病院の廊下のシーン、走る台車付のベッドから患者が見上げる天井には、明かりがキラキラと流れ去っていく・・・そのままの光景でした。
次第に意識がはっきりと戻ってきて、そばにいて世話をしてくれていた看護婦(看護師)さんに時間を尋ねました。
”6時半を過ぎたところです”・・・。
朝病室を出て6時間がたっているが、後日、診療明細書を見てみると、麻酔時間は4時間半と記載されていたから、その時間内で手術が行われたのだろうし、残りの1時間半は前後の準備処理、覚醒のための時間だったのだろう。
そして今回の悪性腫瘍除去手術に際して、手術自体は執刀医師のおかげでうまく執り行われたのだが、私の隠れ興味の一つであった、例の”臨死体験”については、全く得るところがなかったのだ。
考えてみれば、当然と言えば当前のことだが、私は麻酔で眠らされていたわけであり、途中での記憶もまったくなく、一番深いノンレム睡眠の中にあって、ただ熟睡していたわけであり、眠りの前と目覚めてからのことしか覚えていないのだ。
つまり、死に瀕してもがき苦しんでいたわけではないのだから、自分の体への死への緩和ケアとしての、ドーパミンが放出さるわけもなく、ただ麻酔の点滴によって意識を失い、記憶が全くないほどに眠り込んでいたのだ。
”臨死体験”はかなわなかったが、そこで新たに生まれ出た思いが一つ。
それは今回の体験として、これほどまでに心地よく痛みもなく、まるで北アルプスの稜線を縦走している時のようなさわやかさを感じながら、意識のない世界に導かれていくのなら、つまり治る見込みのない重病にかかった時に、麻酔導入剤の後に、筋弛緩剤(きんしかんざい)を打って死に導いてもらう、”安楽死”という選択肢を選べるのならば、それも悪くはないと思ったのだ。
もちろん、外国のいくつかの国では認められているとしても、そこには日本での社会通念や倫理道徳観や医学倫理など様々な問題があり、これはあくまでも素人の個人的見解の一つでしかないのだが。
さらに、この度の入院手術を受けたことによって、幾つかの考えるべき問題があることに気づかされたのだが、これからも、その中から一つのテーマごとに書いていきたいと思う。次回は、孤独感について。
さて、上の写真は、今から2週間も前の、庭のモミジの紅葉である。
手前に、ヒイラギやカイズカイブキなどの常緑樹の緑色があって、両者の色の対比が何ともきれいだった。
それは、比べるものがあってこその、互いの色の鮮やかさなのだろうが。
もっとも、それは人間の視点から見る対比の美意識であって、鳥たちにとっては、花や実があるか、あるいは羽を休めるにいい場所かどうかが、彼らの利用価値を左右することになる。
まして、当の樹々たちにとっては、競い合いによって、どれほど枝葉を広げ、どれほど地下の根を張りめぐらすことができるかが、生きる上での問題になる。
地球上に生物として生まれ出でてきたものたちはすべて、それぞれに自分でできる限りの、精いっぱいの力を出して生きていくこと・・・。
人間、動物、昆虫、木々、草花などなど・・・同じ地球上で、同じ時代に、『ゾウの時間ネズミの時間』(中公新書)のように様々な時間の差異はあるにせよ、生きていくということ。